もしかしたらって思ってたけど
やっぱりそうだったんだね。
考えてたことは合ってたね。
ぎりぎりまで信じたかったけど
そうだったね。わかった。
ね? やっぱり止めなくちゃ。
だから、早くおいでよ。
うん。わかってるよ。
あと少しで会えるよ。
こっちから動けないのが
申し訳ないんだけど
待ってるよ。
「セラフィル姉ちゃん、大丈夫?」
倒れこんでしまったセラフィルを心配そうに眺めるマルベリー。布で次から次へと流れ出てくる汗を拭きながら改めて様子を眺める。
やはり発熱と頭痛がひどいようで身体は震え、手で頭を押さえているセラフィル。マルベリーはその身体をぎゅっと抱きしめた。
呪いの症状はもちろんマルベリーの治療で良くなることはなく、そのため何ともいえない無力感が襲う。何かできないかと必死に考え、ふとショルダーバッグから薬と水筒を取り出す。ただ症状が過ぎ去るのを待つしかないのであれば、少しでも痛みを感じさせないようにするため眠っていてもらおうと思ったのだ。取り出した薬は軽い睡眠薬だった。
「痛みがやむまではここにいるしかないから、ちょっと休んでいようね」
そばで神妙な表情をしている二人の精霊にも言い聞かせるように呟きながら、マルベリーは包装した薬を飲ませるためセラフィルの顔を自身の方に向けさせた。
『アルムさんに伝えに行った方がいい?』
肩に乗ってきたシルフィードが尋ねてくる。マルベリーは手を止めて少し上を向き、しばし悩んだ。
「もうすぐごはんの時間だし、休憩時間とかで仕事の邪魔にならないようだったら伝えて欲しいな」
『了解』という返事の後、シルフィードは港の方に向かって飛んで行く。ディーネはセラフィルの傍にいたいようで、先程風の精霊が座っていた方とは反対側の肩に座ったままだった。
「……マルベリーちゃん」
ふとセラフィルが薄く目を開けて小さなエルフを見た。見られた側もそれに気づき、声を聞き取りやすいように顔を近づける。
「少し苦しいけれど、昨日よりは軽いから、大丈夫」
そう掠れた声で呟いて、薬師の持っている睡眠薬をのろのろと上げた手で止めた。睡眠薬はいらないということなのだろう。それでも水は飲みたいと思ったのか、水筒に向けて手を伸ばす。マルベリーは慌てて水をカップに入れ、セラフィルの口に含ませた。
「ありがとう」
潤った喉から滑り出る声は、先程よりは滑らかになっていた。そしてそのまま木の幹とマルベリーに寄りかかったまま言葉を続ける。
「ちょっとお話してみたいことがあって」
その言葉に、マルベリーは改めてセラフィルの隣にゆっくりと腰掛けた。どちらにしても今の状態では動くことができないため、何か話したいことがあるのであればじっくり聞いていようと思ったのだった。
「私はね、物心がついた時からもう精霊たちの存在には気がついていたの。外を歩いている時にもよく見かけたりするから、指差して周りの人に伝えたり、会話をしたりしていたのね」
ゆっくりと話し出したことは特殊能力のことだった。セラフィルが今マルベリーに話しておきたいと言っていたのは、ちょうど今アルムがこの場にいないからかもしれない。
「周りの人たちはもちろん見えていないから、おかしな人って思われていたみたい。だんだんみんなが私の周りから離れていったり、影で色々言われるようになってくるのがわかったの」
自分と同じだとマルベリーは思った。小さなエルフの場合はその言動の前に見た目だけで判断されることが多かったけれども。
「その中で、母親だけは私を理解してくれて、私を守ってくれたり、どう行動したらいいかを教えてもらって、それからは全く問題がなかったのよ」
セラフィルは特殊能力はあっても人間だ。そのため、その力を使ったり、あることを伝えさえしなければ、傷つくことなく生活していくことは可能だった。この辺りがマルベリーとは大きな差だった。
「うん。そうだね。……でも、それがだめになっちゃったんだよね」
何事もなかったらセラフィルはずっと故郷の街で暮らしていたのだろう。今こうしているということが、その平和が何らかの形で脅かされたからだとわかる。
「そう。国で特殊能力者狩りが行われなければ」
「特殊能力者狩り?」
マルベリーは思わず大きな声を出してしまう。その声が頭に響いたのかセラフィルが手を頭に当てて軽く顔をしかめる。「ごめんなさい」と呟きながら小さなエルフは辺りを眺めた。今も人はいないようで良かったと思う。
