そよ風が吹く頃

見えるひと


こんなところで会うなんて
びっくりしたよ。

うん。私も驚いたよ。
でも本当なんだよね。
もしかしたらとは思ってたんだけど。

えっ。気がついてたの?
僕は全然違うことを考えてたよ。

私、あの子に会わせてみたいんだけど、
いいよね? 大丈夫だよね。

やりたいようにしてみればいいよ。
悪いようにはならないって
僕もそう思うな。



『シルフィード? どうしたの?』
 ディーネから何度か名前を呼ばれるまで、シルフィードは思わず我を忘れてしまっていた。慌てて『あ、すみません』と返し、改めてディーネのパートナーである人間を眺める。
「こんにちは。あなたも誰かと一緒に旅をしているの?」
 体調が悪いのだろうが、それでも頬をほころばせ話しかけてくれている。穏やかな微笑みを見ているととても心が安らぐような気がした。
『正直に言うと、驚きました』
 ぽつりと呟く。女性はそれを見て口に手を当てて笑い出す。
「そうね。ディーネからもよく言われることだけれど、私のように精霊を見ることのできる人間は珍しいものね」
 そう言いながら左右に分けて結わえている長い前髪を少し持ち上げてずらした。今まで隠れていて見えていなかった女性の耳は、やはり丸い。既にわかっていたことではあるが、こうして見ることで改めて人間なのだと実感した。
  女性はベンチに寄りかかって座っていた状態から身体を起こし、改めて正面からシルフィードの方を向いた。
「紹介が遅れてしまってごめんなさい。私はセラフィル=リロイ。フレシアから、探し物のためにここに来ました」
 フレシアというのは今シルフィード達がいるソプラ大陸よりももっと北にある大きな国だ。大陸一つが国になっていて、国全体の力もかなりのものだと聞く。国土のほとんどは人の住むことのできない雪山ばかりだが、大陸の南側にある首都だけでこのソプラ大陸全体の人口とほぼ同じかもしれない。
 世界の中ではまだまだ大きな国はあるが、フレシアほどの都会で見つけることのできない探し物とはなんだろうとシルフィードは頭の隅でふと思った。
 風の精霊からの視線を感じたのか、セラフィルと名乗った女性は軽く微笑んだ。それにほんの少しだけ悲しさが混じる。
「正確には『物』ではないの。どう言ったらいいのかよくわからなくて。もしかしたら『人』かもしれないし」
 差し出された右手にシルフィードはちょこんと座る。その隣にディーネも座った。セラフィルの手は精霊二人分の大きさと同じくらいだった。
『私はシルフィードです。よろしくお願いします』
 シルフィードは名乗ってから再度セラフィルを見た。失礼かもしれないと思いつつもじっと深く眺める。相手は少し首を傾けながらも穏やかな微笑みを湛えたまま同じくシルフィードを見つめ続けていた。
『あなたには言ってもいいかもしれませんね。私は今、一人のエルフの女の子と旅をしています』
「エルフ?」
 セラフィルはその言葉に敏感に反応する。二人の精霊が座っている自身の右手を顔に近づけて急に表情を整えた女性に、シルフィードは一瞬簡単にエルフの存在を言ってもよかったのだろうかと不安になった。
 それでも、女性から感じる雰囲気、そしてその深く澄んだ青の瞳を見ていると、とても信頼のできるものだと感じたのだ。シルフィードは人を見る目には自信があった。それこそ、アルムを見た時と同じような印象だった。
 何より、目の前のこの女性も精霊を見ることのできる特殊能力を持っている。マルベリーのように見た目ですぐに能力者だとわかるわけではないため、魔法を目の前で使ったりしない限りは不利はないのかもしれないが、降りかかる偏見の目などへの理解は充分にあるとだろうと判断したのだ。
「あなたはエルフの方と旅をしているのね。そうしたら、もしかしたら私の探し物は思ったよりも早く見つかるかもしれない、かな。……ごめんなさい」
 言葉の後で突然顔を歪ませるセラフィル。身体を起こしている状態に耐えられずにベンチにまた寄りかかる。手を当てた額には巻いてあるバンダナの上からでも汗が浮かんでいるのがわかるが、身体全体は震えていた。二人の精霊はセラフィルの右手から離れ、それぞれ両肩に分かれて座る。
