そよ風が吹く頃

初の別行動


なんだかとっても不安そうに見えるよね。
大丈夫かな。落ち着いて待っていられるかな。

私はそんなに心配はしてないよ。
きっと乗り越えられるって信じてるから。

これからもこういうことはあるかもしれないし
どんどん慣れていってくれたらいいね。

こういうことは焦っちゃいけないから
ゆっくりやっていかなくちゃ。
まだ間に合うよね。もうちょっと時間かかるよ。

うん。今はまだ耐えられそうにないから
頑張って励まし続けていってあげてね。



 次の日の朝、仕事へと出て行くアルムを孤児院の門まで出て見送ったマルベリーは妙にそわそわと落ち着かない状態でいた。
 昨日仕事に行く理由などを聞いて納得をしたはずなのに、すっかりそばにアルムがいてくれているという感覚に慣れてしまっていたのだ。そのため、突然守ってくれている存在がいなくなるととても心細くなる。
「じゃあな。いい子でいるんだぞ」
 そう言い残してくるりと後ろを向いて歩いていくアルムを姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。
『捨てられた猫みたいな顔をしないでよね』
 そう話しかけてきたのはいつもそばを飛んでいる風の精霊シルフィードだった。ずっと小さなエルフのサポートをし続けていたが、アルムと一緒に旅をするようになってからは心配事が減り、マルベリーのそばで見守る形を取っていた。
「そんなことないもん。私は平気だよ。私だって、この孤児院のみんなみたいに一人でも色々なことができるんだってことを伝えなくちゃ」
 ぷうと頬を膨らませて答える。シルフィードはそれを見て、ひとまずマルベリーが暗い表情から抜け出せたと小さく顔をほころばせた。マルベリーもシルフィードがそれを狙って話しかけてきてくれたのだと気づき、笑顔を見せる。
「ひとまず、ありがとう。私も頑張ってみるんだ」
 両腕を軽く曲げ、胸の辺りで手を握るポーズをしたマルベリーの肩にシルフィードが座る。
『私は実際に起こる危険については全く無力だけど、心配しなくても大丈夫だよ。何か不穏な雰囲気を感じたらすぐ知らせるようにするから』
 精霊は、マルベリーのような特殊種族にしかほとんど見えない。人間でも見える人はいるらしいが、かなり稀なケースだ。人間にとっては空気と同じようなものだと考えていい。そのため、マルベリーに何か危険なことが起こったとしても、直接的に助けるということができない。魔法でサポートをするくらいだ。
 シルフィードは風の精霊のため、竜巻やかまいたちなどを起こすことはできる。いざという時はこれらの力を使って助ける覚悟はできているが、この世界が魔法を使うことを禁じられているため、マルベリーが特殊能力を使うことも全て隠されていた。元々エルフが迫害されてきたのはこの特殊能力のせいなのだ。
 今シルフィードにできることといえば、辺りの様子を伝えたりして危険を回避したりするくらいだろう。
『私は人間達の生活には干渉されないからね。ずっとマルベリーのそばにいるって決めたんだもん』
 そう言ってシルフィードは微笑んだ。


