そよ風が吹く頃

船上の生活


どうしてかわからないけど
とっても嫌な予感がするよね。

うん。気がつかないうちに
大きな問題になるかもしれないから
気をつけて見ていなくちゃ。

そうだね。手がかりもわかったし
早いうちに手を打てればいいなぁ。

もう少しで会うことができるから
その時に詳しく話をしようね。

うん。やることはたくさんだけど
あの子たちのためだもん。
お互い力を尽くそうね。



 船に初めて乗ったマルベリーはまた新たに目にするものばかりで、辺りにある何気ないものにまでも興味深々だった。出発するまでは船室で落ち着いていようというアルムの言葉に従って窓際にある椅子に座ってはいるが、落ち着きなく足をばたばたとさせている。早く色々なところを見に行きたいという気持ちが身体全体から表れていた。
「なんだかとても当たり前なんだろうけど、ずっとふわふわした感じだよね」
 椅子の背もたれに寄りかかって足の動きを止めても、船全体が波に揺られているためにマルベリーもゆらゆら揺れている。船室は比較的波の影響を受けないように作られているが、感覚が優れている小さなエルフにとってはこの状態に慣れるまでは少し時間がかかりそうだった。それでもそれが苦痛ということではないため素直にいつもと違う状態を楽しんでいる。
「まぁ船に乗っている間はそんなもんさ。そのうち慣れるよ。でも天気が悪くなったらどうなるかな。もっと揺れるとちょっとつらくなるんだよな」
「わかります。その気持ち」
 持って来た荷物を船室の収納場所に置いたり片付けたりしながらアルムがマルベリーの呟きに答えた。その後セラフィルの言葉も続く。
「フレシアからこの街へ来る時に乗ってきた船がひどい揺れで。出港するかどうかかなり検討していたくらい風が強かったんです。その時は私自身も混乱した状況ではあったのですが、とてもつらくてベッドから出られませんでした」
 セラフィルは窓側のベッドに腰掛けていた。前回の旅で船酔いをおおいに経験したことと呪いの症状がまたいつ現れるかわからないために今回もおとなしく船室からなるべく出ないようにとアルムから言われたことを守るつもりだった。
「そうなんだ。私もそうなるのかなぁ。今は全然平気だけどね」
 マルベリーは先程からずっと狭い船室の窓から動きの止まることのない波を見ている。船に当たりちゃぷちゃぷと小さな音を立てて揺れる細やかな曲線。何もかもが面白くて仕方なかった。
『ただいま。小さい船なのにけっこうたくさんの人がいたよ』
『あのね、ここ二、三日はいい天気が続くって。その後はちょっと荒れるかもしれないけど』
 小さく柔らかな風が吹いてきたためマルベリーが振り向くと、一足早く船の様子を見に行っていた二人の精霊が戻ってきたところだった。二人とも海上では多くの仲間がいるために挨拶にも行って来たのだろう。シルフィードは船にいる人間の数、ディーネが海にいる水の精霊の仲間から聞いたと思われる情報を教えてくれた。
「シル、ディーネ、お帰り。あと二、三日は天気いい日が続くんだね。やったあ。お客さんが多いのはちょっと居心地悪いかもしれないけど、仕方ないよね」
 マルベリーは椅子から降りて船室をどたばたと歩き回る。セラフィルとアルムははしゃぐ少女を見て微笑んでいた。
「しばらく天気がいいなんて都合がいいなぁ。できればこのままうまいこと行くといいな」