『先程も思ったのですが、具合が悪いのですか?』
『ね? だからなんとか助けてあげてほしいの!』
 セラフィルの様子を異常と感じたシルフィードの言葉とディーネの助けを求める言葉が重なった。見ているだけでも具合は芳しくなさそうで、必死に訴えかける水の精霊の気持ちがとてもよくわかる。パートナーがこうであれば確かに心配だろう。
「今日は少し重いみたい。いつもはこうしておとなしく座っていたらすぐに痛みが通り過ぎるはずなのに」
 目を閉じてひたすらに耐えているセラフィル。いつもはと言うくらいなので、もうかなり前からこんな状態だったのだろうか。
『私のパートナーは薬師をしています。力になれると思います』
 シルフィードはセラフィルを励ますように頬を撫でて呼びかける。そのたびに女性の長くてさらさらな金髪が揺れた。
『そしたら、その人を呼んで来て、早く助けてあげて!』
 ディーネの声が届いてきたが、シルフィードは耳半分にしか聞いていなかった。確かにすぐにマルベリーにセラフィルを診てもらいたいところなのだが、それにはいくつかの問題があったのだ。
『どうしよう』
 今いる公園は運良く人がまばらだが、マルベリーのいるジュレの店からここへ着くには大きな道を何本も横切らなければならない。シルフィードにとっては一瞬の距離でも、小さなエルフにとってはとても負担だろう。徐々に人間に慣れてきているとはいえ、突然この場所まで連れて来るのには無理があった。それに、ここでは診ることはできても治療はできない。
 そのためにはマルベリーの元へ連れて行くのが最も良いのだが、今のセラフィルは動くこともままならない状態で、それもできない。そして、こんな街中で精霊二人の力を使うわけにもいかない。
「大丈夫。……上手く言うことができないけれど、私のこの病気は、治療では治らないものなの。こうして座って痛みが通り過ぎるのを待つしかないのよ」
 悩んでいるシルフィードの思いを感じ取ったのか、セラフィルがゆっくりと言葉を放つ。
 それでも探し物の手がかりが見つかるかもしれないからと、痛みが治まってから改めて自分からマルベリーに会いに行きたいと相手は言うが、シルフィードはできる限り早くこの苦しそうな状態から抜け出させたいと思った。細い身体で気丈に耐えているが、その白い肌は青白くなりすぎてそのうち透き通りそうだ。
『なんとかセラフィルさんを連れて行けないかな……あっ!』
 ディーネが見つめてくる視線を感じながらひたすらに考えていたシルフィードが突然に叫び出す。あまりにも急だったため、水の精霊の他にセラフィルまで目を軽く開けて風の精霊の方を見た。
『あ、すみません。えっと、いい方法を思いついたんです。セラフィルさん、あと少しだけ我慢していてくれませんか?』
 こくりと軽く頷いて、また目を閉じてベンチに寄りかかるセラフィル。シルフィードはディーネに『なるべく早く戻ります』と伝え、辺りに人がいないことをいいことに猛スピードで強風を吹かせながらとある感覚を辿っていった。


 一方、単独行動中のアルムは港に行って目的地へ行く船のスケジュールを尋ねてきたところだった。港町は大きいため入口からは海すら見えなかったが、さすがに港のそばではその鮮やかな青が視線いっぱいに広がる。今日は天気がいいため空との境目もまっすぐな直線を描いてとても綺麗だった。
 気持ち良く流れる海風の中、アルムもこの港に再び来たのは久し振りだったため、ゆっくりと歩きながら景色を楽しんだ。でも。
「腹減ったなぁ。やっぱり来る前にいくつか食べて来ればよかった。気がついたらもう太陽が中心を過ぎてからかなり経ってる」
 腹部を軽く叩きつつ空を見て呟く。マルベリーも待っているだろうし早く戻ろうと足を速めたが、突如海風とは違う流れの風を感じて立ち止まった。一瞬何だろうと思ったがすぐにぴんと来るものがあり、小声で尋ねてみる。
「これは……シルフィード、で、いいのかい」
今アルムのいる場所は昼下がりの港。荷物搬入や旅行客、そしてその人達を見送る人々などで活気良くごったがえしているのだ。不自然な独り言を他人に聞かれるわけにはいかなかった。
