そよ風が吹く頃

温かな場所


ようやく着いたね。
待ち遠しかったよ。お久し振り。

直に会うのは何年振りだろうね。
こうなるとは思ってなかったけど
会えて嬉しいよ。

あまりゆっくり再会を喜べないのも
複雑なところではあるけど。

急がなきゃいけないことが
たくさんあるから仕方ないよ。
でも、まずは連れて来るんでしょ?

うん。会いたかったのは
僕だけじゃないからね。



 初めての船旅は、途中少々天候が悪化したりもしたが比較的順調に進んでいった。マルベリーも初日に甲板で大いにはしゃいでからは天気のいい日に時々アルムと日光浴をする程度でおとなしく過ごしていたし、セラフィルも呪いの症状が現れた時や悪天候時の船の揺れに顔色を悪くすることはあっても薬師のつきっきりの看護で大事には至っていなかった。症状の現れる間隔が短くなっているように感じるのが少々気がかりだったが、常に横になれる環境があるため多少の安心感もあった。
 そして、船はいよいよ目的地であるチャモニーへと到着しようとしていた。
「わぁ、セラ姉ちゃん見てみて。陸が近づいてきたよ。なんだかソプラ大陸とは全然違う建物がたくさん並んでる!」
 もう身支度を終えたマルベリーが出発時と同様に辺りの景色を窓にべったりと張り付いて眺めていた。セラフィルもその言葉を受けて窓へと目線を移してくれる。
 港付近は海とほぼ同じような高さだが、街の奥へ行くに当たり山になっていた。事前情報の通りやはり大きな街のようで、以前いた場所よりも背の高い建物が多く建ち並んでいる。その間隔も狭い。ソプラ大陸では自然と共に暮らしているという感じだったが、チャモニーでは文化がかなり発達しているのだろう。
「この街は人が多いから緊張するかもしれないな。でもはぐれさえしなければ平気だからな。俺にとっては馴染みの場所だし」
 アルムも出発の準備を終えたのかベッドに座って到着を待っていた。マルベリーの様子をじっと見てみる。セラフィルと共に窓を指差し楽しそうに会話をしている小さなエルフは、今は新しい発見への期待でいっぱいなのだろう。思わず顔が綻ぶ。だが、だからこそ気を引き締めなければと考えていた。
 そうしているうちに、遠目に見えていた陸や建物などが徐々に近づいて来ていた。それに伴い霞んでいたものがはっきりと見えてくるようになる。マルベリーはその一瞬を食い入るように眺める。
 船が一際大きく揺れて、そして止まった。あとは波の浮遊感のみ。間もなく甲板の方から大きな鐘の音が聞こえてきた。船が到着した合図だろう。
「着いたね」
 ショルダーバッグを肩にかけたマルベリーが船室のドアまで駆け寄る。その表情は明るい。もちろん不安もあるが、アルムとセラフィルの二人がいれば大丈夫という思いの方が今は勝っていた。ほとんどの人が船を降り終わって落ち着くまでその場でじっと待つ。ドア越しに話し声が聞こえなくなってから、二人に手を引かれて小さなエルフは甲板まで歩いて行った。
「……」
 言葉が出なかった。船室の窓から眺めていた時から感じてはいたが、あまりにも今までいた場所とは違っていたからだ。もちろんソプラ大陸の港町も大きく、数多くの人でごった返していた。マルベリーはその勢いに飲まれそうになっていたが、チャモニーはそれ以上。というより他の場所にいたという記憶のない小さなエルフにとっては、想像を遥かに越えていた。
 素直な感動と、期待と、そして一気に不安が襲い掛かってくる。立ち止まり震えが走った状態が周りに伝わったのか、アルムが頭を軽くぽんぽんと撫でてくれる。
「大丈夫だから」
 足は震えるが、でも今まで見たことのない色々なものを見たいとも思う。怖くて下を向いていたいという思いと景色などを眺めていたいという思いとでしばらく葛藤していたが、そのアルムの手によって後者に決定することにした。
 必死にこの景色を覚えていようと不自然にきょろきょろと辺りを眺めていたが、めまぐるしく入ってくる新たな情報に頭が追いつかず、アルムとセラフィルに手を引かれてついていくことしかできなかった。
 チャモニーの港は広く、至る所に多くの船が並んでいた。そしてそこをひっきりなしに人が行き交う。マルベリー達のような旅人もいれば、大きな荷物を運搬する人もいる。この街ではソプラ大陸とは違い、比較的エルフのことは知られていると聞いてはいたが、その存在自体は珍しいようで、やはり物珍しそうに眺められる。
 それでもその視線には今のところ悪意などは感じられなかった。むしろ数人からは驚かれながらも丁寧に会釈までされていた。どうしてだろうと首を傾げるマルベリーにアルムは苦笑するしかない。人ごみのある場所から離れるまでは詳しく説明をしている時間がないのだろう。途中で人の波が大きすぎてはぐれてしまうと判断したのか、手を引かれていた状態からいつの間にかアルムに抱きかかえられていた。