「理由は結局よくわかっていなくて。マルベリーちゃんも本などで調べていると思うんだけど、そういったことはもう私の住んでいた国では20年近く行われていなかったの」
「それはそうだよね。だって15年前に法律でも禁止されたし」
法律は国によってもちろん内容も制定時期も違うが、マルベリーが調べたことによると一部を除いて一つの国で立ち上がってからはほぼ同時期に広がっていったらしい。加えてそれ以前の弾圧により対象者の人数自体も激減したり、残っていても隠れて済むようになったりしていたため、狩りの必要もなくなっていたのだった。
随分前にその行為は禁じられているというのに、どうしてこんなに最近になって復活してしまったのだろうか。こういうことが広まると、またマルベリーも襲われる可能性が出てくるかもしれない。
「それっていつだったの?」
昨日ディーネは、セラフィルが呪いをかけられてからもうすぐ一年経つと言っていた。呪いをかけられた時が特殊能力者狩りの行われた時なのだろうか。
「それが、よくわからないの」
「え?」
セラフィルの言葉の意味がわからずマルベリーは小さく声を上げて聞き返す。
「表面化したのは一年ちょっと前くらい。でも、実際に始まったのはもっと前だと思うのね。しばらくの間、それに気がつかなくて」
「どうして?」
マルベリーはセラフィルの話している内容が全く見えてこない。頭の中に大きな疑問符が浮かんでゆらゆらと揺れている。小さなエルフが今までに受けてきた迫害は今でも身体が覚えているし、相手の悪意のある視線やその行動ですぐにわかるはずなのだ。
「始めは違って、違う目的でお役人の方が家に来たの。その様子がとても紳士的で、攻撃的な雰囲気は全く感じなかった」
セラフィルは今までのマルベリーとは違って、今に至る経緯が複雑になっているのだろう。確かに法律で禁止されていることを行うくらいなのだから、目立つようなことはされないだろうとも思う。
「……ここからは少しお話が難しくなってしまうけど」
少し具合が良くなって来たのだろうか。セラフィルの身体の震えが徐々に治まってきているような気がする。マルベリーはもう一度冷や汗の出ている額を布で拭いながらこくりと頷いた。
セラフィルの故郷であるフレシアは、国土は広いがその大半が極寒地方のために大陸の南側にほんの少し街が広がっているくらいで、そんなに大きいものではない。マルベリーのいるソプラ大陸の国々と大して変わらないくらいだ。大陸全体が一つの国ということで言えばフレシアと今後の目的地であるチャモニーは共通しているが、国全体の影響力としては雲泥の差だった。
フレシア公国の長はそのことを非常に気にしており、雪の解ける夏場に北の開発を何度か試みたが、特に資源があるわけでもなく、そして冬になるとやはり人の住めない地域になってしまうため、半ば諦めざるを得なかった。そのため、これまでに築いてきたものだけは失わないようにという方針で力を入れてきた。それはもちろん国の発展にとって大きな力になっており、人々からも慕われる長となっていた。
ただ、その力の入れ方が違う方向へ歪んでしまった。国の力を失うことを極端に恐れていた王は、それを一瞬で打ち壊してしまう力を持つ能力者に向けて非常に敵意を持つようになったのだ。
15年前に法律で特殊能力者狩りを禁止する令を出したが、それは現在ほとんと能力者自体が残っていないということと、能力者自体の力を軽視していたということにある。
ある時フレシアの長はとある能力者の強大すぎる力を見てしまった。そして怯えてしまった。能力者の力と比べると力を持たない人間との力の差は歴然だった。
その後は入国者をくまなく調べるよう強く命令し、国の中で能力者がいる場合、力を使われる前に手を打とうと考えるようになっていた。これはもちろん自らが法律として禁じていることだ。不自然に改正しても国の人々から不審がられるだけのため、水面下で全て進めていた。そのためこのことを知っているのは役人の中でもごくわずかだった。
セラフィルの場合は幼少の頃無邪気に精霊たちと会話をしたりしているのを家族や友人に伝えたりしていた。人々から奇異の目を向けられるようになってからは慎ましく生活していたが、それは意外なところで話が広がっており役人の耳にも入ったことがある。年配の役人はそれを覚えていた。