「マルベリーちゃーん」
 もう既に孤児院の中に入っていたエルジュが玄関まで出てきてマルベリーを呼んでいた。孤児院のみんなも仕事がある子以外は全員アルムが旅立つのを見送っていたが、マルベリーだけがずっと門の前に立っていたままだったのだった。
「ごめんなさい」
 一言謝って孤児院へ戻る。いつでも元気いっぱいの少女は両腕を軽く腰に当てて立っていた。隣にはリトもいる。エルジュは自称リトの代弁者のため、孤児院内で二人はいつも一緒にいた。
「今日はあたし達と一緒にお掃除をするってシスターが言ってたよ」
結局マルベリーに与えられた仕事は掃除らしい。アルムが朝食を作る際にマルベリーも手伝ったのだが、その時の手つきがものすごく危なっかしいものだったため、料理を任せるにはまだ早いとシスターが判断したのだった。一応母親の料理の手伝いをしたことはあるが、簡単な作業ばかりで包丁を握ったりなどはしたことがなかったのだ。
「はい。わかりました」
 自分を奮い立たせるため、努めて大きな声で返事をする。そして今回の掃除班の所へ向かった。そこにはエルジュとリトをはじめ同じくらいの身長の子が他に二人ほど、それから指導役の少し年上の少年とシスターもいる。
 この孤児院では5歳になると仕事を受け持つようになり、基本的に孤児院内の掃除は年下層の役割になっているとマルベリーは聞いた。
「それでは、よろしくお願いしますね。とりあえず台所はもう終わっているので、今日は寝室を中心にやりましょう。天気がいいのでシーツなどの洗濯も違う子達にやってもらう予定なのですよ」
 今日は朝食を食べ終わった後、マルベリーはアルムと一緒に今回泊まらせてもらったお礼にと後片付けも含めた台所の掃除は終わらせていた。
「はい。頑張ります」
 マルベリーも笑顔で答え、早速作業に取り掛かる。孤児院内で寝室として使われている部屋は6部屋。一部屋に二段ベッドが2つ置かれており、4人ずつ入ることができるようになっていた。
 ほうきを手渡されたため、床を丁寧に掃いていく。他の子達はベッドからシーツをはがしたり雑巾で窓枠を拭いたりなど、それぞれ仕事に一生懸命取り組んでいるようだった。
「あ、マルベリーちゃん!」
 掃き掃除が3部屋目まで進んだ時、マルベリーのいる部屋に同じくほうきを持ったエルジュが入ってきた。おそらく反対側の部屋から順番に掃除をしてきたのだろう。手馴れた様子で、隅の埃がたまりやすい場所などもしっかりと掃いていた。
「……あの」
 一呼吸置いて、マルベリーも掃除する手を動かしたままエルジュに話しかける。よく考えてみれば、話しかけられたことはあっても自分から話しかけたのは今回が初めてだった。
「なぁに?」
 にこやかな表情で答えてくれるエルジュ。マルベリーは徐々にこの子に接するのも身構える必要はないと思えるようになってきた。
「年は、何歳……ですか?」
 エルジュとマルベリーはほぼ同じ身長だ。それでもエルジュは確実にマルベリーよりも年下なはずだった。
「あたしの年? あたしはたぶん8歳だよ。正確にって言われるとちょっと困っちゃうけど」
 なるほどとマルベリーは頷く。つまりこの身体の大きさは人間の成長度合いでいくとだいたい8歳くらいなのだ。マルベリーがその年齢だった頃は今よりももっと小さかったという記憶があるし、エルフと人間とではやはり身体の成長速度に大きな違いがあると考えざるを得ない。
「急に年なんて聞いて、どうしたの?」