 港から出て少し歩いたところで、アルムは少し細い路地に入って止まった。ようやく人ごみから開放されたマルベリーは軽くため息をつく。セラフィルも少々疲れたのか、建物に背中をつけて寄り掛かっていた。
「さて。まずは俺の家に行くけどいいかな」
『えぇー、早くセラの呪いを解ける人の所に行こうよ!』
 セラフィルの肩にずっと座っていたディーネが身を乗り出して訴えるが、アルムにはもちろん聞こえてはいない。
「ディーネが、早くセラ姉ちゃんの呪いを解いてくれる人の所に行きたいって言ってるよ」
 代わりに伝えるマルベリー。アルムはそれを聞いて上を向き、額に手を当てて少々考え込んだ。
「うーん。この大陸には確かにエルフがいるけど、俺は誰がそういったことができるのかわからないんだよ。だからまず、またセラが倒れたりしたらいけないから、ゆっくり落ち着ける場所に行って、それから探した方がいいんじゃないかって思ったんだけど」
 その言葉に素直に頷くディーネ。でもその後すぐにシルフィードの方を見た。
『呪いを解ける人に心当たりはあるんだよね』
 シルフィードは『そうですね』と頷いた。
『おそらくですが、あの人しかいないと思います。でも、すぐに会えるかはわからないですね』
『そうなのかぁ』
 落胆するディーネ。その髪の毛をセラフィルが「大丈夫よ」と言いながら撫でていた。
『マルベリー、ちょっと出かけてきてもいい?』
「うん。いいよ」
 シルフィードがパートナーに尋ねる。マルベリーは少々首を傾げながらも了承した。小さなエルフにとっては初めての街でも、風の精霊にとっては来たことのある街なのだろう。
「どうするか決まったかい」
 シルフィードが単独行動に飛び立った頃、アルムから声がかかった。アルムだけが精霊の声を聞くことができないため、これからどう行動するかの小さな会議が終わるまで待っていたのだった。
「今、シルが街を見て回ってるよ。それで、私達はまずそしたらアルム兄ちゃんの家に行ってみることにしようかな。もう夕方だし、正直ちょっと疲れたし」
 やはり人ごみの中を歩くということはかなり体力的にも精神的にも消耗するようだった。アルムは頷いて、またマルベリーの手を取り歩き出す。セラフィルももう片方の手を取ってその後について行った。


