そよ風が吹く頃

周囲の視線


新しい街に来たね。
ここではどんなことが起こるのかな。

人間があちこちにいるよ。大丈夫かな。
何も起こったりしないよね?

平気だよ。心配しすぎだなぁ。
それに、守ってくれる人もいるじゃない。

そうだよね。せっかく外に出たんだもん。
あちこち元気に見て回らないとね。

そう。そしたら少しずつ強くなれるよ。

うん。怖がらないで強くなれたら
あなたのところにも辿り着けるよね。



 街中に入ったマルベリーは緊張をしつつアルムの少し後ろを歩いていたが、食堂へ入った途端その度合いをますます強めた。
 夕方の食堂はちょうど夕食を求める人々で混み合っていて、座席に座りきれない人が入り口付近で待っているくらいだった。
 マルベリーはアルムのシャツをぎゅっと握り締め、落ち着かなく辺りを見回す。
 慌ただしい室内は活気があり、店員のお客を呼び込む声や、おいしい食べ物を食べつつお喋りをしている声などが大きく響いていた。長い耳がその声を捉えぴくぴくと動く。
 今までいたフィラレル村では決して見られない光景だった。人々はいつも不自然なくらい静かに日々を過ごしていたのだ。
「すごいですね……」
 思わず呟いてしまう。メニューを見ながらその声を聞いていたアルムはマルベリーの頭を軽く撫でた。
「大丈夫かい」
 シャツを握り締めていた小さなエルフの手を握る。
「あ、はい。つらくなったら言いますので」
 少し顔を硬くしつつ答えるマルベリー。その顔はまだ緊迫した状態ではないようだった。
「心配することないよ。そんなに悪い人はいないから」
 アルムは長い間旅をすることで多くの人を見てきている。人を見る目は充分にあるのだろう。マルベリーはおとなしく頷いた。
 食堂の人々は自分達の食事や話に夢中になっていて、小さく縮こまっているエルフに気づかない人がほとんどだった。時々「あ、耳長い」などという声が僅かに聞こえてきて身を硬くするが、特に何かをしてくるわけでもないようだ。
 フィラレル村では特殊種族ということもあり、一挙一動について全て注目されていた。人の弱い面を見つけて攻撃をする子供達からは特にそう感じられ、自分の家にいる時以外は心の安らぐ時がなかったくらいだ。
「自意識過剰なのかもしれないですね。私、みんなから見られているっていう感じをいつも受けてるんですけど、ここではそんなことないみたいです」
 ふうと一息ついたマルベリーにアルムは笑顔を見せる。
「今までが今までだから仕方ないかもしれないけど。でも、みんなそんなに周りのことに目を向けているわけじゃないんだ。だから気にしなくていいよ。おとなしくしてたら何も起こらないだろ。たぶん」