 一通り荷物の片づけが終わったアルムもまた廊下側のベッドに腰掛け、そのまま横になる。マルベリー達が選んだのはベッドが二つの一般的な船室だった。そんなに広くはないが人間二人と小さなエルフ、そして場所を全く取ることのない精霊二人にとってはちょうど良い。ちなみにマルベリーはセラフィルと一つのベッドで寝ることになっている。
「日の光がたくさん入ってきたな。眠くなってきたよ」
 船に乗った頃はまだ朝もやの残る薄暗い状態だったが次第に太陽が昇ってきたのか船室にも暖かな陽射しが照る。
「だめだよ。これから甲板に出るんだもん。日光浴するなら上に行こうよ」
 船に乗るために叩き起こされたマルベリーは初めこそ頭がすっきりしなかったが、こうして興味のあるものを目の前にするとすっかり目が覚めてしまっていた。しかしアルムは無事乗り込むことができてほっとしたのか、または昨日の仕事の疲れがまだ残っていたのか、すっかり眠る状態に入ってしまっている。船の様々な景色を見たい小さなエルフは廊下側のベッドまで行き、今にも被ろうとしていた保護者の毛布を引き剥がした。
「ねぇ、ちょっとでいいから。行こうよ。甲板。ね?」
 意外と船に乗っている人間の数が多いという先程のシルフィードの言葉を受け、見知らぬ船の中で一人で行動するのは怖いと思ったのだろう。必死にアルムの説得にかかっている。その様子を眺めていたセラフィルは双方の思いがとてもよくわかるためにどうしようと頭を巡らせた。
「そうしたら、少しだけで良ければ私と行きましょうか」
 セラフィルが考えた結論はその場にいた二人にあっさりと却下された。
「だめだよ。セラ姉ちゃんはおとなしくしてなきゃ!」
「おまえなぁ。またどこかで倒れたらどうするんだよ」
 セラフィルにとっては、自分が動くことでマルベリーは船の様子を見ることができるしアルムはゆっくり休めると思ったのだが、そういうわけにはいかないらしい。思っている以上に二人が心配をしてくれているということがわかり、嬉しくなって思わず顔が綻ぶ。そしてこうなったらその言葉に甘えて、この船の旅はゆっくりと船室で療養をしようと考えたのだった。
「あーわかったから。行くから。甲板。でもせめて少しだけ寝かせてくれないか。船が動いて落ち着いたら一緒に行くから。それまで我慢してくれな」
 横になっていた状態からがばっと一気に起き上がり、マルベリーに向かって言う。そして毛布を手に取り身体にかけて横になった。今度は小さなエルフからの妨害はなかった。そのまま間髪空けずに寝息が聞こえてくる。
 マルベリーは、本音を言えば船の出港の瞬間を甲板で迎えたいと思っていた。徐々に岸が遠ざかっていく様子を少しも逃すことなく眺めていたいと。しかしそのわがままは素直に引っ込めた。小さなものではあるがこの船室にも窓はあるし、そこから目を凝らして眺めようと考えたのだった。
「マルベリーちゃん、ごめんね。チャモニーに着いて、私の状態が良くなったら、あちこち一緒に歩こうね」
 セラフィルが穏やかな表情のまま謝ってくれる。マルベリーはそれを聞いてセラフィルのすぐ隣に座った。ベッドから窓を眺めるとちょうど海と岸がバランス良く見える。
「セラ姉ちゃんが謝ることないよ。でもいろんなところは一緒に歩きたいな」
 そう言ったところでちょうど船が出発する合図の音が鳴る。マルベリーは自分が育った大陸が離れていく様子をセラフィルの温もりとアルムの寝息の音に包まれながらじっと眺めていた。出港の瞬間は船が大きく揺れたが、ゆったりと座っていたため全く気にならなかった。