 チャモニーの街は大通と細い裏道が幾重にもなっており、更に似たような形状の家が多いということもあって、マルベリーは今自分が街のどの辺りを歩いているのかが全くわからなかった。ただ黙ってついて歩くのみだ。アルムはやはり生まれ故郷ということもあって足早にすいすいと歩いていく。これは確かに、人が多いということでも怖いが、はぐれると更に怖い思いになるだろうと実感した。知らずにアルムの手を握り締める力が強くなる。
「大丈夫だって。あと少しだよ」
 手の力を感じたアルムが後ろを振り返り微笑む。そして少し歩く早さを遅くした。辺りを眺めながらおどおどと歩いていたマルベリーは、それで少しだけ気を落ち着かせることができた。
 今アルムが歩いているのは住宅街。周りの家々は一軒一軒は小さいが高さのあるレンガ造りで、狭い場所に多くの家が建っているためか、今日は天気が良く西日が鮮やかなオレンジ色になっているのに裏路地は少々薄暗かった。空間を最大限に活用するために窓から窓へとロープが通されており、そこに洗濯物が干されている。道にも少々不揃いでがたがたとしているがレンガが敷き詰められていた。その隙間から草が顔を出している。
 洗濯ロープが通されていない出窓などには鉢植えの花が飾られていたりして、雑多ではあるがとても可愛らしく親しみの感じる街並みだった。
「あ、あれってアルムじゃん!」
 レンガ路地を走り回っていた子供達の一人が歩く旅人一行に気づいて叫んだ。それを受けて周りの子供達の目線が一気にマルベリー達へ向く。小さなエルフはそれに一瞬びくりとしたが、駆け寄ってくる子供達の興味はアルムに集中していた。
「アルムー。久し振りだなぁ!」
「いつ帰ってきてたんだよ」
「また遊んでくれるんだよね?」
 一斉に取り囲まれ話しかけられるその勢いに押され、マルベリーはアルムの手を離し、セラフィルと一緒に路地の隅で立ち止まった。子供達から慕われている青年はその一人一人に優しく頭を撫でながら話しかけている。
「今帰ってきたんだよ。これから家に行くところさ。時間ある時があったら遊びに行こうな」
「うん!」
 素直に頷く様子がとても微笑ましいとマルベリーは思った。自分が育った村で見た人間の子供達の陰険な表情とは違い、とてもまっすぐに育てられている子達なんだろうなぁと考える。
「ここに帰ってきたのは、チャモニーを案内したい人がいたからなんだよ。ほら、あそこにいるおちびさんとお姉さん。いじめないでやってくれな」
 一通り子供達と話し終わったアルムがマルベリー達を指差す。一斉にまた子供達の視線が、今度はしっかりと小さなエルフを捕らえる。「おぉー」や「エルフだー。見たことある!」などの話し声と共に駆け寄ってくる。もちろん年齢はマルベリーの方が上だが、身長は周りの子供達と比べてかなり低いため、近づかれると見下ろされているようで非常に怖い。家の壁に背をつけ、たじろぎながらもぺこりと会釈をしてみた。
「こんにちは! 小さくて可愛いねぇ」
「名前なんて言うの? 遊ぼうよ!」
「お姉さんも美人さんだよねっ」
 可愛らしい子供達の声の中で少々ませている子もいて思わずセラフィルが微笑む。マルベリーも思った以上の優しさに驚いて挨拶を返すことができなかった。
「ほらほら。あまり人に慣れてない子なんだから驚かさないように。……じゃあ、ちょっと家に帰ってくるから。もうすぐ帰る時間だろうけど、仲良く遊ぶんだよ」
「うん!」
