そよ風が吹く頃

不安なこと


どんなことが起こるんだろうね。
なんだかとっても不安だなぁ。

うん。悪いことが起こらないといいよね。
でも、私も嫌な予感がするの。

ねえ、これってもしかして、
前からあちこちで起こっていることと
同じような感じがするんだけど。

みんなが騒いでいることだよね。
自然にじゃないこと。

こんなことは本当は起こってちゃだめだよ。
どうしてなのかなぁ。
あの子達が巻き込まれないといいね。



 アルムは内心焦りながらもマルベリーを落ち着かせて話を聞いた。そして孤児院から出ないこと、そしてシスターに伝えることをエルジュに言い聞かせ、一人外に出る。ひとまずシスターに指示を仰ぐまでは他の子達に無駄に不安を募らせるようなことは伝えず、なんとかアルムだけで解決をさせようと思っていた。
 言われた通りに修道院の裏手まで走ると、小さな林が見えてきた。アルムは足を一度止め、息を整える。耳は比較的良い方なのだが、まだ風で草木が流れる音しか聞こえてこない。やはりまだそんなに近づいてはいないのだろう。耳の感覚を研ぎ澄ましながらゆっくりと林の中に入る。
 空には夕焼けがとてもきれいに広がっているが、日が傾いていることもあり林の中は幾分か薄暗い。アルムは暗くなるまでには見つけ出したいと思った。マルベリーの話によると相手は三人ほどいて、視覚から得る情報が少なくなると途端にこちらの方が不利なのだ。
「……! 何だ?」
 注意深く林の中を歩いていると、急に風が渦巻いた。アルムは目に埃が入らないように軽く目を閉じる。しかしそれと同時に風の吹くもの以外の音を感じ、咄嗟に木の陰に隠れた。
 風が落ち着いてから目を開け、辺りを眺める。何やら人の話し声らしきものが聞こえてくるが、それがどこからなのか、そしてどんなことを話しているかはまだわからない。その分相手との間にまだ距離が多くあるということだが、アルムは気を引き締める。
 少しずつ、少しずつ近づいていくうちに、相手のひそひそ声が徐々に大きくなってくる。そして相手がだいたいどの辺りにいるのか見当をつけた。
 始めは相手の裏手に回り込んで近づき驚かせようかと考えたが、それはやめた。そうすると前の方向に逃げられ、たとえ無意識であっても孤児院側に向かうことになってしまう。どんな理由があれ怪しい人物を孤児院に近づけさせたくはない。アルムは正面から立ち向かっていこうと思った。
 それに、現時点では相手がどのような理由でこの場所にいるのかがわからない。孤児院や修道院というものは基本的には金目のものはないため強盗などではないだろう。マルベリーは一週間ほど前から病気のため修道院で治療を受けている旅人らしき人を探しているようだと言っていたが、孤児院や修道院に対して攻撃さえしてこなければ無駄に争いを起こす必要などはないのだ。そのために一度相手側の話を聞いてみたいとも思った。
 アルムは相手からちょうど見えないだろうというぎりぎりの位置にある茂みの中に隠れ、様子を伺った。
 相手はマルベリーの言っていた通り、三人。中心に小太りで壮年層の男性。その右側には髭の生えた細身の男性。そして左側にはアルムより少し年上といった感じの背の高い男性だった。よく見てみると刀身の太いナイフだったり、棍棒や剣だったりと飛び道具は持っていないようだ。アルムは少しほっとする。ただ自身も持っているが、投げナイフなどを仕込んでいる可能性はあるため、やはり慎重にしようと思う。
 ここまで近づくと三人が話している声もしっかりと聞こえてくる。
「どうする?」
「ひとまずあいつを捕らえることができればいいんだが、この中のどこにいるのかがわからんな」
「このまま入って中の奴らを脅して引き渡すように要求すればいいじゃんか」
 アルムがぴくりと反応する。どうやら中心にいる小太りの男性に両側の男性が手段を尋ねているようだが、右側にいる髭の男性が妙に荒っぽいようだ。この男性の提案に皆が乗るようであれば、アルムは当初の予定を少々変更しなければならない。
「いや、待て」
 しかし、それは小太りの男性によって諌められた。なぜという顔をする髭の男性に軽く言い聞かせる。
「あまり騒ぎを起こすのは得策ではない。今までの情報を元に何でも秘密裏に行わねばならない。我々の行っていることは、人に知られてはいけないのだ」
 小太りの男性は幾分か冷静で、すぐ頭に血が上りそうな髭の男性を上手く静めることができているようだ。アルムは話をするのはこの人の方がいいなと判断する。
「そうだ。すぐ戦いだとか攻撃だとか言うが、お前が前に出て成功したことはあまりないな。今まで苦労して得てきた情報も、だからあいつに漏れたりしたんだろ」
 背の高い男性も髭の男性に言う。その言葉は何やら嫌味が含まれているような感じで相手をいらつかせるには充分だったが、またもや小太りの男性に止められた。
 ひとまずリーダー格っぽい男性の考えによると、あまり事を荒立てずに済ませたいらしい。それはアルムにとっても良いことだった。