 ほうきでの掃除が一段落つき、エルジュが持っていたちりとりでごみを集める。
「私、16歳なんです」
「ええっ! そしたら……レルム姉ちゃんと同じ年ってこと? びっくりだよ!」
 ごみをかき集めた手を一瞬止めて目を見開くエルジュ。確かに身体の大きさが同じだと近い年齢と思い込んでしまうのだろう。そしてマルベリーと同い年のレルムは孤児院でもそろそろ最年長組に属する。エルジュにとっては頼りがいのあるお姉さんなのだ。マルベリーは見た目でもとても幼いが、精神的に見ても、どう考えてもレルムよりも子供だった。
 身体と同じく心の成長も、エルフは人間と比べてゆっくりなのかもしれない。それでも、同じ年数を過ごしているのに自分はなんて情けないんだと思ってしまう。もしかしたらマルベリーよりもエルジュの方がよっぽどしっかりしているだろうとも思えた。
「そうですよね。やっぱり」
 思わず苦笑してしまう。マルベリーはここの孤児達と話をしたりしているうちに自分の甘さに気づいて恥ずかしいと思っていたが、更に思い知らされてしまった。
『レルムさんと同じだと考えるとちょっと違うんじゃないかなあ』
 エルジュがちりとりのごみを捨てに行くその後ろをついて行こうと歩き出した時、シルフィードがマルベリーの肩に座って話しかけてきた。
「どうして?」
 マルベリーは前を歩くエルジュに気づかれないように小声でパートナーに尋ねる。
『だって、単純に考えてもスタートが6年違うんだもん』
 マルベリーは今の両親に拾われて生活をするまでの6歳以前の記憶が全くない。どうしてなのかももちろんわかるはずもなく、今マルベリーはそれも含めた手がかりを探すために旅をしている。シルフィードはその6年間は計算に入れなくてもいいのではないかと言っているのだ。
『6歳の時のマルベリーって、本当に赤ちゃんみたいなものだったよ。身体が小さかったってこともあるけど……』
 シルフィードはその頃からずっとそばにいてくれている。マルベリー自身でもわからないことなども知っていることもある。マルベリーはそういったことについて詳しく知りたいと思うが、シルフィードは昔のことはあまり語らない。
『だから、今のマルベリーにとってのスタートはその頃からだと思うし。それに、マルベリーはしっかりやってるよ。そんなことで悩むくらいだったら、その遅れを取り戻すようにこれから頑張ればいいじゃない』
 シルフィードの言葉を受けて、マルベリーは歩きながらも腕を組み考える。
「そうだよね。いくら考えても今の私がこうだってことには変わらないわけだし。これから頑張ればいいよね。少しずつでも追いつけるようにするよ」
『そうそう。まぁ悩むことも大切ではあるんだけどね』
 シルフィードがマルベリーの肩から飛び立ち、辺りを一周してから前を歩いているエルジュの方へ向かう。ふわりと吹いたそよ風に、マルベリーは右手で揺れる髪の毛を押さえた。
「マルベリーちゃん?」
 不意にエルジュが後ろを振り向いた。マルベリーは特に気にする必要もないにもかかわらず、なぜかびくりとしてしまう。
「誰かとお話してた?」
 おそらく小声で話していた声が聞こえてしまったのかもしれない。マルベリーは首を横にぶんぶんと振った。
「いいえっ。話してないです」
 少し焦ったが、マルベリーは自分ではよく顔色を変えずに答えることができたと思う。
「そっか。空耳なのかなぁ」
 エルジュは左手にちりとり、右手にほうきを持ったまま軽く首を傾げた。