 ゆらゆらと揺れる浮遊感が一段と大きくなってからしばらく経って、そろそろ昼食の時間になるという頃、アルムがむっくりと起き出して「待たせたな」と笑った。
 簡単な食事を取った後、いよいよ二人で船の探検に出ることにした。セラフィルは呪いの症状かどうかはわからないが軽い頭痛がするということで安静にするべく留守番。念の為頭痛の薬は机の上に置いておく。そしてディーネが傍についてくれているため、何かあったらすぐに呼んでくれるらしい。マルベリーはいよいよ落ち着かなくなりアルムの腕を取り早く早くと急かしていた。ちなみにシルフィードもパートナーの肩に乗って一緒についてきてくれている。
 船室を出て、廊下を歩く。マルベリー達にあてがわれた場所の他にも数多くの船室があるのか廊下には一定の間隔を置いてドアが長く並んでいた。その中から色々な声や音が聞こえる。シルフィードの言う通り、本当に多くのお客さんがいるんだなぁと実感をした。
 廊下内では特にすれ違う人もいなかったため、比較的リラックスをしてじっくり船内を見ることができた。だが、次第に甲板へと近づくにあたってやはり日光浴などをしているのか徐々に人の話し声が大きくなってくる。マルベリーは今までの旅で以前よりは人間に対しての抵抗力ができたと思うが、それでもそれが完全に取り払われるまでには多くの時間を必要とするのだろう。そばにいるアルムの手を繋ぐ強さが増した。
「俺もいるし平気だよ」
 そう言ってアルムは小さなエルフの頭を軽くぽんぽんと叩く。マルベリーはそれだけでとても心落ち着くものがあった。甲板はずっと見たいと思っていたし、何かあってもこの青年が守ってくれる。それに甘えてじっくり景色を堪能しようと思ったのだった。甲板へ続く階段を登る。
「……うわぁ!」
 思わず声が出る。視界がはっきりと水平線を境に二つに分断されていた。天気が良くて青色が濃く見える空のなんと広いことか。建物などで遮られることのない、水平線から上が全て澄んだ青色。それにちらほらと白い雲が混ざっている。下は少し緑がかった透明感のある青色。この二つの青色にマルベリーはすっかり魅了されてしまい、甲板の隅まで走ろうとアルムの腕を引っ張った。引っ張られた方は小さなエルフの反応を予想していたのかにやにやとした表情でついて行く。
 マルベリーは今までの不安な気持ちが甲板から見える景色でかき消されてしまったのかぴょんぴょん飛び跳ねながら手すりにつかまってあちこちを眺めていたが、アルムはその小さなエルフの歓声により甲板にいる他の乗客達の注目になっていることに気づいていた。それでも今のところは不穏な空気は感じないためそのままでもいいかと考えた。
『マルベリーは初めて見る景色だよね。これ。今日は本当に綺麗だから運が良いよ』
 シルフィードが呟く。先程ディーネと一足早くに船内の様子を見に行っていた際、甲板はパートナーの気に入る場所だろうとは考えていたが、想像以上だった。そして風の精霊もアルムと同様周りの人間からの視線を感じていた。