 部屋の隅で二人分の椅子が空いたため、席に移動する。壁側にマルベリーを座らせてアルムは隣に座った。
 マルベリーは人の波に酔いそうになったがなんとか座ることができた。再び一息つき、テーブルの上に軽く突っ伏す。
「疲れてんなぁ。まぁそれもすぐに慣れるさ」
 笑顔を浮かべたままのアルムは「注文するよ」と店員を手招きして呼んでいる。すぐに水の入ったコップを持った若い女性店員がやってきてテーブルの上にそれを乗せた。
「やっほ。今日も来たよ」
 顔馴染みなのだろうか。とても親しそうに話しかけているアルム。マルベリーはそれをただ見ているのみだった。だがすぐに気を取り直し、とりあえず会釈だけしておく。
「アルム! そろそろ来てくれるんじゃないかって思ってたよ。今日も美味いものたくさんあるよ。どれにする?」
「そうなんだよ。ここはいつ来ても迷うんだよな」
 慌ただしい中のため長くは無理だが、軽くアルムと店員とで世間話を始めていた。フィラレル村へ出かけるということも以前会った時に話しているらしく、話がとんとんと進んでいく。
 手持ち無沙汰になったマルベリーはその二人の様子をじっと見ていた。女性店員は動きやすそうなタンクトップにパンツスタイルで、髪はショート。少し日焼けをした小麦色の肌がとても活発そうな性格だと感じさせた。
 小さなエルフからの視線に気づいた店員がにっこりと微笑んでくれる。大きな黒色の目にじっと見つめられ緊張したが、不思議と怖いなどという感情は出てこなかった。それでも自分の顔が固くなっていることに気づいたためそれを元に戻し、相手に向かって軽く微笑んでみる。
 アルムは店員と話をしながら小さな冊子になっているメニューをマルベリーに手渡した。
「これを見て食べたいものを選んでごらん」
 手渡されたものを受け取り頷いてみたが、メニューには食べ物の名前がただ羅列されているだけで、どんな料理かわからないものの方が多かった。とりあえずサラダはわかったためそれにしようと考えたのだが、それもどのような食材を使っているのかが掴めない。詳しく知りたいと思ったが、それでも聞くことはしなかった。肉類や魚類はあまり好まないため無難なものでいいと判断したのだった。
「アルムってば、珍しい子連れてるよね」
 一通り世間話の終わった店員がマルベリーを再び見つめていた。
「ちょっと預かることになったんだよ。可愛いだろ」
 にっこりと笑ってマルベリーの頭を撫でた。そして自分の食べ物を注文する。
「何にするか決まったかい」
 アルムからの問いかけにマルベリーはメニューの文字を指差した。
「あの、私にはほとんどのメニューがわからなかったので……。サラダと、あとはパンをお願いします」
 マルベリーの注文を聞いた店員が思わず声を上げて笑い出す。その声は夕食時の喧騒の中でも室内いっぱいに響き渡る強さを持っていた。さすが店員と言える。
「サラダ? いいのかい。そんなに腹持ちの悪いもので」
 アルムが確認をする。しかしマルベリーにとってはいつも野菜ばかりを食べている生活なので特に気にすることはないのだ。
「はい。いつものことなので。私はその、肉類魚類が苦手なので……」
「うわっ。偏食かぁ。もったいない!」
 アルムが手で目を覆う仕草をする。その合間に店員は料理人にオーダーを読み上げていた。
「さすがだよね。草食ってなんだかエルフって感じがするよ。私も今まで聞いたことしかないんだけど。初めて見たなぁ。やっぱりエルフは耳が大きいね!」
 悪気は全くないのだろうがエルフエルフと大きな声で何度も言うため、周りの人々の視線も次第に集まってきた。席を立って二人の方に近づいてくる人もいた。マルベリーはメニューで顔を覆いアルムの後ろに隠れるように身を潜める。席が端で良かったと今更ながら思った。
 今まで食事を取りながら談笑していた人々は単純にエルフの存在に気がつかなかっただけで、やはり興味はあるのだろう。おそらく皆初めて見る特殊種族に一度に関心が移ってしまったのだ。
 パートナーの感情の異変を感じ、今まで黙って二人の様子を見ていたシルフィードがマルベリーの肩に座った。基本的にシルフィードはマルベリーから呼ばれた時以外は黙って風として辺りを飛んでいるだけなのだが、必要だろうと判断した時は自分から行動することもある。
『大丈夫?』
 話しかけてみるが、相手からはただ首を横に振られるのみだった。こういう時人間などの前に姿を表すことのできない精霊は無力感に駆られる。傍にいる保護者的存在の人間に託すしかなかった。青年がどういった行動を取るのか注目してみる。
「ほら、みんなそんなに一斉に見るから緊張しちゃってるじゃんかぁ」
 アルムがマルベリーを軽く抱きかかえた。小さなエルフは檻に入った小動物のように震えている。元々白いためあまり伺えないが、顔色はまだ悪くはなっていないようだった。
「こいつはまだ旅慣れてなくて人ともあまり話とかしたことないから、お手柔らかに頼むよ」
 マルベリーを安心させるように軽くぽんぽんと頭と背中を撫でながら周りの人々に言う。マルベリーは顔全体をアルムの胸にくっつけて隠そうとした。だが耳だけは長いため隠し切れずにぴくぴく動いているのが容易くわかってしまう。
 人々は「エルフだ」「肌白い」「耳長い」などと人間と違うその特徴に注目し呟いている。それを聞き取りますますマルベリーが震えているのがわかった。
 人間達はただ単純な興味というだけで、特に危害を加えてきたりはしないだろうとアルムにはわかっていた。だがマルベリーはこの調子で、どうしたらそれが収まるだろうかと考えるのと同時に、夕方に食堂に来たのは失敗だったと反省もする。
 人間達に注目される原因となった店員はアルムと目が合った時に両手を合わせ「ごめん」と声には出さずに口だけを動かした。