 掃き掃除が終わった後は窓拭きをしていたリト達の手伝いや雑巾がけなどを行い、それも終了した頃には掃除班以外のみんなの仕事も一段落したようだった。
 部屋の窓から外を眺めてみると、物干し竿にはつぎはぎなどはされているが白くきれいなシーツが大量に干されており、ある意味圧巻だった。青空の下で風に翻る様子を見ていると、なんだか手の届くところに雲ができたような気もする。
 昼食時間の鐘が鳴る時間が近づいてきたため、一同は庭にある井戸で順番に手を洗い、昼食を作るべく台所へと向かう。台所では料理班が昼食の材料を買って包丁で切ったり、水がめに汲んだ水を鍋に入れて火にかけたりなど下準備を終了させていた。
 マルベリーは料理を作る方では役立たずなため、食器を棚から出して並べる作業などに集中する。
 調理台の方をふと見てみると、またもや重そうなフライパンと格闘しているリトを発見した。その手つきはやはりふらふらとした感じだが、頑張っているなと思う。毎日続けていればいつかは危なげなくできるようになるのだろう。
 そう考えながら作業をしているうちに、やがて台所全体がいいにおいに包まれてきた。


 昼食が終わり、その後休憩時間をもらったマルベリーは午後から何をするのだろうと思っていたが、迎えに来てくれたシスターに案内されて孤児院の奥にある大きな部屋へとやってきた。
 ここは作業部屋になっているとのことで、ここに住んでいる子達が作ったという様々なものが積まれていた。これらは週末に行われている市に店として出品するために作られたものなのだそうだ。そして、マルベリーにも得意なもので何かを作れないかとのことだった。
 マルベリーは普段から行っている薬の調合以外のことに関してはことごとく不器用だ。不器用というよりは大雑把といった方が近いかもしれない。細かな作業が苦手で、ついそんなに手を入れずに終わらせてしまうという癖があった。
「すごいですね。これ」
 作業部屋に置かれている作品の中で、繊細な作業を必要とする彫刻や細工などを見ると、これらを作った人のことを素直に尊敬する。マルベリーも村にいた頃に母親から言われてちょっとした細工に挑戦してみたが、やはり一定以上から手を加えることができずに未完成のまま完成させてしまったことがあった。
「何かできそうなものはありますか?」
 シスターからそう言われて、マルベリーはどうしようかと悩む。なんとか細かな作業をせずにすむものがあればと室内を見渡してみた。
「マルベリーちゃん」
 窓側で既に作業をしていたエルジュが手招きをしている。マルベリーがそばまで向かうと、エルジュは年少組の女の子達と一緒にアクセサリーを作っていた。
「一緒にやろうよ!」
 そう言って、今作っている作品を見せてくれる。それはペンダントのようで、きれいな色に塗られた石を紐に通してできたものだった。テーブルの上には小さな箱が数多く置かれており、それぞれ一箱一箱に色や大きさの違う石が入っている。あとはこれまた数種類の紐と、そして何枚かの紙があった。
「これはね、レルム姉ちゃんがデザインしてくれてるんだよ。あたし達は、この紙を見ながら紐に石を通していくの」
 エルジュが作業の手順を教えてくれる。デザインを始めから考えるのであればとても難しいとは思うが、指示されている通りに石を通していくだけならマルベリーにでもできそうだった。
「はい。頑張ります」
 そう言ってエルジュの隣に座る。
「それでは、よろしくお願いしますね」
 シスターは違う仕事があるのか、みんなに一言そう伝えた後すぐ作業室内から出て行った。
「では、やってみます」
 マルベリーはその様子を見送った後、手渡された紙に書かれている通りに作業をしていった。


「あ、マルベリーちゃん!」
 作業に集中していたマルベリーを遮ったのは、昼の手伝いから戻ってきたレルムだった。レルムは自分の作ったデザインを見て作業してくれているのが嬉しいらしく、またマルベリーをふわりと抱きしめる。マルベリーも笑顔でそれに応えた。
「これ、いいでしょう。自分でもお気に入りなんだよ」
 そう言ってレルムもテーブルに着き、作業を開始した。デザイン画を一切見ずにてきぱきと石を通すエルジュも手馴れているようで早かったが、やはりレルムにはかなわないようだ。
「レルム姉ちゃんはすごいよね!」
 エルジュは本当に心からレルムを慕っているというのがよくわかる。話しかけられたマルベリーもうんうんと頷いて同意した。
「そんなことないよ。ただこれは私が作ったものだからね。わざわざ紙を見ながらじゃなくてもできるもん。だから早く感じるんじゃないかな?」
 そう言って笑うレルムを見ていて、マルベリーもますますこのような人になりたいと憧れた。「よし」と一声軽く呟いて、気合いを入れて再び作業に取り掛かる。
 そうしてマルベリーが集中し始めてから、比較的すぐのことだった。

 がしゃーん!