始めの行動は三年前くらいだった。役人が何人かで家にやってきた。その時は街の見回りの一環だからと世間話だけをした。ただ、紳士的な役人たちが神妙な顔をして両親と話をしていた時は何だろうと首を軽く傾げたくらいだった。その後が驚きだった。
フレシアの長には子がいない。つまり王位継承者がいない。そのため養子を取ろうという話が挙がっており、その対象者としてセラフィルの弟であるケルンが候補となったというのだ。当時十二歳だった。
両親は本人とも話し合った結果、養子に出すことを決め、ケルンは城で住むことになった。ここまででは誰も疑問を抱かないだろう。弟は城で帝王学を学びながら幸せに暮らしているのだろうと思っていたのだから。
違和感に気づいたのは二年前くらいだった。弟が城の外に出ている姿を見たことがないのだ。一応公式な場には出席しているが全く喋らず、遠くから見る姿は徐々に白くやつれているような気がしていた。
幾度か城に行き弟と会わせてもらうよう頼んだが、忙しいということを理由に全く取り合ってもらえず、痺れを切らしたセラフィルはディーネに様子を見に行ってもらい愕然とした。半幽閉状態だったのだ。うなだれるその目は虚ろで、そのままにしておくわけにはいかなかった。
出してもらえないのであれば、自らの手で出すしかないと。セラフィルはそう考えたのだった。
「その時に知ったの。ケルンを幽閉したのは能力者だからって。どうしたらそんな行き違いが起こるのか悩んだわ。能力者は私の方なのに」
一通り話をしたセラフィルはとても疲れているようだった。眠いのか軽く目をこする。そしてマルベリーの方はとても驚いていた。目の前で話をしているこの女性がこんなにも大変な過去を潜り抜けてきているとは思っていなかったからだ。
「ディーネに聞いても辺りに特殊な力は感じないと言うし、本当なら私のはずで。それで迫害を受けるなんて考えられないと思って、弟を解放してもらうためにお城に行ったの。準備や色々でそれに至るまでに半年以上かかってしまったけれど」
セラフィルは弟を助け出すためにたった一人で城に乗り込んでいったというのだ。それはマルベリーの目から見ても非常に無茶だ。
「もちろん何も準備をしなかったわけじゃないのよ。そのために時間をかけたんだもの。一応家族には相談もしたし、お城に行くことも伝えたし」
両親は共に疑うことのない性格のため、セラフィルがどんなに訴えようとも長を信じているようだった。実際両親は幾度か弟と面会を許されている。それが本物の弟と会っているのかということは疑いの眼差しを向けている姉にとってみれば怪しいものではあったが。弟の豹変振りを見れば誰でも気づくはずなのだ。
ケルンから見ると姉に当たる妹も一人おり、もちろんその話はしてある。しかし共に城に乗り込もうと言うのでそれは拒否した。元々これは能力者としての責任なのだと。連れて行くと妹にも危険なことが起こるかもしれない。
セラフィルには力は弱いがディーネという強い味方がいる。自分の身を守るくらいはできるだろうと思っていたのだった。
「手荒なことはしたくなかったし、できなかったから、確かな証拠を突き止めて弟を帰してもらおうとだけ考えたの」
水の精霊の力を借りて直接部屋まで忍び込んだセラフィルに証拠を突き止められたフレシアの長はいとも簡単にケルンを幽閉した動機やその経緯を話した。これで弟が無事に帰ってくるだろうと一息ついたのだが。
「その時に、あの子が目の前に出てきたの」
「あの子?」
マルベリーは突然に出てきた人物に軽く頭が混乱した。落ち着くのを少し待ってセラフィルは再び会話を続ける。
「私が出会ったのは、マルベリーちゃんより少し大きいくらいの男の子だったの」
「えっ」
マルベリーは小さく声を上げて目を見開いたが、でもよく考えればここでようやく話の筋道が通ってきたような気がした。
「エルフってことだよね。……その子がセラフィル姉ちゃんに呪いをかけた?」
セラフィルはゆっくりと頷いた。
「そう。エルフだったわ。間違いない。とっても可愛らしい子だったの。そんなに大きな力を持っているとは思わせないくらい」
特殊能力者を最も嫌っているはずの長がどうしてエルフと手を組んでいるのかは今でも全くわかっていない。ただ、一人ではどう考えても無理だということもやってのけていたのはこの子がいたからだと咄嗟に理解した。
「その子が私に言ったの。私は今でも信じていないのだけど」