 アルムは普通の人間で、精霊達の言葉を聞くことはできない。そのためただ風の精霊を肌で感じるのみ。意思疎通が上手くいかずとてももどかしいが、ひとまず何かがあってシルフィードが自分を呼びに来たということだけはなんとなく想像がついた。
「どうした? マルベリーに何かあったのかい」
 思わず気を張り詰めてしまう。港町では単独行動が多くなるため、安心できるようにと友人であるジュレのところに預けてきたのだが、失敗だったのだろうか。
 アルムの手に柔らかい感覚が左右に流れる。これは首を振る動作を表しているのかもしれない。
「違う?」
 今度はアルムの言葉に反応して風が上下に流れる。これはそうだと頷く動作ということなのだろう。
「そうしたら、なんだろう」
 アルムはしばらく風を手に受けながら悩んでいたが、ようやく一つの結論に辿り着いた。
「とにかく、ついて来いって、言ってんのかな」
 アルムの呟きに、そうだと言わんばかりに風が流れ、髪や服を揺らしてくる。天気がいいため上着を脱ぎ、シャツ一枚となっていた姿は軽く汗ばんでいたが、シルフィードの風によって少しそれが乾いたような気がした。
「それで、どこに行くんだい」
 マルベリーと一緒にジュレの家で待っていると思っていたシルフィードからこうしてお呼びがかかるとは全く思っていなかった。ひとまずマルベリーは大丈夫ということで良かったが、自分が呼ばれたのはなぜだろうと思う。
 風がアルムの周りから離れるのがわかった。前方へ流れていく。姿が見えないため気を抜けばすぐ見失ってしまいそうになるが、道端の草が揺れている様子からなんとなくその位置に想像をつける。
 導くそよ風の後を辿ってゆっくりと歩き出したアルムだが、ついてくるのが遅いとまた風が自分の元へ戻って来たのを感じた。そばでまたその強さが増す。
「あぁ、わかった。わかったから!」
 アルムは風で乱れた髪の毛を直しながら、可能な限り足を速めていった。


 港から公園まではそこそこの距離はあったものの、可能な限り急いだためそんなには時間はかからなかったと思う。道を何本も横切っている時に建物に遮られることのないシルフィードをうらやましく思いつつも、今までこの街に来て何度か使った近道は全て駆使していた。
 公園に入ってからのシルフィードは更に容赦がなくあっという間に風の感覚が遠のいた。アルムは風の精霊を見失いどうしようかと思ったのだが、ひとまず道なりに進んでみることにした。迷ったようであればそのうちに迎えが来るだろう。
 港での鮮やかな青色も気持ち良かったが、木漏れ日の射す柔らかな公園の緑色もとてもいいものだと思う。ここにある木々は全て人工的に植えられたものだが、道に沿って一定の間隔で立ち並んでいる様子もまたある意味で圧巻だった。
 遠くに見える遊具のあるスペースでは親子が遊んでいる様子が見えるが、今アルムが歩いている道では人が歩いている様子が見えなかった。昔の記憶を辿るとこの道をまっすぐ行くと小さな森のような空間に出るはずだったが、この時間では森林浴を楽しむ人々はいないのだろうか。
 そう思ったところで、遠目に人影が見えた。道から少し奥まったところに小さな噴水があり、そのそばに一つだけベンチが置かれている。そこから金色の髪の毛が揺れているのが見えた。思わずそちらの方に目線を集中させると、再びアルムをここまで連れて来た風の感覚があった。
「あの人の所に行けばいいのかい」
 また手にそうだという意志の風の動きを感じ、アルムはベンチへ近づく。座っているのが女性だというのは髪の長さと身体の細さで気づいていたため、いきなり知らない男性が傍に行くと怖がられるかもしれないと考え、遠回りをしてその女性の前へと周って少し離れた場所から声をかけてみる。
「こんにちは」
 女性はもしかしたら眠っているのだろうか。ベンチに寄りかかり目を閉じている。アルムは一瞬どうしようと思ったのだが、心なしかまた一歩近づいてみる。
「あれ?」