「驚いた。エルフがこんなところにいるなんて珍しいね。渡航許可が下りたのかい」
 アルムから肩を軽く叩かれるのと同時に突然聞こえた耳慣れない声に、マルベリーは海へ向けていた視線を船へと戻した。そこには父親よりも少し年上といったような風貌の男性が立っていた。咄嗟のことで驚いたが、かろうじてぺこりと会釈だけはしてみる。
「すみません。こいつはチャモニーのエルフではないんですよ」
 言葉が出てこないマルベリーの代わりにアルムが説明をしてくれる。男性はそれを聞いて更に小さなエルフの顔をまじまじと眺めた。好奇の眼差しにマルベリーは身を硬くする。
「おや。君はチャモニーの子ではないのかい。他のところにエルフがいるという話は聞いたことがないよ」
 男性にとっては、エルフはチャモニーにしか住んでいないというイメージがあったようだった。確かにマルベリーは育ての親に引き取られてからソプラ大陸に住むようになっただけということで特殊事情ではある。そして、今までマルベリー以外のエルフを見たことがない。ほとんどエルフという存在を忘れられかけているということもあるくらいだ。男性にそう思われるのも仕方がなかった。
「でも違うんですよ。ただ、だからこそというか他のエルフがいるということでこれから向かうところで」
 アルムの説明に男性もようやく合点がいったようだった。
「なるほどなぁ。私はチャモニーが故郷でね。これから帰るところなんだよ」
「そうだったんですか。実は俺もそうなんですよ。こいつとは途中に会いまして」
 親しげに話をしてくれる男性とアルムの会話が弾む。いまだに慣れない人間と会話をするとどもったり詰まったりしてしまうマルベリーにとってその様子はとても尊敬できるものだった。
「そうかいそうかい。それにしても私は本物のエルフを見るのは初めてだよ。チャモニーでもエルフは隔離された村に住んでいるからなぁ」
 アルムは微笑んだ。嫌味ではない程度ににやりとした笑みだった。
「そうなんですよね。でも俺は昔仕事でほんの少しだけその村に行く許可をもらったことがあるんですよ」
 アルムの言葉を受けて男性の目が軽く見開いた。
「それは羨ましい。実は私はエルフに憧れていてね」
「え?」
 予想外の言葉が飛んできたため、マルベリーは思わず声を上げてしまった。男性がにこやかに微笑んでくれる。
「素晴らしいとは思わないかい。私は今まで書物でしか読んだことがなかったが、こうして目にしてみると更にそう思ったよ。透き通るような肌に長い耳。風貌は申し分ない。この子も今はぷくぷくだが将来は美しくなるだろう」
「ぷくぷく……」
 マルベリーは褒められているのか貶されているのかわからず複雑な表情を浮かべた。その様子を見てアルムが思わず笑い出す。
「あぁごめんごめん。いや、つまりエルフは美しいということだよ。それに加えて人間にはない特殊能力を持っている。嬢ちゃんもそうなんだろう?」
 マルベリーはその通りだという意味で頷いた。
「私はその特殊能力も魅力に感じていてね。……ほら。見てごらん。私は見ての通り普通の人間だが、こういう力を使えるようになったんだ。嬢ちゃん達に特別に見せてあげよう」
 そう言って船上の他の乗客から見えないように小さく屈み込み、マルベリーと同じくらいの目線になると、両手を差し出して力を込める。
「……あ」
 男性の手の平から柔らかな光が浮かび上がった。これは単純に光を発生させただけで特に何らかの危害があるというわけではない。だが、この能力はマルベリーも光の精霊の力を借りなければ使うことができない。驚くエルフの隣でアルムも息を呑む様子が伝わってきた。
「すごいだろう。ここまでできるようになるまで随分時間がかかってしまったよ」
 マルベリーは再度男性の手を眺めた。煌々とした光は辺りの太陽の大きさには敵わないため周りの人々には気づかれてはいないが、確かに男性の手から放たれていた。男性はゆっくりと両手を合わせる。それに伴い光が消えた。
『……この男性に力を貸した精霊はいないよ。そういう気配を感じないもん』
 ずっと驚きのために無言だったシルフィードが辺りの気配を辿って言う。マルベリーも辺りに男性に力を貸すような光の精霊がいないことは確認済みだった。
「どうして……ですか?」
男性に尋ねる。精霊の力を借りずに魔法を使うことのできる人はシルフィードの以前の言葉によるとごくわずかにいるそうだが、相手に悪いと思いつつもマルベリーには目の前の男性がそうだとはとても思えなかったのだった。
「申し訳ないが、それは答えることができないんだよ。極秘事項でね」
 男性は屈んでいた状態から身を起こした。アルムにも目線を向ける。
「それでも素晴らしいとは思わないかい。君も魔法が使えたらと思ったことが一度はあるだろう」