 突然室内に大きな音が響いた。
 作業をしていた子達は集中力をそがれたことで顔をしかめながら音のした方向を見たが、その表情を突如青く変化させた。レルムと同じく仕事から戻って黙々と作業に取り組んでいたルフトの左手人差し指からどばどばと血が流れていたのだ。おそらく彫刻をしている小刀で切ってしまったのだろう。
 急にざわめく室内。「シスターを呼んでこなくちゃ!」や「手当てしなくちゃ!」などという声が遅れて上がってきたが、こういったことは滅多にないのかあまり動けないようだった。反対に当人のルフトの方が、痛みはもちろんあるが冷静だった。
「ごめん。ちょっとうっかりしてたかな」
 小刀を鞘に収め、苦笑する。その声のトーンは普段通りのようだった。
「……あの、ちょっと傷が深いみたいです。何か清潔な布はありますか? タオルとかでもいいんですけど」
 小さなものではあるが、比較的落ち着いた声がもう一つ聞こえた。いつの間にかマルベリーが席から立ってルフトのそばへ行っていたのだ。左手を手に取り、傷口を見る。
 血は人差し指の指先から流れていた。使われていた小刀は手入れが行き届いていたのか切れ味も良く、傷口の範囲は狭いが深さはかなりあるようだ。
「もしないようでしたら、ちょっと取ってくるので……。痛いかもしれませんが、この傷口の部分か、または第一関節の辺りを強く押さえていて下さい」
 頷いて、マルベリーが指示した通りに指を押さえるルフト。それを確認すると「治療道具を持ってきますね」と言い、部屋から出た。そしてマルベリーのバッグが置かれている部屋まで駆け出した。
 マルベリーが出て行った後、レルムも隣の部屋から清潔なタオルを持ってきてルフトの手に当てたり、他の年長組の子はシスターを呼びに部屋を出て行った。それ以外のみんなは心配そうに少年に近づき、傷の様子を眺める。「大丈夫だよ」とルフトは微笑んだ。エルジュは血のついたテーブルや床を拭いていた。
「お待たせしましたっ」
 マルベリーが治療用具の入ったショルダーバッグを持って部屋に入ってきた。なんだか息が荒い様子だ。元々この小さなエルフは運動が得意ではない。歩くのは平気だが、走るのは少しだけでもすぐに疲れてしまう。それでもやはり急いだ方が良いと思ったのだ。
 怪我人の周りに集まっていた子達がマルベリーのために道を開けてくれる。エルフの薬師は再びルフトの傷口を見た。
「タオル、あったんですね。強く押さえました? そろそろ血が止まってくれているといいのですが」
 ルフトの手を取り、押さえていたタオルをずらしてまだ血が出ているかどうかを見る。時間が経つと滲み出てはくるが、あと少しだけ押さえていればなんとか止まりそうだった。
 タオルを再び押さえるよう指示して、マルベリーはバッグの中から一つの瓶と手のひらくらいの大きさの四角いケースを取り出す。ケースを開けると、そこにはそれぞれ大きさの違うさじがいくつか入っていた。
 またバッグから今度はガーゼとテープを出す。さじで瓶の中の薬を掻き出し、ガーゼに乗せ、血が止まっているのを確認してから傷口に当てた。固定するためにテープで指の周りを一周させる。その手つきはやはり慣れたもので、辺りで様子を伺っていた子供達もそれぞれが顔を見合わせながら「すごいね」などと話をしている声が聞こえた。
「まぁ! どうもありがとう」
 手を切ったくらいの怪我だったため治療も早く済み、後片付けをしていたところでシスターが小さな救急箱を持って部屋に入ってきた。後ろには怪我人が出たと伝えに行った年長組の少年もいる。シスターも少年もおそらく急いで来たのだろう。既に治療が終わっている様子を見て少々驚いているようだった。
「いえ、私にはこれしか取り柄がないというか……」
 バッグの中に道具を全て詰め込んだマルベリーは、とりあえず先程自分が座っていた席へと戻った。他の子供達も席へ戻り、少しずつ作業を再開し始める。
「すごいじゃない! みんなができないことをてきぱきやってて!」
 そう笑顔で言ってくれたのはレルム。そして他の子達もその言葉にうんうんと頷いていた。
「私ね、ちょっと血が苦手なんだ。だからさっきもつい固まっちゃって。私も料理をする時とかに包丁で手を切ることはあるんだけど、いつもルフトに手当てしてもらっちゃってるんだよね」
 みんなから尊敬されているレルムも苦手なものはあるんだと親近感が沸いてくる。もちろんマルベリーの方が数としては多いのだとは思うが、なんだか嬉しくなってしまった。褒められたことでも素直に喜ぶ。
「ありがとうございます。父も薬師なので、色々と教えてもらいました」
 そして将来的にはこれで生計を立てていきたいとも伝える。シスターもその会話を聞いており、マルベリーのそばまでやってきた。
「今はこういった技術を持っている方は増えていっているようです。私も簡単なものであれば少しはできます。それでも一定以上の技術を持っている方はまだ少ないと思います」
 この世界ではエルフや魔法使いなどの特殊能力を持つ者達が排除されてきた辺りから薬師などの技術を持った人々が増えてきた。今まで魔法に頼っていた人も多く、そう考えると都合のいい魔法は持ち上げつつも、強い攻撃力も合わせ持つ魔法に怯えたりしていたのだ。同じ理由で特殊能力を持つ者がいなくなったことで発展したものなどもある。そう考えるととても矛盾を感じてしまう。
「なので、是非今後も知識を深めていって下さいね」
 そう言ってくれたシスターの言葉にマルベリーは微笑んだ。人間から見れば小さな子供にしか見えないため、治療という生命にも影響を与える行為を任せてくれる人はいないかもしれないと勉強をしつつも諦めていた感もあった。
「はい。頑張ります」
 マルベリーは薬師の勉強を始めて5年強。もちろんのこと、長く続けている人には適わないだろう。一番の目標はやはり父親だが、街にいる薬師達も見てみたいと思い始めていた。
「それでは、マルベリーにはこの技術を生かした仕事をしていただきましょう。とても運のいいことだわ」
 シスターが両手のひらを胸の少し上で合わせて言う。それはなんだかとてもほっとしたような雰囲気に見えた。
「実はね、今、旅の途中で病気になってしまったという方を修道院の方で看病させてもらっているの。ですが、怪我などと違って理由がわかりにくいでしょう。どのように処置をしたらいいのかがわからなくて困惑していたところなのですよ」
 シスターの言葉を受け、マルベリーはなるほどと思う。例えば同じ頭痛という症状でも、風邪が原因だったり、脳の関係だったり、または肩こりなどから来ることもある。特殊なケースはマルベリーも判別しにくいこともあるが、それでも今回は自分が役に立てる数少ない機会だ。是非とも担当させて欲しいと考えた。
「わかりました。その方とお会いしてみたいです」
 マルベリーがそう答えると、シスターは微笑んだ。
「ありがとう。それでは早速行きましょうか」
 そう言った後、踵を返して部屋から出て行く。マルベリーは作りかけのネックレスをエルジュに託し、シスターの後ろをついていった。