 そうすることでアルムもようやく気づく。その女性はとても苦しそうな表情をしていた。今も寝ているのではなく、痛みに耐えているのかもしれない。
「具合……悪そうだな。それでここまで連れて来たのか? シルフィード」
 シルフィードが肩に乗っている感覚がある。返事は返って来なかったが、きっとそうなのだろう。
 アルムはまたその女性に近づき、もう一度声をかけてみた。
「こんにちはっ。大丈夫……ではなさそうだけど、大丈夫かい」
 先程よりも少し大きめのボリュームで声をかけたのが効いたのか、女性が目を開けて声の主を探す。すぐにアルムの存在を認め、まっすぐ見つめてきた。愛想良く微笑んでくれているが、痛みに耐えられないのかその笑みには少々の無理が見える。
「あ、ども」
 目を閉じている時には気づかなかったが、その深い青の瞳を見てアルムはふと記憶をよぎるものがあった。
「ちょっと前は、ぶつかって悪かったね。あの時から具合悪そうだったけどまだ治ってなかったんだな」
 先日アルムがマルベリーを連れずに一人で仕事を探しに港町に来た時、依頼主の場所へ向かう途中の曲がり角で気づかずにぶつかったしまった人。目の前の女性がそうだった。
 アルムは長年旅をしているからか、一度会った人をしっかりと覚えていられる特技がある。それを生かして様々な場所に知り合いがいて、いつもそういった人達に助けられていた。この街で言えばジュレのように、そうすることで旅が少しでも楽になるようにと身に着いたものだった。
 それに、今回は相手の体調が悪そうだったということもあってその後が気になっていたために、特に印象強く覚えていたのだ。相手もアルムの言葉でそのことを思い出したようでぺこりと頭を下げる。
「あの時は、私の方もすみませんでした。……えっと、私はセラフィル=リロイと申します」
「俺はアルム=カッツェ。よろしくな。それにしても、これだったらやっぱりあの時に家にでも病院にでも送っていけばよかったな」
 頭を軽くかきながらアルムは失敗したと思う。少なくとも前はこんなに症状がひどくはなかったはずだ。壁に寄りかかっていたにしろ、立つことはできていたのだから。ところが今はベンチにぐったりともたれ掛かり、確かにこれでは動くことはできなさそうだった。
「……で、シルフィード。俺はセラフィルを連れて行けばいいってことだな。マルベリーに診せたいってことなんだろ? ここまでは来れないから」
 そう呼びかけたアルムに、セラフィルは驚きを隠せないようだった。
「あなたも、精霊が見える方なのですか?」
「俺には全然見えないよ。ここに来たのも思いっきり感覚に頼ってた感じだし。言葉が通じないから不便で……って、あなた『も』って?」
 投げかけられた言葉に無意識に答えていたアルムはふと重要なことを聞き流していたような気がしてふと我に返った。
「えっと、私は人間なのですが、精霊達を見たり、会話をしたりすることができまして、先程もシルフィードさんから『今パートナーさんの所へ連れて行ってくれる人が来ます』と聞いたところで……」
「うわぁっ。それはすごいや。なぁ、今シルフィードはなんて言ってるんだい」
 言葉を遮って思ったままに感嘆の声を上げるアルムに、自然とセラフィルに笑みがこぼれる。
「まずは、私とアルムさんが会ったことがあるというのにとても驚いているみたいです。それと、……申し訳ないのですが、急いで、パートナーのエルフさんはマルベリーさんというのですよね? その方のところへ私を連れて行ってくださいと……言われてます」
「あっはっは」
 言いにくそうに通訳をするセラフィルがとても微笑ましくてアルムは大声で笑い出す。伝えた側はその反応を見てほっとしたようだった。
「それじゃ、お望みのままに、急ぎましょうかね」
 アルムはそう言ってセラフィルの傍に寄って軽く屈む。
「ちょっと悪いんだけど、しばらく我慢していてくれるかい」
「え? ……きゃあ!」
 突然のことに一瞬声が出なかったが、アルムがセラフィルを横抱きにして立ち上がったことに気づき、小さなものではあったが思わず悲鳴を上げてしまった。
「だって、歩けないだろ? こうでしか移動できないし。……ごめんな」