「そうですねぇ……」
 アルムはそれにどう答えたらいいか悩んでいるようだった。普段であれば初めての人が相手でもどんな場合でも対話をスムーズに進めていたイメージがあったため、マルベリーも思わず自分の保護者を眺める。
「……確かに、使えたらと考えたことはありますよ。必要としていたこともありましたし。まさかあなたのように実現させる方がいるとは思わなかったですが。俺は今はこのままで満足だと思えます」
 少しの時間ではあるがじっくりと考えて出した結論なのだろう。何気ない言葉ではあるがその中に何らかの決意が感じられた。
「そうかい。まぁその方がいいかもしれないね。力を手に入れるのはそんなに安全な方法ではないし」
 男性はそう言って軽く笑った。
「私は力があるということを示すことができる程度でいいからこのくらいだが、他には更に大きな能力を身に着けている者もいる。今は力を持たない人間も持つことができるようになったんだよ」
 マルベリーとアルムは二人で顔を見合わせる。力を手に入れたいという理由は人それぞれあるのだろうが、むやみやたらに手に入れることができるとしたらとても危険なのではないだろうかと考えていた。気づかないうちに神妙な顔になっている。
「人間も力を持つようになったらエルフのような特殊能力を持っている者を弾圧したりはしなくなるだろう? これは互いにとって朗報だよ」
「……」
 マルベリーにとっては複雑な心境以外の何物でもなかった。確かに特殊能力者排除の法律が昔に制定されたのは人間と特殊能力者との力の差を埋めようとしたからだと考えるが、それに対抗して人間が力を持ったからといって争いがなくなるわけではないだろう。こういう点に限っては人間は身勝手な種族だと考えている。
 そして男性はまた声を潜めて囁いた。
「チャモニーには様々な人間がいる。私のような人もいれば、エルフは敵だという奴もいる。気をつけた方がいい。エルフは見た目では隠すことができないから」
 マルベリーは頷いた。元よりそのつもりだ。ただアルムにとってはチャモニーではエルフの認知度が高いため危険度は今より減るかもしれないと考えていた意見を改めて見つめる良い機会になった。しばらくチャモニーには帰っていなかったし、もしかすると以前いた時よりも状況が大きく変わっているかもしれないのだ。
「そうだ。私はウォルト=キュリオと言うんだ。もし何かあったら訪ねるといい。自分で言うのも何だがキュリオという名前はチャモニーでは有名でね」
「キュリオ家のお方でしたか。わかります。女系一族で代々王族の乳母を勤められているお家の」
 名前を聞いてすぐアルムが反応をしたところを見ると、本当に有名なのだろう。ただ人の名前を覚えるのを得意としているからということもあるかもしれないが、相手はその素早い反応に満足したようだった。
「あ、そうだった。君はチャモニーの人だったね。そうなんだよ。私は婿養子でね。キュリオの受付でウォルトと言ってもらえればすぐにわかる。力にはなれるはずだ」
 ウォルトが右手を差し出してくれたため、アルムも右手を出してそれに応える。ちなみにマルベリーとは左手を繋いだままだ。
「ありがとうございます。助かります。援助者は多いに越したことがありませんし。何かありましたらお願いすることもあるかもしれません。改めてになりますが、俺はアルム=カッツェです」
 相手もそうだったため、アルムもフルネームを名乗る。それを聞いてウォルトの顔色が少し変わった。
「君は……そうなのか。君がアルムなのか。君については何度も耳にしたことがあるよ。そして、君の家系の方がよっぽど有名じゃないか」
 本人には自覚はないのだろうが、握手をするウォルトの手の力が増した。アルムは思わず苦笑してしまう。
「それは昔の話ですから。今はすっかり落ちぶれて一般に溶け込んでますよ」
 アルムの言葉にウォルトは首を大きく横に振った。
「いやいや、例え世間がそうだとしても私はそうは思わないよ。私はカッツェ家にも憧れていてね。落ち着いたら詳しく話を聞かせてもらいたいものだよ。こんな船の上で思わぬ良い出会いをした」
 ウォルトはとても満足した表情でうんうんと頷いた。ようやく握手から解放されて一息ついた青年の背中を今度は強くばしばしと叩く。アルムは剣士のため身体は頑丈にできているが、不意を突かれたため少し身体を丸めた。
「嬢ちゃんも、良ければこの兄ちゃんと一緒に遊びにおいで。嬢ちゃんの力も一度見てみたいものだよ」
 マルベリーに目線を移し、頭を柔らかく撫でる。その後、本人にとっては悪気はないのだろうが、髪を撫でる動作の隙を縫って幾度か長い耳に触れてきた。その後上機嫌で甲板から立ち去る姿を眺めながら小さなエルフは耳をぴくぴくとさせた。