 子供達の頷きを確認してから、再度マルベリーと手を繋いで歩き出すアルム。
「あ、アルムー。今ちょうどシアンがお使いに行っているところだよ。もうすぐ戻ると思うんだけど、いつも会いたがってたから」
 子供達のうちの一人が続けてアルムに話しかける。青年は後ろを軽く振り向いた。
「あぁ。わかったよ。シアンにも会うのは久し振りだなぁ。みんなと同じようにあいつも大きくなっているんだろうな」
 アルムとセラフィルに手を引かれて再び歩き出したマルベリーは先程までは気がつかなかったが、子供達の声が聞こえたのか、家のあちこちの窓から多くの人々が顔を出してこちらを見ているのを感じていた。上から「アルム」と声がかかる度に青年は軽く手を振って応える。これだけ大きな街でこんなに慕われているということに小さなエルフは妙に感動をしていた。
「この辺りだったら比較的平気かな。みんな良い人達ばかりだよ。俺がちっちゃな頃から色々と世話になっているし」
 この周辺はもうアルムの家の近所なのだろう。人々みんなが家族のような温かさがあった。以前にも同じような感覚があったと考えていたが、アルムと二人で孤児院にお世話になった時だったと思い出した。こういった雰囲気はとても心地良いと、セラフィルと目を合わせて微笑んでいたところで、アルムが「ここだよ」と言って立ち止まった。
 裏路地の隅に、周りの家よりほんの一回りだけ大きなこれまたレンガ造りの家があった。玄関の付近には小さな花壇があり、可愛らしい色の花が咲いている。玄関から中には入らずに少し壁伝いに歩いていくと窓があり、そこに通されていたロープから洗濯物を取り込んでいる少々恰幅の良い女性がいた。
「母さん、ただいま」
 アルムが声をかける。その声を聞いて女性が後ろを振り向き、驚いた顔をする。薄茶色の上着とお揃いのスカートに清潔そうな水色のエプロンをつけた、人の良さそうな肝っ玉母さんという風貌だった。
「アルム! あんたったらもう。いつも突然で! 帰ってくる時は手紙でいいから連絡ちょうだいっていつも言っているでしょう!」
 洗濯物を取り込む手を止め、持っていた服を傍に置いてあるたらいに置いてから、アルムの方へずかずかと歩いてきた。息子にとってはその反応は慣れたもので全く動じない。
「なかなかタイミングが掴めなくてね。帰ろうって思うのがいつも突然だからさぁ」
 あははと笑うアルムの背中をばんと叩く母親。その力はとても強く、さすがのアルムも少々痛そうにしていたが、やがて旅の連れ二人の後ろに回り、それぞれの背中に手を当てて軽く押し出した。
「この二人をチャモニーに案内するために帰ってきたんだよ。二人ともちょっと訳ありでね。しばらく家にいてもらおうと思うんだけどいいかな」
 アルムの言葉を聞いて、ようやく母親はマルベリーとセラフィルの存在に気がついて苦笑した。
「あれまぁ。連れがいたのかい。ついいつものようにやってしまったよ。恥ずかしいところを見せちゃったねぇ。私はあいつの母親で、ティーナって言うんだ。よろしくね」
 そう言ってにこやかに微笑んでくれるティーナ。二人に近づいてそれぞれの手を取り、家に入るよう促す。
「船に乗って来たんだろう。揺れなかったかい? 疲れただろう。ここはけっこうあったかいところなんだけどそろそろ冷え込むから、早く家に入ってゆっくり休みなさいな」
 そして三人で家に入る直前にまだ外にいるアルムに向かって洗濯ロープを指差す。
「あ、アルム。残りの洗濯物を取り込んどいて」