 こんなのに抱えられても嬉しくないだろと呟くアルムにこれ以上ないほど大きく首を横に振るセラフィル。それでも、恥ずかしいのか両手で顔を覆ってしまう。
「あ、あのっ。こう言うのはとてもわがままなのかもしれませんが、せめて、後ろ側に背負って……いただくわけにはいかないでしょうか……」
 決して横抱きが嫌だというわけではないということを暗に含みながらなんとか交渉を試みるセラフィルに、アルムはまた大きく笑った。
「俺はどっちかと言えばこっちの方が楽なんだけど、いいよ」
 そう言って一度ベンチに下ろし、背を向けてしゃがむ。セラフィルは「すみません」と言いながらもおずおずとアルムに寄りかかった。
 よいしょっと軽く声を上げて立ち上がり、早足で歩く。それでもなるべく後ろにいるセラフィルが揺れないようにと気をつける。
「あの……」
 しばらく心地良い無言の時が流れていたが、ふとセラフィルが話しかけてくる。アルムは歩くのに集中しながらも「なんだい」と尋ねた。
「精霊を見ることができなくても、その存在を感じて、あそこまで意思疎通できる方とお会いしたのは初めてです」
「うん。それはマルベリーも言ってたけど、そうみたいだな」
 どうしてそんなことを重要視するのかがアルムには全くわからないが、能力者達から見るとそれはとても貴重なことらしい。
「まぁ、ここまでなるようになったのは本当に最近だよ。確かに前からそんな感じはしてたけど、やっぱりマルベリーがエルフで、そういう存在っていうか、精霊がいるってことが身近に感じられるようになったっていうか。そんな感じかな」
「それは精霊達をしっかりと受け入れているということなのですよ。見えない存在でもその思いを感じることができる方なのですね」
 とても柔らかい声で呟くセラフィル。その音は頭の中に心地良く、すんなりと入り込んでくる。
「ごめんなさい。もうちょっと寄りかかってもいいですか?」
「いいよ。遠慮なんていらないよ」
 申し訳なさそうにする必要なんてないと気楽に答えるアルム。それから間もなく掴んでいる両肩に軽く力が入り、首の後ろ辺りにセラフィルの頭が乗るのを感じた。
 柔らかい髪の毛が首筋をくすぐって耐えるのが大変だったが、不思議とこの感覚も悪くないと思えたのだった。


「マルベリーちゃん、ちょっと来てもらえるかい?」
 アルムやシルフィードと別れ、ジュレの家の一室で一人になっていたマルベリーは軽く昼寝をしていたが、目覚めた後はお客様のいない時間帯を狙ってジュレの手伝いをしていた。
 とはいえ、まだお菓子作りなどはもちろんできないため、簡単な雑用を請け負う。今もジュレから言われた材料を取りに倉庫に行くべく裏口から外に出ようとしていたところだった。だが、ジュレの声を聞いてキッチンへと戻り、そこで見慣れた顔を発見する。
「アルム兄ちゃん、おかえりなさい。……うーんと、後ろにいる方は、患者さん?」
「ただいま。そうそう。ちょっと診てもらえるかい」
 ジュレの家に着いたアルムは家主に簡単に事情説明をし、マルベリーを呼んでもらった。言った通りに店の手伝いをしていた小さなエルフを「成長したなぁ」と微笑ましく眺めていたが、今はそれに浸っている時間はなかった。
「すみません。お邪魔します。こんにちは」
 アルムの後ろで挨拶を交わすセラフィルは、公園にいた時よりは具合が少し良くなったのか多少声に張りが出てきていたが、それでも顔が青白いのは変わりなかった。先に奥の部屋に行っていたマルベリーが手際良く寝床をこしらえており、アルムはそこにセラフィルを横たえた。
『マルベリー』
 治療道具の準備に入っていたマルベリーの傍にシルフィードが寄る。
「あ、シル、おかえりなさい。……って、あれ? 初めましてさんがいるね。シルが感じてた同じような精霊さんってあなたのことかな?」
 マルベリーはパートナーであるシルフィードと、その隣にいる水の精霊に気づいて微笑みかける。
『ねぇお願い。セラを助けてあげて!』
 ディーネがマルベリーの目の前でひたすらに助けを求めてくる。マルベリーは改めて患者として運ばれてきた女性を眺めた。苦しそうに息をしながら横たわる女性からは自分と同じような感覚を感じない。それでも精霊が傍にいて見守っているというのはどういうことなのだろうと思う。