 修道院にいた病人の症状は、なんとかマルベリーのわかる範囲のものだった。最近はアルムの傷の治療などで怪我用の薬草は在庫が危うかったが、今回使う薬草はまだ手元に多く残っていた。調合を行って飲ませ、現在は眠ってもらっている。なるべく即効性のあるものを選んだつもりだが、それでも飲んですぐに症状が良くなるということは難しいため、また明日様子を見てみることにしたのだ。
 今マルベリーは一通りの処置を終え、修道院から孤児院へ戻る途中だった。シスターはまだ修道院での仕事が残っているため、今はそばにいるシルフィードを除けば一人。迷わないようにと一人の修道女が道案内を買って出てくれたのだが、慣れない人間と二人でいるよりは一人の方が緊張をしないだろうと丁重に断っていた。先程来る時にも思ったのだが、この修道院と孤児院とを繋ぐ道はほぼシスターしか使っておらず、人の姿は全く見えなかった。
『なんとかなりそうでよかったね』
 シルフィードが心なしか明るい表情で辺りを飛び回る。人の役に立てたと喜ぶマルベリーを見て嬉しく、多少浮かれているのだろう。
「うん。よかったよね。私が今までやってきたことはいいことだったんだなってなんだか実感できた感じ」
 マルベリーも普段よりは声の高さが上がっている。今は人間に声を聞かれることもないため、特に小声で話す必要もなくリラックスもできているようだった。
 孤児院はみんなで壊れたところを修理したり、必要であれば協力して増築したりと木製の建物でとても素朴な雰囲気だったのだが、修道院は反対に多くの人の手がかかっており、整然としているように感じられた。建築材料は石膏が使われているらしく、白と青を貴重としたデザインで天井も広い。窓は全てステンドグラスで、とても神秘的な場所だった。
マルベリーは歩きながら建物の中をじっくりと眺める。おそらくできてから結構な年数が経っているのだとは思うが、ほとんどが寄付金を資金としていたことからとても大切に使い続けていたのだろう。新しい修道院だと言われても疑うことはないと思えた。
「そういえば、アルムさんは無事に仕事を見つけられたかな」
 少し視線を上に泳がせマルベリーが呟く。今回の別行動の目的は資金稼ぎのため、こことは違う街で色々と奮闘しているのだろう。
『あのアルムさんだったら大丈夫だって。なんなら私、見に行ってみる?』
 シルフィードもアルムの人懐っこさを武器としたコミュニケーション能力には一目置いていた。今まで一緒に旅して来た中でも知り合いは多いようだったし、色々なつてを当たっていたりするのだろう。
 また、シルフィードはやる気を出しさえすればちょっとした距離を移動することなど造作もなかった。マルベリーが「見に行ってほしい」と言えば本当に様子を見に行くことも可能なのだった。
「ううん。それはいいや。私も大丈夫だって思うし」
 そう言ってお互いに目を合わせて笑う。そうしているうちに短い廊下を歩き終え、孤児院へのドアを開けた。