「エルフって、もういないんだと思ってました」
 興味が心の中だけでは収まらなくなってきたのか、二人を取り巻いていた人々の中の一人がアルムに話しかけてきた。ブロンドの髪の毛が柔らかそうな若い少年。話し方は比較的穏やかだった。
 エルフが人間の目から隠れるようになって数十年、大量虐殺が起こってから十五年、そして虐殺禁止令が出てから十年が経過していた。この期間は長いか短いか。
 ある程度年齢が進んだ人々から見ると比較的記憶に新しく、今まで起きた出来事も軽く聞いたことはあるはずだ。確率は低いがもしかしたらエルフ自体を見たことのある人もいるかもしれない。
 ただ、若い人々は人づてでの情報でしかその存在を知らない。今表立ってエルフが実在していることを知る人はわずかだろう。たいてい大量虐殺時にいなくなってしまったし、それが禁止された時ももう既に天然記念物並みにその数は少なく、間もなく絶滅もありえるとされていたからだった。
 そんなエルフが目の前にいるのだから、興味を持つのは仕方のないことなのかもしれない。だが、エルフが今まで受けてきた仕打ちを知らずに無遠慮に関わろうとするのは避けてほしかった。
 一部の人々を除き、たいていは異種族などが持つ特異能力の範囲を知らない。本当に人々を傷つけるような能力を持っているのかということすら知らない。ただ聞かされて褒美が出たから虐殺の手助けをしたという人々がほとんどに違いない。そのため、現在はエルフに対しては恐れることは少なくむしろ同情の思いがあるものと思っていた。アルムはそう判断したからこそ、マルベリーを連れて街を歩いても平気だろうと踏んだのだ。
 早くマルベリーにもそのことに気づいてほしい。そうアルムは思う。本当にエルフに対して危害を与えるような人が現れた場合は全力で守るが、そういった人物に巡り合う方が少ないことに。たいていの人々は平和的に解決しようと思ってくれるはずだ。今回のマルベリーに対しての興味も、新しくできた友達に好きなものや趣味などを聞きたいと思うのと同じようなものなのだ。
 全てに対して敏感に反応するのではなく、強くなって順応していってほしい。そして多少の攻撃からも軽くかわせるくらいになってほしい。それまではじっくりと見守っていきたいと考えている。
「実際、ここにいるだろ。まぁ、数は少ないっていうか、ほとんどいないよな。それがどうしてかってことを考えたことはあるかい」
 先程話しかけてきた青年にアルムが答える。
「そして、自分の目で見てどうだい。どういう印象を受けたかな。これはたぶんこいつも気になってるだろうから、話してみてほしいなぁ」
 一瞬マルベリーの方を見て、そして青年に対して言葉を進める。言われた側はそんな質問が飛んでくるとは思いもよらなかったらしく、目線をうろうろさせ戸惑っているようだった。
「みんなでもいいよ。こうして震えてるこいつを見てどうだい。人間達が恐れていた種族だけど」
 周りの人々の話し声や呟きがやんだ。みんなどう答えたらいいのかわからないのだろうか。しばらくの間沈黙が続く。
「見てごらんよ。この姿。可哀想に、今まで人間から嫌な仕打ちを受けてたから、これからどんなことをされるんだろうってこうして震えてるんだよ」
 マルベリーの頭を撫で続けたまま、辺りの人々に対して更に言葉を続ける。
「エルフは特殊能力を持っていて、その力が人間に向けられると脅威だってことで異種族狩りがあったけど、でも考えてみなよ。確かにエルフの力は大きいと思うし、人間が束になっても敵わないだろうよ。だけど、人間だって恐ろしいよ。むしろ俺は平和的なエルフを虐殺に追いやった奴らの方が怖いね」
 声は多少低くはなっているが、表情はむしろ少し微笑んだ形でアルムは話す。それでもこういう時は普段の人懐っこい部分との差があって少し怖いという印象を周りに与えるかもしれない。考えの底が見えないのだ。
「自分を守るためだったら、エルフにだって立ち向かっていく必要はあると思う。けど、昔あったものは明らかにおかしいだろ。そして、人間が異種族を恐れていたはずなのに、今はエルフが人間を恐れてるんだよ」
 アルムは頭を撫でていた手を小さなエルフの頬に移し、顔を上げるよう促す。マルベリーはまだ硬かったが、アルムの手の暖かさを感じてゆっくりと顔を上げた。エメラルドカラーの瞳が潤んできらりと部屋の明かりに照らされた。


