雪が降る前に



10月28日


 朝早い時間は、静か。
 寝返りする音の他は、時計が時を刻む音くらいしか聞こえていないのではないかと思えるくらい。
 そんな静寂の中で、真理(まり)はずっと眠れずにいた。
 ぎゅっと目をつぶって布団を深くかぶったり、一度起きて水を飲んだりもしたけれど、それでも目がしっかり覚めてしまっている。全く寝付けないのだった。
 ベッドのすぐそばに置かれている目覚まし時計は午前5時を差している。思いっきり中途半端な時間。
 真理はこうして急にできてしまった空白の時間を持て余していた。
 ようやく肩につくくらいまで伸びた髪の毛は寝ぐせでぐちゃぐちゃになってしまっている。
 少々丸みを帯びた顔は幼く、加えて153センチの身長ということもあって高校1年生だというのによく中学生、または格好により小学生に間違えられたりすることもあった。
 そんな真理は可愛い動物柄のパジャマを着て、ごろごろとただ寝返りを打っている。
 昨日は夜遅くまで友達と長電話をしており、睡眠時間は少ないはずなのだ。
 ゆっくり寝て、次の日に備えるつもりだったはずなのに。寒くて眠ることができない。
 真理はもう一度布団を頭の上にまでかけ、丸まって眠ろうとした。
 朝早い時間は皆が目覚める前のため、まわりの生きものたち、人々たちの息吹が少なく感じにくい。
 目が覚めてしまうと、そういった孤独感を感じてしまうのだ。
 生活音がなく、本当に静かだから。
 これから色々な人々が目を覚まし、また新たな一日をスタートさせていくというのに。
 またうるさいほどの喧騒に包まれていくというのに。
 朝早い時間だけは、なぜか不思議と一人でいることを意識してしまう。
 布団の中から感じられるほのかな温かさに身を任せる。それでも寒く、思わず身体がふるえてしまう。
 真理は深く、ため息をついた。


 すっかり覚めてしまった目を軽く手でこする。
 布団の中から見える景色は、やっぱりまだ日が昇っていないからか薄暗い。やはり射す時間も短くなってきたのだろう。
 少し前までは今の時間でももっと明るかったはずだ。
 周りが暗いと、なんだか朝という気もあまりしない。起きるまでにはまだまだ時間が残っているのだ。
 布団の中で軽く目をつぶったまま、耳を澄ます。
 薄暗い視界が真っ暗になった中で、耳に入ってくる音は数少なかった。
 その静けさの中で少し考え事をしようかと思ったとき。


 さらさらさら……。


 朝の静けさには似合わない大きな音が響いた。外から聞こえているようだ。
 なんだろうと思い、目を開け布団から起き上がり出ようとする。
「さむ……っ!」
 布団の隙間から風が入り込んで真理の身体に触れた。その冷たさに思わず背筋を丸める。
 とっさに布団をかぶり直そうかとも思ったが、聞こえてくる音への好奇心が勝った。
 そうっと足を床につけ、立ち上がる。裸足だったため足の裏からまた寒さが伝わってきた。
 ベッドの脇に掛けていたカーディガンを羽織る。
 窓のあるところまで行き、カーテンを開けてその先の光景を眺めた。
 窓越しに見た外の世界は薄く膜が張っているかのように、ほんの少し白くなっているように見えた。
 さらさらと、上から下へと落ちていく氷の粒。
 それは雪のように静かにしとしとと降るものではなく、外の寒さを訴えているようにさらさら、さらさらと音を立てて降り注ぐ。
 外で降っているのは、雪ではなくあられだった。
「もう、こんな時期になっちゃったんだ」
 寒さを忘れて外を見続ける真理。
 一瞬、雪ではなくあられだったということでほっとする。だが、それと同時に焦ってきて心臓がどくどくと波打つのを感じていた。
「そうだよね……。こんなに寒くなったんだもんね」
 真理は着ているカーディガンをぎゅっと握り締めながら、音を立てて降り続けているあられを見ていた。
 それは『早くしなさい』と真理に訴えかけているのかもしれなかった。