 マルベリーがこうした孤児院での生活を送るようになってから一週間が経過した。その間毎日修道院にも通い、病気と闘っている患者の様子を見ながら薬を飲ませる。効果は思ったよりてきめんで、あと二、三日もしたら良くなるだろうと思っていた。治療開始の時には立つこともできなかった患者が、今はもう日常生活も普通にできるようになっており、少しずつ修道院の手伝いもしているようだ。
「それでは、明日も来ますから」
「あ、マルベリー、少し待ってもらえる?」
 荷物を片付け孤児院へ戻ろうとしたマルベリーをシスターが呼び止めた。なんだろうと治療道具の入ったショルダーバッグを肩にかけたまま振り向く。
「もうこの方もほとんど症状はなくなっていますし、本当に感謝しています。それで、少しお礼をしたいのですが」
 そう言ってシスターは膝を曲げてマルベリーと目線を合わせる。そして小さな薬師に耳打ちをした。


 孤児院の裏手には小さな林があり、子供達の遊び場となっていた。今はもうすぐ夕方になるという時間で、子供達はそれぞれ作業部屋で仕事をしているのだろう。今は誰もいない。
 マルベリーは先程シスターからこっそりと教えてもらった場所へと向かって歩いていた。そこには切り傷などの怪我によく効く薬草が生えているそうなのだ。ちょうど在庫が切れかけていたため、好意に素直に甘えることにしたのだった。
 林など、自然の中を歩くことはマルベリーにとってはとても心地良いことだった。歩く足取りもとても軽い。だが、シルフィードはなぜか神妙な顔つきだった。
「どうしたの?」
 マルベリーもその表情を不思議に思い、尋ねる。
『気のせいかもしれないんだけど……。なんだか嫌な予感がするの』
 マルベリーは、シルフィードのそういった感覚には絶対の信頼を置いていた。今までパートナーの言う悪い予感が間違いだったことは一度もなかったのだ。
「そうなの? 私にはわからないんだけど……。何かあるって……」
『静かに!』
 引き続いて尋ねようとした時、眼前に突如飛んできたシルフィードに強く言われ、マルベリーは言葉を止め、立ち止まる。
『マルベリーにはたぶん見えないだろうから、耳を澄まして。話し声が聞こえてこない?』
 そう言われ、マルベリーは立ち止まったまま耳を澄ます。
「……奴はここにいるのか」
「あぁ。ここの修道院で働いているらしい」
「よくもまぁこんなところに紛れ込んだものだな」
「どうやって引っ張り出したものか……」
 複数、おそらく三人だろう。男性の声が聞こえた。マルベリーは一瞬言われているのが自分のことかと思ったが、声をよく聞いてみると、今修道院で治療を受けている患者のことではないかと思い立った。男性達は何らかの理由でその人を探しているのだ。
『この人達、たぶん武器も持ってる。ちょっと見てくるから、マルベリーは気づかれないように孤児院に戻ってて』
 こくこくと無言で頷き、なるべく音を立てないように後ずさる。そして一気に振り向き、全速力で孤児院まで駆け出した。ショルダーバッグの中に入っている薬草の瓶がそれぞれに当たりかちゃかちゃと音を立てたためびくりとしたが、まだ遠い場所だったために気づかれてはいないようだ。バッグの部分を両手で抱えて走る。
 とても穏やかに過ぎていた孤児院での時間が急に変わってしまいそうで、マルベリーは言い知れない不安に襲われてきた。何よりも、多少不便な生活ながらもとても幸せそうに毎日を過ごしている孤児院の子達に何かが起こるということは考えたくない。とにかくなんとか何事もなく過ぎてくれるようにと走りながら祈るしかなかった。

<< ・ >>