『うーんとね、なんだか短い間に色々なことがありすぎて説明するのに時間がかかりそうなの。だから先にセラフィルさんを診てもらえないかな』
 シルフィードの一言にとりあえず納得をして、セラフィルと呼ばれた女性の容態を確かめる。
 喉に手を当ててみる。冷たい。肌の色も元々白いというのもあるのかもしれないが非常に青白い。それなのに、額に手を当ててみるととても熱い。その部分だけ熱を持っているようだ。見た目では外傷などは認められないため、やはり身体の中に異常があるのだろう。
「初めまして。私はマルベリー=フェンネルと言います。えっと、ちょっとお尋ねしますが、見る限り頭痛と身体全体の重い倦怠感が主症状のような気がしますが、どこか他に自覚症状はありますか?」
 セラフィルからの答えを待つ間、マルベリーは入口付近で様子を見ながら佇んでいたアルムに水とタオル、そして清潔な布を持ってきてもらうように声をかけた。
「セラフィル=リロイです。ここでエルフさんとお会いできるとは思っていませんでした。よろしくお願いします」
 セラフィルは起き上がることはできなかったが、目を開けて顔をエルフの薬師の方へ向けた。
「自覚症状はご指摘の通りです。あとは食事を多く摂ると苦しくなるくらいですね。症状はずっと続くというわけではなく、耐えていれば痛みが引いて来るのですが、今回はなぜか長引いてしまいました」
 セラフィルが答えている間も、マルベリーは手首を持って脈拍を測ったり、改めて表情を眺めたりと所見を定める。
「でも……。あの、ごめんなさい。先程シルフィードさん達にも伝えたのですが、私の症状はおそらく治療では良くならないと思うんです」
「どうして……そう思いますか?」
 セラフィルの口調は病気のために重かったが、その中にきっぱりとした断言の要素が入っているような気がして、マルベリーは自然とセラフィルに対する質問の言葉を投げかけた。
「私は、もう既にこの症状の原因を知っているから……ですね」
「それをうかがってもいいですか?」
 勿論マルベリーも改めて診てみるつもりではいるが、本人が確信を持っている原因があるのであればどういうものか知っておきたかった。マルベリーが思っていることと同じであればそのまま治療を続ければいいし、もし違った場合はそれについての説明をしっかりとしなければならない。そういうことも命を預かる薬師としてはとても重要なことだと薬師の師匠でもある父親から教わっていたのだ。
「言われたものを持ってきたよ」
 アルムが荷物を持って部屋に入ってくる。エルフの薬師の傍にそっと置いて、また部屋の入口付近に立ちながら二人の様子を眺める。
 マルベリーはタオルを水に浸して熱を持っているセラフィルの額に当てようとしたが、その前にバンダナを取らなければいけないとそれに手をかけた。
「あ、あのっ」
 セラフィルが慌てて声をかけてきたため、一瞬手を止める。
「バンダナを取っても、できればなるべく驚かないでくださいね」
「はい。大丈夫ですよ」
 どうしてそんなに真剣な表情をするのだろうと軽く首を傾げながらもマルベリーは頷いて、頭を持ち上げてくれたセラフィルからバンダナを外し。
「……!」
 マルベリーもアルムも、そして傍で様子を伺っていたシルフィードも。みんな、絶句してしまった。
 セラフィルの額に、何やら文様が描かれていたのだ。それは様子を見るに、明らかに自分で手を加えたものではない。しかもその文様から非常に禍々しい力を感じ、長く見ていることに耐えられず、持っていたタオルをすぐに乗せる。
 アルムは単純に文様に驚いただけだったが、マルベリーとシルフィードは違っていた。なんだかどこかで見たことがあるような気もする。それでも思い出せない。少なくともマルベリーが今の暮らしをするようになってからは見たことがないと言えるだろう。それでも、どこかで記憶に残っているような気もする。