「エルフは確かに特殊能力が計り知れないから恐れるべきだと本にありました。その気になれば人間の存在すら消してしまうことができると。……僕は正直、見たこともなかったのに、今までエルフは恐ろしいと思っていました」
 しんとしてしまった空気の中、先程話しかけてきたブロンド髪の少年がぽつりと話してきた。今は食堂にいる人々皆がその言葉に意識を傾けている。奥の部屋にいる料理人すら料理の手を止めカウンターの奥から耳を澄ましているくらいだった。
「この子を見て驚きました。少なくとも僕は恐ろしいとは感じません。むしろ驚かせてしまって申し訳ないと思うくらいです」
 そして小さなエルフに向かって一歩近づいてきた。マルベリーはアルムの手を強く握り締めた。それでもなんとか少年の顔を見つめ続けるよう努力する。身体は震えていたが、自分自身を押し込めた。
「怖いのは悪意を持って特殊能力を使うことであって、それさえなければ僕は平気です。そして、エルフはそんなことをしないということですよね」
 少年はマルベリーを見つめたままにっこりと笑顔を見せた。
「ごめんね。大丈夫。何にもしたりしないよ。可愛いエルフちゃん。僕は食事に戻るから、君もゆっくり食べて」
 少年はマルベリーの髪に触れようと思ったが、相手の様子を見てそれは躊躇した。そしてくるりと後ろを向き、先程まで座っていた席へ戻り食べかけの食事の続きに入る。様子を見た人々も同じような思いを感じたのか、そのまま自分の席へ戻っていく。夕方の食堂の活気がまた戻ってきた。
『よかったぁ』
「よかった……」
 ほぼ同時にシルフィードとマルベリーが呟く。張り詰めていた気を緩ませほっとしたのかマルベリーの潤んでいた瞳から一粒涙がこぼれた。
『人間って、私もよくわからない。何を考えているのかもわからない。でも、優しい……のかな』
 シルフィードの呟きにマルベリーも軽く頷く。
「うん。ごめんねって言ってくれたね」
「あぁ。だから言っただろ。悪い人はなかなかいないって」
 シルフィードに対しての言葉だったが、それをマルベリーの独り言だと勘違いしたアルムがそれに答える。改めて席に座り直し「腹減ったよ」と軽く腹部を叩きつつ呟いた。マルベリーもようやく自然な笑顔を見せる。
「私のせいで食事が遅れてごめんなさい」
 謝る小さなエルフにアルムはじっとマルベリーの瞳を見つめた。
「なーに言ってんだか。謝ることないよ。ただ待てばいいだけなんだから。これで料理が食べられないって言われるんなら思いっきり怒るけどな」
 大声で笑ってマルベリーの背中をどんどんと叩く。多少力が強かったのか、マルベリーの上半身がぐらぐらと揺らいだ。それを見て周りの人々はとても微笑ましい印象を受けていたのだった。