 がさり。
「……! 誰だ!」
 あまり大きく音を立てないようにしつつアルムは茂みから外に出る。もちろんそれは相手にも自分の姿を見せるということで、相手は突然現れた男性に対して一瞬動揺していた感じだった。
「突然すいませんね。孤児院の周りに怪しい奴らがいるって聞いたもんで」
 アルムはあまり相手を興奮させないよう、軽く笑った顔を作っておどけたように話す。まだ剣を構えたりはしていないが、相手から仕掛けられた時のためにいつでも抜けるように意識はしておく。相手も多少は戦いの経験があるのか、三人ということもありなんだか余裕の表情をしているようだ。その方がアルムにも都合がいい。
「そんな物騒なもの持ってどんなご用事ですか。ここはお金とかは全くないですよ」
「俺らはそんなちっぽけなことをするためにここにいるんじゃない!」
 髭の男性がすかさず反応する。すぐにでも飛び出しそうな勢いだったが、しかしそれもまた小太りの男に両手で遮られた。
「あぁ。我々は強盗なんてことはしないさ。ただ、目的遂行のためだったら手段は選ばない」
「その目的ってのは?」
 アルムが問いかける。相手の三人はそれぞれ顔を見合わせていたが、
「ここにセイっていう奴がいるはずなんだ。そいつを引き渡して欲しい」
 とだけ言ってきた。さすがに秘密裏に動いているだけのことはあって、どうしてセイという人が必要なのかは言ってこない。アルムはしばし考える。
「俺はさっきここに帰ってきたばっかりだからそのセイって人は知らないよ」
「嘘を言うな! あいつがここにいるってのはわかってるんだぞ!」
 髭の男性が語気を強めて言うが、アルムは嘘を言っていないと思う。今はまだマルベリーから治療中の旅人を修道院で預かっているということしか聞いていない。それに戻ってすぐにここに来たため、その人に会ってもいない。とはいえ、それをここにいる人に伝えても信じてはもらえないだろうとは思った。
「そんなこと言われたってさ。俺だって今日は一日歩きっぱなしで疲れてるんだよ。やっと着いてこれから晩ごはんだってほっとしてたらこんな騒ぎだしさ。正直早く済ませたいんだけど」
 とりあえずその探し人のことには触れなかった。どちらにしろ、相手も退く気は全くないようだ。
「そうだな。我々もそんなに悠長なことをしていられる余裕はない」
 小太りの男が引き続き答える。両隣にいる男達はおとなしくそのやり取りを眺めていた。やはり交渉事などはこの人の役目なのだろう。
「もしここにいたらどうする?」
 アルムはなんとなく答えに想像はついたが、念のため聞いてみる。
「もちろん、連れ出すさ。なんとかしてな」
 背の高い男性が素早く言う。やるべきことは決まっているが、それでもその方法についてはまだ考えあぐねている様子ではあった。
「もしここにいなかったらどうする?」
「確実ではないが、ここにいるというのはほぼ間違いのない情報だと思っている」
 間髪空けずに小太りの男性が答える。アルムは目の前にいる三人を眺めながらどうしたらいいかを考えていた。
 おそらくそのセイという人は、マルベリーの言っていた治療を受けている旅人と考えて間違いはないだろう。アルムにとっては当事者間の問題のため、そして孤児院と修道院の安全のためにその男性を連れてきてなんとかしてもらうのが一番良いことなのだが、本人がそれを拒む可能性は非常に多くあり、そして修道院側もセイを引き渡しはしないのではないかと考える。みすみす危険な目に遭うのがわかっている人を見捨てることができない人達なのだ。
「素直に引き渡せばいいが、そうでない時は我々も荒っぽい手を使わねばならない」