10月29日


「とうとう、あられが降ったね。なんだか予告みたいでわくわくしちゃった」
 真理の隣に座っている女性が話しかけてくる。
「そうですね……」
 元気なく答える真理を見て、その女性、知恵(ともえ)は思わず真理の顔を覗き込んでしまった。
 真理と知恵は現在、昼休みのため購買でパンを買った後音楽室でそれを食べていた。
 授業のない時間の音楽室は学校の端にあるということもあってほとんどやってくる人はいない。
 のんびり話をしたい時にはちょうどいい場所だった。
 知恵は高校3年生。学年は違うが同じ部活動に入っていたため前からよく色々な話をしていた。
 知恵はもう部活自体は引退しているが、それでも時々顔を出してくれる。
 悩み事を抱えている真理は、信頼できる部の先輩に相談を持ちかけていたのだった。
「元気ないね。決意が崩れてきた?」
 真理を見つめつつ、優しく話しかける知恵。薄く茶色がかったショートカットの髪の毛が活発な性格をよく表していた。
 真理と同じ高校のセーラー服を着ているが、スカートの丈が若干短い。
 パンを手に持ったままうつむいている真理はぱっちりとした可愛らしい目にじっと見つめられている視線を感じ軽く顔を上げた。
「自信がなくなってきちゃいました」
 その声を聞いて知恵は「うーん」と天井を見上げ考え込んでしまう。
 このままでは全く前に進むことができなさそうだった。


 真理は知恵と同じ学年である3年生の悠(ゆう)が好きだった。
 もともと家が3軒隣で近所ということもあり、小さな頃はよく一緒に遊んでいたものだ。
 一人っ子である真理にとっては兄のような存在。それは本当に最近まで変わらなかったのだが、とあるきっかけにより自分の想いを認識するようになった。
 それは、悠の進路が決定したこと。
 現在真理たちが住んでいる街には大学がないため、進学するためには必ず他の街へ出て行かなければならない。
 悠の進む大学は、今住んでいる街から軽く5時間はかかるところにある。
 決して行けない距離ではないが、気軽に行くことのできる場所でもない。
 更にこれから悠にとっては新しい世界が広がっていき、刺激も多くあるだろう。
 真理のことも忘れてしまうかもしれない。そう思うだけで胸が苦しくなってしまうのだ。
 小学校から中学校、そして高校と、悠が進学するたびに取り残されていた気分になり寂しく思ってはいたのだが、泣きたいくらいに悲しくなったのは今回が初めてだった。
 いつもなら2年待てば大丈夫という思いがあったからだと思う。
 だが今回はそれとは違う。これから生活していく中で悠の姿を全く見ることができなくなってしまう。
 進路が決定したのは秋の初め。それ以来真理は自分でも信じられないこの気持ちに悩み始め、現在彼氏ととても幸せそうにしている先輩の知恵を頼ろうと思ったのだ。
 知恵は普段から面倒見がいい上に活発で明るく、暗くなりがちな真理をいつも照らしてくれていた。


10月7日


「知恵先輩は、今の彼氏さんとどのようにして付き合うようになったんですか?」
 一通り今の自分の状態と相談事を伝えた後、真理は知恵に色々な質問を投げかけていた。
「あぁ、それはね。実は向こうからだったんだよね」
 真理にとって知恵は憧れだった。そのためこういった答えは想像していたけれど、やはりすごいなぁと思わず感心してしまう。
 人を惹きつける魅力を持った人でも自分で自覚をしていない人も多くいて、知恵はその典型的なタイプだった。
「でもね、そりゃ私だって片思いくらいしたことあるよ」
 その知恵の台詞に思わず身を乗り出してしまう真理。
「その時はどうやって伝えようとしたんですか?」
 小さな真理は妹のようにとても可愛らしい。そんな後輩が必死になって頼ってくれるのは知恵にとってとても嬉しかった。
「その時はね、自分に時間制限を作ったんだよ」
「時間制限……ですか?」
 真理は知恵がどんなことを言っているのかよくわからずおうむ返しに質問を返す。
「自分で『この日までに告白する。もしできなかったら諦める』っていう日を決めたんだ。その日が近づくたびに不安にはなったけど、でも諦めるなんてできなかったから、思い切って決めた日の前日に言ったんだよ」
 真理は真剣な顔で知恵の話を聞いている。知恵は更に言葉を続けた。
「まぁ、結局はだめだったんだけど、後悔はしなくてすんだ。これだけでも満足できたよ」
「自分で、タイムリミットを決めるんですね」
 下を向いて何かを考えている様子の真理を見ているうちに、知恵は1つの考えが浮かんだ。
 今の真理と、重なっていたから。想いが通じるかどうか、自信が持てずに悩んでいた自分と。
「そうだ。真理ちゃんも決めようよ。そうしないとずっと何もできないで終わっちゃいそうだから」
 知恵の声を聞いて、ぱっと顔を上げる真理。何かにすがりたいけれどどうしたらいいのかわからないという心もとない表情をしている。
「そうだね……。例えば『雪が降る日』までとか!」
 その台詞を聞いた真理は自分でも気づかないうちに目を見開いていた。両手をぎゅっと強く握り締めている。
「日にちがはっきりしない方がいいよ。この時期だろうなぁと思うけど、具体的にはわからない。そういった焦りを持った方がいいと思うんだ」
 確かに何かの縛りを作らないと真理はずっと伝えられないだろうと思ってはいた。それで後悔するのだけはなんとしてでも避けたい。
「どうする? 頑張れる? それとも今と同じままでいいと思う?」
 頭を軽くなでながら知恵が真理を促す。
 もちろん、できるなら頑張りたいと真理は思う。タイムリミットが近づいて焦ることで、普段の自分ではできないようなこともできるようになるなら。
「私……、頑張ります」
 声は小さかったが、きちんとはっきり言った。
 このまま悠に置いていかれるのは嫌だと。ずっと自分のことを覚えていてほしいと。そう思ったから。
「うん。頑張ろうよ。私は応援してるからね!」
 その時の知恵はいつもの3倍は笑顔の度合いが上がっていただろう。