エルフの男の子は、セラフィルは力が弱いから監視だけで済んでいたのにと言っていたのだという。そして、ケルンは力が強いから幽閉したのだと。勘違いではなくて目的があったからなのだと。
「あの後ディーネに何度も聞いたの。ケルンの周りから何か力を感じるかって」
セラフィルが肩に乗っている水の精霊を見る。ディーネはそれに頷いた。
『うん。感じなかった。私は確かに力が弱いけど、誰かいたらわかるよ』
特殊能力を持っている人間は、その人自体からは力を感じない。その周りにいる精霊の力を感じてそうだとわかるのだ。そのためケルンにはそういった契約をしている精霊がいなかっただけなのではないかと考えたりもした。しかし、姉の目から見た弟からは全く力を持っているという様子は感じられなかった。精霊が見えたりすれば目線を追ったり会話をしたりはするはずだろう。セラフィルは自らの行動を省みてそう結論付けたのだった。
『でもね。不思議なことがあるの。セラに呪いをかけたあのエルフの感覚もなかったの。あんなに強い力を持っているのに』
今ではほとんど失いかけている呪いの能力を持っているエルフ。姿を現してからはその力の強さに全く動くことができない状態だった。しかし、それを全く感じさせなかった。自らの気配を消すこともできるのだろうか。そう考えないと説明ができない。
「あの子がどうしてこの国にいて、どうしてこんなことをしているのかはわからないけど、人間を見る目がとても怖かった」
マルベリーはびくりとする。自分は同族と別れて一人きりになってしまったけれど、育ての親のおかげで幸せに生きてくることができた。しかし、もしかしたらそのエルフの男の子の立場になっていたかもしれない。
「そういえば、マルベリーちゃんはエルフだった時の記憶がないんだものね」
セラフィルは木の幹に寄りかかっていた状態から身体を起こした。まだ完全にではないが、体調はかなり回復してきたのだろう。額のバンダナに手を当て、軽く目を閉じた。
「呪いの効果が起こるたびにあの子の顔を思い出すの。そういえば、あの子の名前はなんて言っていたかな……」
『ヒースだよ。セラ』
『……ヒース』
「え?」
突然響いたディーネ以外の精霊の声に、マルベリーもセラフィルも咄嗟に声のした方を見た。そこにはシルフィードと連れられて来たアルムの姿。
「アルム兄ちゃん! シル!」
「いつの間にそこに?」
『っていうかなんでヒースの名前知ってるの?』
アルムの方を向いた二人から質問が一気に飛ぶ。
「実はかなり前からいたよ。セラフィルに起こったことはだいたい理解できたって感じかな」
なかなか話に入れなくてなぁと苦笑するアルムはセラフィルに近づいて顔を覗き込んだ。
「シルフィードから呼び出しがあったから、てっきりまたセラが倒れたのかと思ったよ。顔色は悪いけど大丈夫そうだな」
マルベリーは頷いた。セラフィルの症状はもうほぼ回復している。あと少し休憩したらまた立って歩くこともできるようになるだろう。
「すみません。実はまた倒れてしまって。動けない間マルベリーちゃんにお話を聞いてもらおうと思ったんです。でももう大丈夫です。」
「また倒れてたのか……」
アルムは何かを考えていたが、その後セラフィルに背を向けて屈んだ。負ぶされということなのだろう。
「一旦帰る。やっぱりだめだな。セラの呪いが解けるまではおとなしく留守番してもらうことにするよ」
セラフィルを背負ったアルムはマルベリーに声をかける。小さなエルフも立ち上がり、アルムの後ろをついて行くことにした。確かにその方が安心できる。また外を気軽に歩けなくなるのだなぁと思うと少し残念な気もするが、それは一緒に歩いてくれる人がいるからこそだ。一人で歩くのはやはりまだ怖い。マルベリーもはらはらしながら歩くのは落ち着かないし、その方が良いと考えた。
「まだ買い物が全部終わったわけではないんです。保存食を買いに行かなくちゃ」
そう言って降りようとするセラフィル。体調はもう回復したのだろう。しかしアルムはそれを許さなかった。
「おとなしく負ぶさってな。体力なくなってるだろうし、保存食なんて仕事の帰りに買ってくるから。もうすぐ午後からの仕事の時間だし、集中して作業したいから心配事はなくしたいんだけど」
アルムはこういうことになると途端に頑固になるというのはもうすっかりお馴染みだった。毎度申し訳ないと思いつつも、その言葉に甘えることにする。おとなしくなったセラフィルを確認し、歩き出した青年の少し後ろをマルベリーがとことことついて行った。