 小太りの男性が更に言葉を続ける。セイを引き渡すことができない場合はこちらが攻撃を受ける。それからは確実に守らなければならない。どちらにしろ戦わなければならないのであれば、相手が油断をしている間に一気に片をつけてしまおうと思った。
 小太りの男性は、両隣にいる男性と目を合わせ、軽く頷く。そしてそれぞれ武器を構えた。アルムもその様子を見て背中に背負っている剣を構える。ただアルムの場合は鞘に入ったままで、剣を持つ時に鞘がきちんとロックされているかを確認した。そうすると遠慮なく動き回ることができる。アルムはよほどのことがない限り剣の刀身を抜くことはない。
「ふぅん。武器を構えたってことは、そうしたら結局話し合いをする必要はないってことかい」
 アルムも色々考えた上、一度やり合うのは避けることはできないとは思っていた。
「いや、そうではないな。我々はむしろとても運がいいのかもしれない」
「それは、どういうことだろ?」
 小太りの男性が言った話の意図がわからず、アルムはそのまま聞き返す。
「つまりだ。お前にセイを連れて来てもらうってことだな」
「俺がかい?」
「そうだ。お前はこの場所の関係者なんだろう」
 アルムはしばし考える。正確には関係者ではないが、比較的自由に出入りができているし、何より今はマルベリーがお世話になっている。アルムは一応頷いてみた。
「だったら、建物の中に入ってセイを探すことは簡単だろう」
 確かに、見知らぬ男性三人が突然乗り込むよりは騒ぎになることはない。それでもセイを引き渡すことは難しいだろう。一度シスターに確認を取りたいとも思ったが、この場を動くことは得策ではないとも考えた。
「俺が嫌だって言ったら?」
 相手が武器を持つ手を更に強める様子が伝わってくる。
「あの建物に襲撃をかける」
 剣を持っている背の高い男性が答える。大きなナイフを持つ髭の男性も、小太りの男性が声をかけたらすぐにでも飛び出しそうな勢いだ。
「そっか。そのためにまずは俺から勝負をつけようってことだね」
 小太りの男性が頷く。この人は棍棒を持っていた。
「そうだな。どこまでも拒むようであれば、攻撃も辞さない。それが我々の手段。だから力を持って制した方がいいかもしれないという結論を出した」
 小太りの男性が答えて睨んでくる。アルムも負けずに睨み返す。
「俺は、この孤児院と修道院に危害を加える奴は許さないよ?」
 相手はアルムの様子に少々驚いているようだった。長剣を持っているけれど腕が立つとは思えない男性が、三人を相手に平然としているためだ。
「ひ弱なお前一人で何ができるってんだ」
「人の心配より自分のことを考えたらどうだ。まずお前が死ぬことになるんだぞ?」
 次々と言葉が飛んでくるが、もちろんアルムもそれに怯むことはない。
「ふぅん。俺を殺そうとするんだ」
「手段は選ばないと先程も言ったはずだ。お前くらいであれば一瞬で勝負がつく」
 相手の油断している様子にアルムは心の中でにやりとした。そういった相手は戦っていてもどこかに隙ができるものなのだ。
「そんなの、やってみないとわからないだろ?」
「それは正式に我々の要求を呑まないということだな」
 アルムももう既に戦いの準備はできていた。こんな状態でもいつものおどけた表情でいる。それは長い間旅をしてきて身に着けてきた剣術への自信が表れていた。
「そうだね。それに、俺もなんでだか負けるって気がしないんだよね」
「なにをっ? ここなら多少暴れても構わないよな!」
 髭の男性が小太りの男性に尋ね、相手のリーダーはそれに力強く頷いた。小太りの男性も少々冷静さを欠いているようだった。