「こそこそするのは好きじゃない。だから俺は普通にこれからも旅するよ」 
 食事の後は買い物に行く予定ではあったが、食堂での様子を見てこれ以上の無理はいけないと感じ、早々と宿を取り部屋で休んでいた。その部屋の廊下側にあるベッドに大の字になって寝転びながらアルムがぽつりと呟く。
「人間が悪いことをしたっていう思いはあるけど、エルフを始めとした異種族が何かをやらかしたという記憶はない。人間達の勝手な思い込みのせいで行動が限定されるのは腑に落ちない。明るい太陽の下で胸張って歩いていったらいいんだ」
 天井を眺めて話し続ける。マルベリーも窓側のベッドに座っていたが、降りて部屋にあるもう一つのベッドに近づき顔を覗き込んだ。アルムは軽く掛け声を上げて起き上がる。
「どうだい。疲れたかい。もう旅はしたくなくなったかい」
 マルベリーは無言のまま首を左右に振った。茶色の髪の毛がさらさらと流れる。
「さっきはちょっとびっくりしただけです。急にたくさんの人から見られたので。でも、想像よりもとても優しかったです。なので、大丈夫です」
 人間といえば、マルベリーを見かけるたびに必ず何らかのマイナス的な反応を見せるものと思っていた。今までいた村であったようにからかいの言葉をかけられたり、怪我をさせられたり。それは外へ出ることによって今まで以上の数の人間と出会うことにより、それがエスカレートしていくものだと考えていた。ところが実際は物珍しそうな目で見られはしたが、それ以上のことは特になかった。むしろ過剰反応してしまってせっかくの好意も無駄にしてしまったような気がする。
 食堂で謝ってくれたブロンド髪の少年も、ただ単純にマルベリーについて知りたいと考えただけだったのに、疑ってしまった。もしまた会えたとしたら今度は自分から謝りたいと今は思えるようになっている。
「そっか。それじゃこれからも頑張ろうな」
 アルムは目の前のエルフのはきはきとした反応に笑顔を見せる。人間達がエルフのことについて何も知らないのと同時に、マルベリーも人間についてほとんど知らない。全員が村での人々のようなものだと思わないでほしいし、基本的にはエルフも人間も同じだということに気づいてもらおうと考えた。
「人間達は、特にエルフに対して悪いイメージを持っていなかったとしても、お前が怖がれば怖がるほどはやし立てるよ。あの村の人達のようにな。だから、まだ慣れないかもしれないけど、人間を見たら笑ってごらん」
 そう言ってアルムはにやりとした笑みを見せた。
「大丈夫。赤ん坊がにこにこ笑ってる様子を見て思わずこっちも笑っちまうくらい、お前の笑顔も充分威力があるよ」
 そして両手でマルベリーの両頬を軽く引っ張った。口を横に広げて笑顔を作ろうとする。無理矢理の表情で顔が歪むその様子がなんだかおかしくてアルムの方が吹き出してしまった。マルベリーはその様子に軽くむっとしたけれど、すぐにつられて笑い出す。手を離したアルムはまたベッドに横になり天井を眺めた。
「そういえば、人の数が少なかったら平気なのかい」
 突然の問いにマルベリーが一瞬ついていけなくなり首を傾げる。
「いや、さっきのチェカと話してた時、ちょっとだけど笑ってたよな。あれでいいんだけど」
 チェカというのは先程の食堂店員の名前だろう。マルベリーは優しく微笑んでくれた活発な女性の姿を思い浮かべた。
「それは……、なんとなくですが、あの方は大丈夫だって思ったんです」
 マルベリーが初対面のアルムに感じたような思いを、この青年に対してより度合いは低いがあの店員にも感じていた。あの人は何もしてこないと思えたのだった。
「そうなのか。どっかで感覚的に感じるものがあるのかね」
 アルムは少し何かを考えているようだったがすぐにそれをやめ、ベッドに寝転がったまま傍らのテーブルに置かれているリュックからお菓子を取り出し口に入れた。それは先程マルベリーを驚かせてしまったお詫びにと女性店員、チェカから手渡されたクッキーだった。
「ひとまず、今日はゆっくり休め。また明日も旅があるし、今日みたいなことがこれからずっと続いていくんだからな」
 袋からクッキーを幾つか取り差し出す。マルベリーは両手でそれを受け取り、一つずつ食べてみた。
「おいしいですね」
「そりゃそうだよ。クッキーだもんな」
 アルムがにこにことしてお菓子を頬張っている。やはりこの青年にとって食べている時が一番幸せな時なのかもしれないとマルベリーは思った。
「はい。今日は歩きましたし、けっこう疲れたのでゆっくり寝たいと思います」
 窓側のベッドへ戻って眼鏡を外し、毛布を被る。そのままじっとしていると自身の体温で次第に中が温まってきて心地良くなってきた。