「ウォルトさんは、良い方だったんだよね?」
マルベリーの呟きにアルムは頭をかきながら答える。
「たぶん、俺達にとっては良い人だったんだろう。色々複雑だけど好意を持ってくれていることは確かだろうな。それに、ウォルトの言っていた、人間が使える特殊能力について知るための情報源になるかもしれないわけだし」
 マルベリーは先程から何かを考えている様子だったが、ようやく考えがまとまったようでアルムの背中を軽くぺちぺちと叩いた。
「これってあの孤児院で会った人と同じってことだよね。火で森を燃やしちゃった人。確か、セイさん」
 マルベリーの言葉にアルムもその人物を思い出したようだった。
「そうだ。いたな。あれはウォルトの力の何十倍もありそうな強い力だった。だからこそその後記憶をなくしてしまったんだろうけど。手に負えなかったんだろうな」
 マルベリーはこくりと頷く。
「さっきのウォルトさんみたいに、力を手に入れようとしている人って多いんだね。私はむしろ力がなかった方がいいと思ったこともあったよ。まぁそうするとシル達と話ができなくなっちゃうから、結局は今のままでいいって思うんだけどね」
 アルムもその言葉に深く頷いた。
「……そうだな。本当にそうだよ。何事も自然が一番なんだ」
「……?」
 妙に実感のこもった口調だったため、マルベリーは隣にいる青年をまじまじと眺める。その視線に気づいたのかアルムがぽんぽんと小さなエルフの頭に手を置いた。
「さて、まだ景色を見ているかい。それともセラの所に戻るかい」
「うーんと、もう少し風に当たってるよ。なんだかウォルトさんとお話したことでちょっと頭が混乱してきた感じがするから」
 マルベリーの方も思わぬところから情報が紛れ込んできたため、頭の中でどう処理していいのかよくわからないようだった。それを落ち着けるため、また海の方へ視線を戻し、物思いにふける。
 今頭の大部分を占めているのは、特殊能力を使うことのできる人間が増えているということ。そして、それがその人間自身の意思によって行われていることだった。元々能力のあるマルベリーにとってはどうしてそんなに力を求めるのかということが全く理解できないが、現在のこの流れは決して良いものではないと考える。むしろ何か嫌な予感がして止まらないのだ。
 先程のウォルトのような微笑ましい能力であれば問題はないと思われるが、以前に出会ったセイのような一瞬で森の一部を焼き尽くす大きな力を持つことのできる人間が増えていったとしたら。今は比較的落ち着いているこの世界に新たに争いが起きたりはしないだろうか。そうすることでまた更に特殊能力者にとって暮らしにくい世の中になったりはしないだろうか。色々と懸念は尽きない。
 神妙な顔を変えずに俯いているマルベリーの頭が再びアルムの手によって撫でられる。マルベリーは青年にこうされるのがとても好きだった。少しずつ心の中が穏やかになってくる。特に何も解決したわけではないのにそうされるだけで安心感が出てくるのはお気軽だが、そうできる力がアルムにはあると思っていた。それは魔法などを通り越した単純な人柄の賜物なのだろう。
 そして、マルベリーにとって更に気になったのが、アルムについてだった。青年は基本的に自分のことをあまり人に話すことはしない。そのためにどういう生い立ちだったかやどういった経緯で旅に出るようになったのかなどがおぼろげではっきりとはわからないのだ。尋ねてもいつも上手くはぐらかされてしまうのだった。
 先程ウォルトが言っていたアルムの家系について。これも深く話されるのを防ごうとはしていなかっただろうか。マルベリーは自分がこうして旅をしていることに理由があるように、アルムにも何らかの理由があるだろうと考えていた。
 マルベリーがそれを知ったからといって特にアルムのプラスになるわけではない。だが青年もそう思ってくれているように、小さなエルフにとってみれば家族同然。青年がそうしてくれているように、悩みなどがあれば分かち合いたかった。聞いてみたことはないが、きっとセラフィルもそう思っているはずだ。
 もうすぐアルムの生まれ故郷に着く。そうしたら今までわからなかった様々なこともわかるようになるのだろう。そう考えると自分の本当の家族を探すという大きな目的もあるが、チャモニーに着くのがとても待ち遠しいとマルベリーは思ったのだった。

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