「うちは人数が多いからちょっと手狭だけど、それでも良ければゆっくりしていきなよ」
 家の一階の中心部である居間に通されて温かな飲み物を振舞われる。やがてティーナが自分とアルムの飲み物を持って同じく床に座った。間もなくたらいを抱えたアルムもやってきて、部屋の隅に置いてから腰掛ける。そして辺りをきょろきょろと眺めていた。
「今は母さんの他に誰もいないってことはないよな。さっきシアンが使いに行ってるとは聞いたけど」
「あぁ。シアンは買い物だよ。今ルキア達が夕飯を作っているんだけど途中で材料が切れてね。ちょっと商店街に行ってもらってるんだ。まぁ、夕飯の時は全員揃うから、その時に紹介すればいいだろ」
 ティーナによるとこの家には兄弟が多くいるらしい。今はお使いに行っている一人を除いて揃って夕飯を作っているため、アルムが帰ってきていることは伝えてはいるが、料理に集中しなさいと話をしているらしい。
 ただ黙っているのは落ち着かない上に申し訳ないので手伝おうとセラフィルが立ち上がったが、それを軽く手で制した。
「これ以上台所に人が入ったら動けなくなってしまうよ。そうだねぇ。明日からとかはそうしたら当番制とかにしようかね。ひとまず今日は座ってなさいな。大丈夫。いつもうちは食事を人数分より多めに作っているから」
 今回のアルムのようにいつも突然に帰る家族に備えてのことなのだろうか。心配ないと言われた以上更にでしゃばるわけにも行かず、セラフィルは再び座って飲み物を飲む。マルベリーも室内を見渡しながら喉に優しい飲み物を味わっていた。
「……あれ?」
 台所のドアの正面に座っていたマルベリーは、そのドアがほんの少し開かれ、そこから数人が居間を覗いているのを見つけ、軽く声を上げた。小さなエルフの隣に座っていたアルムがその様子を見て笑い出す。台所に背中を向いて座っていたセラフィルが振り向きぺこりと会釈をし、同じく振り返ったティーナは呆れ顔だった。
「あんた達ねぇ。料理はまだできてないだろう」
「だって、あとはシアンが帰ってこなかったら作れないもん」
 そう答えて、もうばれたからいいやとドアを大きく開けた少女が一番年上なのだろう。台所にいたのは五人。全員アルムより年下のようだった。
「まぁせっかくだから今のうちに紹介しとくか。こっちのちびエルフがマルベリー、あっちはセラフィルだよ。みんな仲良くしてやってな」
 まずは台所に向かって紹介をしてもらった後、アルムが旅の仲間二人を見た。
「で、こいつらが俺の妹達。上から、ルキア、ルナ、シェイル、エアーテ、サーナ。人数多いから覚えられないかもしれないけど、気軽に話してもらって構わないから」
「よろしくお願いします」
「わぁ。可愛い。エルフさんって初めて見たよ」
「よろしくね! 後で兄さんの旅の様子とか聞かせてね」
「女の人がまた増えて嬉しいよー」
 マルベリーとセラフィルはぺこりと会釈をする。それが終わるか終わらないかという頃に、今まで黙っていたアルムの妹達が待ちきれなかったのか口々に話し始める。その勢いに二人は少々たじろいだ。みんな人見知りをしないのだろうか。中には話しかけてきていない子もいるが、それでもじっとこちらを見つめ続けていた。
「はいはい。ちょっと待った。みんな一気に話しかけるからびっくりしてるじゃないか。ただでさえ長旅で疲れてるんだから余計に疲れさせるのはやめなさい」
 ティーナが台所へ五人を追いやり、ドアを閉めようとしたその時。
「あー! 兄ちゃん! 帰ってたのかよー!」
 一際大きな声が玄関から聞こえてきた。それを聞いてティーナがやれやれと頭を抱える。お使いに行っていたシアンと呼ばれていた兄弟が帰ってきたのだろう。勢い良く居間に入ってきたシアンはアルムの他に来客もいたことに少々戸惑いを感じつつもアルムの隣に立った」
「冷たいんだもんなー。何にも連絡してくれないなんて。でもやったぁ。今回は何日くらい居られんの?」
 白のシャツに黒のノースリーブの上着を着た少年。アルムとお揃いの色のパンツと、色違いのバンダナを額に着けている。ちなみにアルムは赤色で、シアンは青色。兄弟はこれで全員ということは、男性はアルムとシアンのみということになる。弟が兄を慕うのは自然の流れかもしれなかった。しかも普段兄はこの街にはいないのだ。身長はマルベリーより高いが、先程の妹達よりも更に年下のようだった。ようやく二桁行ったという辺りだろう。まだまだ甘えたい盛りだ。
 ふとマルベリーはアルムの父親のことを考えた。今は仕事中なのだろうか。まだ帰ってきてはいないが、それでも来た時に紹介をしてもらえるだろうと思う。
「ほらほら。大きな声を出すからお客さまが……ってもういいや。ひとまず。ゆっくり話をするのは旅の疲れを取ってもらってからの明日から! いいね! わかったらさっさと夕飯の続きを作る!」
 非常に威厳のある声で母親が言う。やはり兄弟が多い家庭ではこのくらいでなければいけないのだろう。マルベリーはティーナがどうしてこんなにはっきりとした気持ちの良い人なのかということがとてもよく理解できた。