 部屋の中が途端に重々しい雰囲気になる。ディーネはもちろん全てを既に知っていたためか動じることはなく、パートナーの枕元で心配そうな眼差しで眺めるのみだ。そんな沈黙を破ったのは、セラフィル本人の言葉だった。
「私のこの症状は、この文様のために起こっているんです。なので、治療では治りません。……おそらく、呪いの一種だとは思うのですが」
 その言葉には何の動揺もない。もうこの現実をすっかり受け入れてしまっているのだろう。こうまでになるにはとても時間がかかったはずだ。セラフィルがこのようになってからどのくらい時が流れたのだろうと想像するととても怖かった。
「ごめんなさい。余計な心配をかけさせてしまうだけだとは思ったのですが、お話したいことだったのでお見せしてしまいました」
 額に乗せられたタオルを右手で押さえながら軽く苦笑する。その様子はとても痛々しい。
「ごめんなさい。温かな部屋で横になっていたら眠くなってしまいました。眠ると痛みも忘れられますし、少し寝ていてもいいですか?」
 熱がまた出てきたのか、目がぼうっとした様子でセラフィルが呟く。マルベリーから見ても確かにセラフィルは少々過労の傾向もあるかもしれないと判断していたため、二つ返事で頷く。
「ディーネ、申し訳ないけれど、説明など色々とお願いしてもいい?」
『うん! まかせて。セラはゆっくり寝てていいよ』
 セラフィルがその答えに微笑んで目を閉じる。
「何かありましたら、遠慮なく呼んでくださいね」
 そう言ったマルベリーの言葉に首が上下に動くのを確認した後、セラフィルにしっかりと毛布を掛け、全員で部屋を出る。ジュレの店はまだ営業中のため、アルムが食料調達も兼ねて了承を取り、ジュレの私室に集まった。
『えっと、改めまして、セラ……じゃなくて、セラフィルのパートナーになってるディーネです。よろしくお願いします』
 心なしか緊張気味で事情説明を始めるディーネ。マルベリーは一言も聞き漏らすまいと耳を傾けるが、アルムはもちろん精霊達の声は聞こえないため、マルベリーから後でゆっくり事情を聞こうと部屋の背にもたれ掛かり持ってきたパンを頬張る。それでも、セラフィルのいる隣の部屋への感覚を研ぎ澄ますことも忘れない。
『うーんと、何から言えばいいのかなぁ。セラは人間だけど精霊を見ることができるってことはもうわかるよね』
「やっぱりセラフィルさんは人間なんだよね。私みたいなエルフじゃないんだよね。それでも特殊能力を持ってるんだね」
 マルベリーは今までの少ない情報でなんとか理解しようと思っていたが、それでもわからないことが多かった。少しずつわかることが増えていくにつれ、情報にも整合性が出てくる。
『あと、セラはエルフさんを探して旅を始めたんだよ』
 その言葉を聞いて、シルフィードはエルフの名前を出した時にどうしてあんなにセラフィルが反応をしたのかがわかった。
『それはね、セラに呪いを掛けたのがエルフだから……』
「ええええっ?」
 ディーネの言葉を遮り、マルベリーが叫ぶ。その声は普段小声で話す状況から見れば信じられないくらいの大きさで、もしかしたらジュレの店舗部分にも聞こえてしまっているかもしれない。アルムも驚いて小さなエルフを見つめる中、マルベリーは申し訳なさそうに苦笑した。
『だから、もしかしたら、エルフさんの中で呪いが解ける人がいるかもしれないでしょ? その人を探してるの』
 マルベリーが先程、セラフィルの額に浮かんでいた文様を見た時に、記憶の隅に引っかかるような感覚があったのはだからなのだろうか。今の暮らしをする前に、似たような文様を見たことがあったからなのだろうか。
 記憶をなくしているマルベリーには残念ながらセラフィルの役には立てそうもないが、もしかしたら、セラフィルの呪いを解く手段を探すうちに自分の記憶を引き出す手がかりも掴めるようになるのではないかとふと思っていた。
 セラフィルもアルムと同様、目的は違うが手段は同じなのかもしれない。苦しそうに横たわる女性の姿を思い浮かべながら、マルベリーはまたこれからのことを考えていた。

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