「明日は今日できなかった買い物をして、それからまた違う街へ行こうと思うんだ」
 お菓子を食べ終わったアルムがマルベリーに次の目的地について教えてくれた。
「そうなんですか。今度の街はどんなところなんでしょうね」
 マルベリーは横になったまま首だけをアルムの方へ向き聞いた。アルムは肩肘を立てて少し体を起こし、マルベリーの方を見ていた。
「次の街か。そうだなぁ。だんだん海の方へ近づいていく予定だから、森とかは少なくなるかな。あとは建物の数が多いとか」
「海ですかっ!」
 海という言葉に反応してマルベリーの声が思わず大きくなる。山育ちのため近くで海を見たことがないのだ。
「おっ。海は好きかい。だとしたら喜べ。港町はまだ遠いけどそこまで行って、そして船に乗るつもりなんだよ」
 船という言葉も非常に魅力的だった。マルベリーは船に乗ったことがない。どんなものだろうと想像するだけでとても楽しくなってくる。アルムは先程のお菓子が入っていた袋を広げ、ペンでさらさらと簡易的な世界地図を描いた。それを向けてくれる。マルベリーは眼鏡をもう一度掛け直し、その紙を覗き込んだ。
「この世界は四つの大陸からできてることは知ってるよな」
 マルベリーは頷く。この辺りは本や両親から聞いた情報だ。
「今俺達がいるのはこの左上のソプラ大陸で、右上がフレシア大陸、左下がゴーシュ大陸。そして、俺が行こうと思っているのがこの右下にあるチャモニー大陸。ちなみに俺の故郷でもあったりするんだ」
 アルムはひとまず故郷のある街へ行こうとしているらしい。前に言っていたのはこのことだったのだろうか。アルムは故郷でエルフについての情報を聞いたことがあるのかもしれない。
「昨日言っていたことって、このことだったんでしょうか。旅の当てがないわけじゃないって」  思わず呟いたマルベリーの台詞にアルムはしまったという苦笑を浮かべる。
「ありゃ。聞こえてたか。さすがだなぁ」
 アルムにとってエルフの人間より優れた聴覚は予想外だったのだろう。むしろマルベリーにとってはそういった人間との差を感じさせない反応の方が嬉しく思う。
「そうだよ。俺の住んでた街でちょっとエルフについて聞いたことがあるんだ。それがお前の家族に繋がるかってのはわからないけどな」
「そうなんですかっ」
 マルベリーは思わずがばっと起き上がってしまう。動いたことによって毛布の隙間から冷たい空気が入り軽く身震いをした。
「ひとまず、エルフについてお前も俺も知らないから、ちょっと調べた方がいいかなって思ったんだよ」
 アルムの台詞にマルベリーはこれからの旅にかなりの希望を見出していた。
「チャモニーに渡るために船にも乗りますし、もしかしたら重要な手掛かりも掴めるかもしれないですね。楽しみです!」
 嬉しくなり気分が高揚し、布団の中ではしゃぐマルベリー。その様子は本当に子供だった。両腕を上下に動かし毛布をぼんぼんと叩いている。
「港町に着くまでにまだまだ時間がかかるから、お楽しみまでは待ち遠しいかもしれないけどな」
 そう言うアルムはなぜか苦笑が続いていた。うきうき気分のマルベリーを見て失敗したと思う。もう少し考えて行動した方が良かったと。
「はぁ。無意味な期待をかけたくなかったから言いたくなかったんだよなぁ。行ってみて空振りだったらどうすっかな」
 持っていた手書きの簡易地図をテーブルに置き、毛布を頭まで被るアルム。その様子を見ていてマルベリーはふと思った。アルムの故郷がチャモニーだということ、年齢が二十歳だということ、五年前から旅を続けていることなどはわかるが、それ以外は未知の部分が数多くあることに。アルムは今では無条件で信用していいと思えるくらいだが、それでもつい先日会ったばかりの人間である。
 これから長く旅を続けることによって知識が増えてくるとは思うが、マルベリーはアルムを含めた人間達についてもっと多くを知りたいと思い始めていた。

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