 夕食前には出かけていたシルフィードもマルベリーの元に戻って来ていた。何か手がかりがあったかと尋ねると『あったと思うよ』との回答。部屋に戻ったらじっくり聞こうと思ったところで夕食の準備ができたとの知らせが入った。
 とても美味しい夕食を少しの談笑をしながらごちそうになった後は、ティーナにすぐに寝室へと通された。ここはアルムの唯一の姉の部屋だが、もう嫁いでいるために普段は空き部屋になっているとのことだった。ちなみにアルムはもちろん自室。今日はシアンと一緒に寝ることになったんだと笑って話してくれていた。
 三階に位置するこの部屋は、窓からの眺めがとても良かった。窓から漏れるほのかな明かりと、空に光る数々の星。マルベリーはしばらくの間はしゃぎながら窓から外の景色を眺めていたが、やがて疲れが出てきたのかセラフィルと共に床に敷かれていた布団に横になる。そしてすぐに寝息を立てた。


「……こ……んは」
「……もう。……なぁに?」
 真夜中に寝ている傍で話しかけてくる声が聞こえたため、マルベリーは睡眠状態から離れた。こんな時間に何だろうと思いながらも目を開けようとする。ただ、小さなエルフは寝起きが悪かった。少々機嫌が思わしくなくしばらくぼうっとしていたが、相手もめげずに何度も話しかけてきていたため、ゆっくりと目を開けてみる。
「こんばんは」
 枕元に立って、寝ているマルベリーを見下ろしている一人。まだ目の焦点が合ってはいないが、身体の大きさからアルムやセラフィルではないことがおぼろげにわかった。それでは誰だろうと考えながらも身を起こす。
 徐々に視界がはっきりしてきたところで、立っている人にそばに置いてあった眼鏡を渡される。「ありがと」と眠気のため舌足らずになっている声で言い、軽く目を擦ってからかけてみた。
「……え?」
 確かにたった今マルベリーは起きたはずなのだが、一瞬、まだ夢を見ているのではないかと思った。それだけ信じられなかったのだ。
 マルベリーが目の前にいた。正確には、マルベリーと同じ姿形をしたエルフが目の前にいた。
「どうして私がもう一人いるの?」
 気が動転してしばらく固まっていたが、時間が経つごとに少しずつ冷静になってきた。目の前の少女がとても穏やかな表情をしているということもあって、すぐに警戒をする必要はないようだ。そして、少女が眼鏡をかけていないことと、服装が違うことに気がついた。
「あなたは誰? どうして私と同じ顔なの?」
 その言葉を受け少女は寂しく微笑む。暗闇に浮かび上がるような真っ白のロングワンピースを着ている少女。マルベリーは見ているうちに心なしか懐かしい思いにとらわれてもいた。会ったことがあるのだろうかと考える。
「……あ」
 そして気がついた。何度も夢の中に出てきた同じ姿をした少女。村が焼き払われているというとてもおぞましい光景の中で、ただひたすらマルベリーの方を見続けていた。
「あなたは、本当の私を知っている人なんだね」
 ようやく出会えた。改めてこれは夢ではないと認識する。突然ではあったがマルベリー以外の初めてのエルフ。そして、この少女からとても強い力を感じてもいた。大きな魔力を持っているのだろう。なにしろマルベリーにずっと同じ夢を見させることができるくらいなのだ。
『……来ると思ってたよ』
 いつの間にかシルフィードがマルベリーの肩に座っていた。目の前の人を知っているようで、どうしてだろうと思う。そして同じくその人の肩にも精霊が一人座っているのがわかった。シルフィードと同じく風に属するようだ。緑色の瞳と髪の毛。ショートカットに少々細目の男性の精霊だった。
「シル、この人を知ってるの?」
 マルベリーの言葉にシルフィードが頷いた。それを見てやっぱりと思う。自分のためを思ってのことだとわかってはいるが、どうして教えてくれなかったのかとも思う。このくらいであれば聞いても拒否症状は起こらなかったのではないだろうか。それがとてももどかしい。
「ようやく会えました。フェイ。ずっと前から会いたかったですが、こんなに時間がかかってしまってごめんなさい」
 ずっと立っていたため疲れたのか、足をさすりながら少女が近くに座る。呼ばれた名前が違っていたためにぴんと来なかったが、少女はマルベリーに話しかけてきていた。
「フェイというのは、私の名前?」
 呟くマルベリーに周りの三人が一斉に頷く。「そうなんだ」と胸に手を当ててその名前を反芻する。記憶がないはずなのになんだか心が温かくなっていく。そしてそれがとても懐かしく思う。