ジュレの家に着きセラフィルを部屋に下ろしてから、またアルムは仕事に出かけていった。午後からの仕事は軽いものだから早めに帰るよと言っていたため、マルベリーとセラフィルの二人はとりあえず簡単にではあるが旅の支度を整えた。
『ねぇシルフィード、話は戻るんだけど』
支度をするにもそんなにたいした時間はかからない。あっという間に手持ち無沙汰になってしまったため座って休憩をしていたが、どうしても気になっていたことがあるようでディーネが尋ねた。
『さっきヒースって言ってたよね。セラに呪いをかけたエルフのこと、なんで知ってるの?』
先程アルムがいた時にかき消されてしまった質問だった。風の精霊はこの部屋にいる全員の視線が自分に集まっているのを感じていた。
『こういうことをするのは一人しか思いつかなかったから』
ぼそりと呟くシルフィード。やはりマルベリーの知らない多くのことを胸に抱えている。もちろん記憶のない小さなエルフとは違い、他の仲間にも会ったことがあるのだろう。
『会ったことあるの?』
『うん。ずっと前にだけど。それこそエルフたちがばらばらになる前にね』
シルフィードは少し目を細めて何かを思い出しているようだった。
『セラフィルさんが呪いをかけられたっていう辺りからそうじゃないかなとは思ってた。あの子は周りを見ないで一人で思い込んで行動するところがあるから』
考え込む風の精霊をマルベリーは複雑な思いで眺めていた。
「私もその子に会ったことがあるのかなぁ」
シルフィードはパートナーの頬を撫でた。マルベリーの肩より少し長い髪の毛がふわりと揺れる。
『会ったことはあるよ』
「その子に会ったら、私は何か思い出すかなぁ」
シルフィードはマルベリーの頬を撫で続ける。
『あの時は赤ちゃんだったからたぶん思い出す以前に覚えてないと思うよ』
「そっかぁ」
残念そうな顔をするマルベリー。やはり早く記憶を取り戻したいのだろうかとシルフィードは思う。しかし一度に思い出させると小さなエルフには負担が大きい。
『ひとまずチャモニーにいるエルフに会う方が先かな。セラフィルさんの呪いを解かないといけないし』
『その人はセラの呪いを解けるんだよね』
確認するようにすがるディーネにシルフィードは優しく微笑んだ。
『大丈夫。ヒースの力よりはあの子の力の方が強いから』
ディーネもセラフィルと目を合わせつつ微笑んだ。
『良かったぁ。そしたら明日船に乗って何日かでチャモニーに着いて、それからまた何日かできっとその人に会えるよね。もうすぐセラの呪いが解けるんだよね!』
喜びを隠し切れないのかディーネが部屋中を飛び回ってはしゃぐ。シルフィードから見てもおそらくそのくらいの時期にセラフィルの体調に関しては回復するだろう。もうすぐ心配事の一つが減る。
『はい。もうすぐです』
そう答えながら、風の精霊はディーネと共に喜んでいるパートナーを眺める。そのエルフと会うことで、セラフィルにとってはプラスになるが、マルベリーにとってはそうとは限らないのだ。
記憶をなくしてから人間の両親に育てられ、幸せに暮らしていた小さなエルフ。シルフィードはこのままでいいと考えていた。ただ、本人が本当の家族にも会いたいと強く希望しているためにこうして旅に同行しているだけなのだ。そのエルフと会わせることで、マルベリーをまた悩ませてしまうだろう。そう考えると風の精霊は今も思い悩む。本人が望んでいるとはいえ、明らかにわかる困難に導こうとしているのだ。
『フィン、もうすぐだけど……』
「そのエルフさんってフィンさんって言うんだね」
マルベリーが反応する。シルフィードはその声を聞いて、自分でも気づかずに呟いてしまったのだと気づいて苦笑した。
『うん。そうだよ』
「フィンさんかぁ……。どうしてかわからないけど、なんだか懐かしい感じがする。温かくなるような感じかなぁ」
胸に手を当てて目を閉じ、にこりとする小さなエルフ。風の精霊は『そうだね』と短く答えた。
マルベリーにとってもセラフィルにとっても、これから先のチャモニー行きは非常に旅をする上での重要な場所となることは間違いない。浮かれる気持ちは理解できるが、だからこそ自分は気を引き締めなければと改めてシルフィードは思ったのだった。