10月29日


「後悔はしたくないって、あの時言ったよね。もちろん色々心配な気持ちはわかるけど」
 パンを食べ終わり、包み紙をゴミ箱に捨ててから再び真理の隣に座る。
「もう寒くなってきたし、まだ11月じゃないけどいつ雪が降ってもわからないよ。そろそろ頑張らなきゃね」
 真理はまた少しうつむき加減になっていた。その顔を両手で挟み、前を向かせる。
「大丈夫。その人はきちんと真理ちゃんの気持ちを受け止めてくれるよ。応えてくれるかはわからないけど、真理ちゃんが好きになった人なんだからひどいことはしないはず。だから、勇気をどこからでもいいから集めてきて、伝えるんだよ」
 知恵からじっと見つめられて、真理はこんな時にだが、改めて知恵はきれいだなと思った。
 いつも笑顔で笑っていられる幸せをこの人は持っている。
 心の底から笑えるようになりたい。知恵のような人になりたい。そう思える強さがあった。
 声は出なかったが、首をしっかりと上下に動かす。
「そうそう。想いを伝えるってことは本当に大変なことだけど、だからこそ意味があるんだ。きちんと言えたら、また自分が強くなったってわかるよ」
 知恵はまた真理の頭を軽くなでた。


11月5日


 知恵に改めて勇気をもらってから1週間が過ぎた。
 幸いなことにまだ初雪は降っていない。あられが何回か降った程度だ。
 だが、あられが降るごとにまた焦りが募ってくる。
 真理の住んでいる街では通年11月10日を過ぎる頃には初雪が降る。
 今年は例年よりも寒さが増していると天気予報でも言っていた通り寒くて、その予定が少し早まるかもしれない。
 そろそろ、本当にタイムリミットが近づいてきているのだ。
 真理は知恵から言われてからほぼ毎日放課後になると悠の教室に足を運んでいた。
 悠が帰る頃を狙って声をかけようと思っていたのだが、タイミングが悪くなかなか機会に恵まれず、いつも暗い気持ちで部活に行っていた。
 今は間もなくホームルームが始まろうとする時間。
 周りでは今日の授業が全て終わった安堵感からかみんなの声がひときわ大きく聞こえる。
 その喧騒の中で、真理だけが静かだった。
 深呼吸を一つする。
 真理は小さな頃の自分をふと思い出していた。


 一緒に毎日公園に遊びに行っていたこと。
 悠が樹から落ちて怪我をした時に自分も一緒に泣いてしまったこと。
 かくれんぼをしている時にどうしても見つけられなくて、次第に夜が近づいてきて怖くなって先に帰ってしまった後ひどく怒られたこと。
 中学に進学することになって公園で遊ぶことができなくなった時の「ごめんね」という台詞。
 窓から外を眺めていた時に学校帰りの悠を見かけた時の嬉しさ。
 高校に進学してからも、帰り道でたまたま会って一緒に帰った時の緊張感。
 そして、大学進学が決まって嬉しそうにしている悠を複雑な感情で見つめている自分。


 今まで生きていた人生の中のほとんどに、悠はいた。
 時を重ねるごとに少しずつ減ってしまってはいたけれど、その分会える時がとても幸せだと思えるようになった。
 このままでいたら、それすらできなくなってしまうかもしれないのだ。
 これ以上怖いことはない。真理は軽く首を左右に振る。
 チャイムが鳴ってホームルームが始まった時。真理は何かに吹っ切れたような清々しい表情でそれに臨んでいた。