「……言い忘れていましたが、私の名前はフィンです。おそらく普段から使われている名前の方が良いと思いますので、マルベリーと呼ばせていただくことにします」
「私の名前は、知ってるんだね」
 フィンと名乗った少女はマルベリーの問いに再び頷く。この名前も今回で初めて聞いたはずなのに、どこかで聞いたことがあるような妙な感覚だった。
「失礼だとは思ったのですが、ずっと見ていました。私はこの街を出ることができないので、時々ここにいるジュルフェとシルフィードとで連絡を取っていただいたりもしていました」
 フィンの肩に座っているジュルフェと呼ばれた精霊が、マルベリーの視線を受け軽く会釈をした。
「し、シル……!」
『ごめん』
 自分のわからないところで様々なことが進んでいたということに驚くのと共に、自分だけが今まで仲間外れにされていたような状態だったのかと思い、思わずパートナーを軽く睨んだ。
「シルフィードを説得したのは私達なのです。怒らないであげてください」
 フィンが穏やかに話す。ジュルフェも頷いた。
「元々あの子は私達とあなたを会わせたくなかったようなのですよ」
 マルベリーの目線が睨んでいた状態から驚きに変わる。シルフィードはばつが悪そうに微笑んだ。
「もうフェイにはマルベリーとしての生活があります。遠くから見ても素朴な暮らしですがとても幸せそうで。それを崩すかもしれないと思うと迷いもあったのですが、私のわがままでこちらに来てもらえるように仕向けました」
 度々見ていた夢のことを再びマルベリーは思い出していた。夢の中でのフィンは何も語ることはなかったが、それでも自分の生い立ちについて向き合って考えるようになったのは確かに夢を見るようになってから。
 それまでは種族の違いはあったが両親はとても優しくしてくれていたし、これからもあの穏やかな暮らしが続くものだと信じて疑っていなかったからだった。そして、その夢を受けて旅に出たいと言った時にシルフィードは非常に反対をしていた。
「……そうなんだ」
 徐々に自分の知っていることと事実が重なってくる。それについては嬉しいが、何やら真相はまだまだ多く隠されているようだった。こうなったら全て聞いてやるという思いも負けずに出てくる。そして、それがこの街ではできるのだと思った。
『そろそろ戻らないといけない時間だよ』
 落ち着いた、それでも可愛らしいトーンの声が聞こえた。一瞬誰だろうと思ったがすぐにジュルフェだとわかった。囁かれてはっとするフィン。窓から外の様子を眺める。まだ辺りは暗いが、これから徐々に明るくなり始めてくる時間だった。
 質問攻めにしようと気合いを入れたところでの時間切れに、マルベリーは思わず身体の力が抜ける。フィンが立ち上がり、申し訳なさそうな表情をした。
「ごめんなさい。今日はいてもたってもいられなくて、とにかく顔を直に見たいと思っただけなんです」
 そして、傍で寝ているセラフィルを眺めた。マルベリーはその身体から感じる魔力の強さで、呪いを解くことができるのはこの人なのだと確信していた。
「ディーネに伝えてあげてください。きちんとした手続きを取ってもらえればこうした形ではなくてきちんとお会いできます。その時にセラフィルについて診ることができますから」
 マルベリーのことだけではなく、呪いにかかっている仲間がいるということも既に聞いていたのだろう。頷くマルベリーに、フィンの少々緊張していた表情がほんの少し解けたように感じられた。
「それでは、また近いうちに」
 そう言ってフィンが部屋のドアから外へ出て行く。マルベリーはもう一度言われたことを頭の中で繰り返し、会うための手続き方法を聞いていなかったことを思い出してしまったと思った。
「ねぇ、フィンに会うためにはどうしたらいいの?」
 先程までは同室で寝ているセラフィルを起こさないように小声で話をしていたのだが、今はそれを考えている余裕はなかった。大きな声になる。ドアまで駆け寄り、勢い良く開けた。おそらくまだ遠くへは行っていないだろうと思い、階段を降りて家の外まで出てみたが、辺りを見回しても姿を全く見ることができなかった。素早い移動に言葉をなくす。
「……早いね」
 思わず漏れたマルベリーの呟きに大きく頷くシルフィード。どのように移動したかはわかるが、言って驚かせるほどのことではなかった。
『手続き方法は、たぶんアルムさんがわかるよ』
 代わりにそうパートナーに答えたのだった。

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