夕方。アルムが仕事から戻ってきた。マルベリーとセラフィルの二人が買い忘れた保存食ももちろん買って来てある。結局昼食はまともに食べられなかったようで半ばふらふらな様子だったが、明日旅立つ一行のためにとジュレが腕によりをかけて作ってくれた料理を見て途端に元気を取り戻した。
「うまそうだー」
にんまりとして食卓につき、いただきますの挨拶もそこそこに勢いよく食べ始める。「うまいうまい」と口にしながらもぐもぐと食べているアルムはその場をとても和ませた。自然と周りも笑顔になる。
「おいしい!」
マルベリーも遅れて食事に手をつけた。ジュレは菓子職人だが、やはり通常の料理の腕も良い。これがもうずっと食べられないんだと思うととても寂しい気がする。ジュレの方を見ると、おいしそうに食べているアルムを見て微笑んでいた。これからしばらくは船の中で携帯食を食べる日々なのだ。隣でがつがつ食べているアルムとは違い、ゆっくりとその味を堪能した。
「明日は朝早いから、今日はごはん食べたらすぐに休もうな」
空腹感から開放されて落ち着いた後、アルムはマルベリーとセラフィルに連絡事項を伝えた。二人はこくりと頷く。
「いよいよだね」
マルベリーの楽しみにしている様子が伝わったのか、アルムも微笑んで「そうだな」と答えた。
「俺も久し振りに家族と会えるから楽しみだよ」
「チャモニーが故郷なのですね」
食事の手を止めてセラフィルが尋ねる。アルムは今度は「そうだよ」と答えた。
「妹達や弟は元気にやってるかな。たまに帰ろうかとは思うんだけど、なかなかそうもいかないし、結局一年近く帰ってないから」
そう呟く姿は兄弟思いの兄そのものだった。セラフィルも弟を助けるために旅をしているということもあり、マルベリーは兄弟っていいなぁと思ったのだった。
次の日の朝。マルベリーが育った大陸を離れる初めての朝。
叩き起こされた小さなエルフはまだ頭がすっきりしない中、身支度を整える。アルムとセラフィルはもうかなり前に起きていたようで、間借りしていた部屋の掃除にかかっていた。
そして、三人の準備が全て整った頃にジュレが起きてきた。仕込みがあるためにそれでもかなりの早起きだ。
「おはよう。早速だけど、そろそろ行くから」
親友の言葉にジュレは先に見送りをしようと思ったのか三人と共に玄関へと歩く。
「思った以上に長居になったけど、本当にありがとうな。助かったよ」
ジュレの肩をぽんぽんと軽く叩きながらアルムがお礼を言う。泊める側にとっては初めてのことではないため「たいしたことないよ」と答えていた。ちなみに、宿泊代を兼ねたお礼は前日のうちに渡してある。
「ありがとうございました。とっても楽しかったです」
「突然お邪魔して申し訳ありませんでした。大変お世話になりました」
マルベリーとセラフィルも感謝の気持ちを伝える。ジュレも二人の方を見て微笑んだ。
「いやいや。俺も賑やかになって楽しかったよ。これから先の旅も気をつけろよ。あとは船酔いに注意だな」
それを聞いてアルムが「あ、そういえば」と呟き、セラフィルははっとした表情をする。マルベリーは船に乗ったことがないためにその周りの反応に首を傾げるのみだった。
ジュレの見送りを受けて三人は港の方へ歩き出す。まだ朝もやが残る街並みは静かだが、次第に同じ目的地の人の影が増えてきた。薄暗く少々肌寒いため頬はひんやりとしていたが、マルベリーはアルムとセラフィルの二人に挟まれて手を繋いで歩いていたため、両手はとても温かかった。
昼ほどの喧騒はないが、船員たちの威勢の良い声が聞こえてくるようになった頃。
「うわぁ。すごいなぁ!」
一際目立つ船がはっきりと見えるようになって来た。遠くからはぼんやりと見えていたが、近づいてみるとやはり大きい。思わずアルムの方を見ると、船を見てからこくりと頷いてくれた。これからあの船に乗ることができるのだ。マルベリーは歩く足取りが異様に軽くなってくるのを感じていた。
入り口で乗船券を手渡し、いよいよ船に乗る。中に入るとなんだか不思議な浮遊感を感じた。船全体がゆらゆらと揺れているからなのだろう。ゆったりとした横揺れが無性におかしくてつい顔が綻んでしまう。
アルムに従ってあてがわれた船室へと向かう。もう既に乗り込んでいる人々も多くいてマルベリーとすれ違うたびにやはり強い視線を感じるが、旅の仲間とはぐれさえしなければ安全だろうと思う。
これから初めて違う大陸に行くのだ。多少は不安な面もあるが、それでもこれから数多くの新たな発見ができるかもしれないという喜びでいっぱいだった。