「悠ちゃん」
 いつも声をかけられずじまいだった悠の教室の前で。
 真理はごく自然に、構えずに声をかけることができた。


「ただいまー」
 今日の部活動を終え、家に帰ってきた真理を待っていたのは、ストーブの熱でほんわかと暖かくなっている自分の部屋だった。
「最近急に寒くなってきたじゃない。真理も寒くて眠れないって言ってたからとうとう出したんだよ。これで今年の冬も快適に過ごせるってもんね」
 得意げに微笑む母親を見て、そして部屋の暖かい風にふれて、ほっとしたのか真理の目から涙がこぼれてくる。
「あらあら。暖かい部屋がそんなに嬉しい? まぁ私も今日出して正解だとは思ったけどね」
 ティッシュを手渡しながら母親が言う。
「天気予報だと、明日初雪が降るみたいだよ」


11月6日


 どんな季節でも、朝早い時間はいつも静かだと思う。
 目が覚めて布団の中でまどろんでいる時に聞こえてくる音は、時計のカチカチという音くらいだ。
 今は目覚まし時計が鳴る少し前の、朝6時24分。そろそろ周りでもみんな起き出す頃だろう。
 そしてまた新たな一日が始まるのだ。
 起きる時間までのあと6分の時間をぬくぬくとした暖かい布団の中で過ごす。
 気を抜けば二度寝してしまいそうになるため、目はしっかりと開けるようにしていた。
 肩ほどまで伸びた髪の毛はいつものように寝ぐせでぐちゃぐちゃだ。どうしたら落ち着くかなぁといつも考える。
 ごろごろと寝返りを打っている布団の外では、タイマー式のストーブが真理の起きる1時間前にはもう既に部屋の中を暖めてくれている。
 昨日もまた懲りずに夜遅くまで友達と長電話をしていたが、熟睡できたためか目覚めがいい。
 ふと目覚ましよりも先に起きようとふと思い、スイッチを止めて布団から出る。
 部屋の中は布団の中よりは寒いが、それでも充分すぎるくらい暖かかった。
 快適な状態で目を覚ますことができてこんなにも幸せだなぁと思う。


 ただ、目を覚ました時から気づいていたのだが、もう6時30分になる頃だというのに外はずいぶん薄暗い。
 いつもならカーテンを通して薄くではあるが光が入ってくるのだ。
 この時間であれば冬でも辺りはかなり明るくなっているはずだった。
 時計を何度も見ている上に寝ぼけてもいないため、時間を間違っているということもない。
 真理は起きてから一番初めに窓のそばに行き、カーテンを開けた。
「……わぁ、雪!」
 昨日の天気予報が当たったのか、外は一面に雪景色だった。周りの家の屋根も、道路も、木も、外にあるものはみんな雪をかぶっている。
 雪は今も降り続いていて、まっすぐ、ひらひらと白い綿が落ちてきて重なり積もる。
 雪はあられとは違い、気づかないうちに降ってくる。
 今日のようにカーテンを開けて初めて気づき、そして驚くことが多いのだ。
「初雪だね」
 窓を開けて手を伸ばし、降ってくる雪に触れてみる。部屋の中で暖められた手に当たり、雪は一瞬で水に変わる。
 しばらくその様子を堪能した後、窓を閉めて壁にもたれかかった。
「よかったぁ……」
 真理はふうっと息を深くはいた。


 これで朝早くに寒くて目が覚めるということはないだろう。
 そして、朝は元気に学校に通うために時間通りにきちんと起きることができるだろうと思う。
 そのたびに、ストーブによって暖められたぬくぬくとした部屋の空気と、そして自分の心の中に広がっている温かな気持ちによってこれからも頑張ろうと思うのだ。
 冷たいところでぶるぶるとふるえているのはとてもつらい。
 心の芯まで冷え切ってしまいそうで。
 しかし、今の真理はそう思うことがないだろう。
 ちょっとの勇気を出すだけでこんなに気の持ちようまで変わるなんて思いもしなかった。
 これから真理は朝食をたっぷりとった後、コートとバッグを手に取って3軒隣の家まで走るのだ。
「悠ちゃん、おはよ」




朝の静けさは
一人でいることを強調させるけれど
温かな部屋の中にいると
そのぬくもりが心の中にも伝わって
自然と笑顔がこぼれてくるよ
そしてドアを開けて
私を受けとめてくれる人に会いに行こう

外では雪がしとしとと
私たちの足跡を消していくけれど
また私たちで新しい
足跡をつけていけばいいんだよ
そうしていくうちに
また新しい季節を
二人で迎えていけたらいいね