 やはり一番先に飛び出してきたのは髭の男性。素早い動きでナイフを振り回してくるが、ナイフと長剣とでは、ある程度距離を保っている中ではやはり長剣の方が有利。相手に近づかれないところでいとも簡単にナイフを受ける。長剣とはいえ刀身は比較的細めで軽いため、素早く動かすことが可能だった。
 続いて横から飛んできた背の高い男性の剣を受け、跳ね返す。相手のものは比較的がっしりとした剣ではあったが、今の一撃によって充分太刀打ちできると判断できた。
 小太りの男性の棍棒についてはがっしりとしていて直撃を受けるとさすがに危険だが、避け続けることができればどうと言うことはない。やはり重いためか動きは他の二人と比べると幾分か遅かった。アルムはすんでのところで避け続ける。


「こいつ……。見た目と違って、強い」
 いったん相手との距離を取り、様子を伺う状態となった時に髭の男性が呟いた。アルムは相手から今まで感じていた油断がなくなったことに気づく。おそらく戦い方も変えてくるだろう。こちらも気を引き締めていかなければならない。
 今まではばらばらに飛び掛ってきた三人が、それぞれタイミングを合わせて一度に攻撃を仕掛けてくる。比較的素早さを武器にしているアルムは三人が時間差で攻めてきた時はそれぞれで対応することができていたが、こういった場合が最も不利なところである。
 攻撃は三箇所からやってくるが、持っている剣はもちろん一本。一つは受けられるが、残りはなんとか避けなければならない。アルムはある程度の距離を保ちつつ応戦する。
 不意にとても暖かな風が流れてきた。夕方から夜にかけてこれから徐々に寒くなってくるという時間に一瞬おやと思ったが、そちらの方に思考を集中させている余裕はない。いつの間にかアルムも真剣な表情で相手に立ち向かっている。
 それにしても、思考から追いやろうとしても流れてくる風を感じつつ戦っているうちに、アルムはとても奇妙な感覚を感じていた。風の流れてくる方向から敵の攻撃があるのだ。実際にその方を見なくても風の吹く方向に感覚を集中させれば攻撃の気配をいち早く感じ取ることができる。これはアルムの経験から得たものよりもとても早く、それにより一度に飛び掛ってこられても、そのわずかな差で対応することができていた。
「おりゃっ!」
 ずっと相手からの攻撃を受けたり流したりしているばかりだったアルムは、相手の体力の消耗を狙って少しずつ反撃を開始する。三人のうち最もスタミナのある背の高い男性に意識を集中しつつ剣を振りかざす。いまだに鞘に入ったままのため、力を入れて相手を強打する。攻撃が当たると相手がその衝撃で揺らぎ、その時間はフリーとなる。アルムはその時間をまた相手からの攻撃を受けたり、新たに仕掛けたりする分に充てることができた。
「……!」
 また風が吹いてきた。アルムは咄嗟に横に飛んで攻撃から避け、そしてくるりと一回りするように全方向に対して剣を振り回す。途中で幾分か手応えがあり、そしてアルムの周りから一瞬相手の影が消えた。アルムはこの機会を待っていたとばかりに小太りの男性にターゲットを集中し、そちらの方に駆け寄る。


「はい。これで勝負あったってことでいいのかな」
 アルムの剣はいつの間にか鞘が抜かれ、わずかな光に反射して輝く刀身は、あと少しで小太りの男性の喉を貫きそうな位置にあった。真剣を向けられた男性は尻餅をつき、他の二人の男性もそれを見て動きを止める。
「悪く思わないで欲しいけど。でも、あんた達が目的のためなら手段を選ばないっていうのと同じく、俺も大切な人達を守るためなら何でもするんだよ」
 ふぅと一息つくアルム。港町から歩きっぱなしの上にこの戦いでは体力はかなり消耗されたが、なんとか持ってくれて良かったと思う。そして、相手に一つだけ聞きたいことがあった。
「なぁ。あんた達が周りに内緒で進めてる計画ってどんなことなのさ。今回はどうしてセイを探していたんだい」
「それは……」
 相手はそれぞれ顔を見合わせたが、無言のまま答えない。
「そんなに重要なことなのかい。命よりも大切な?」
 アルムは剣の先をほんの少しだけ前に出す。先程よりも小太りの男性の首筋に近づく形になる。あと少し前に出すだけで血が流れるところまでいくだろう。
「俺はあんまり人殺しってしたくないんだけ……」
「セイ!」
 突然、背の高い男性が叫んだ。アルムも手を止めたままその男性が見ている方向を眺め愕然とする。
「シスター!」
 遠くからシスターが一人の青年と共に走ってくる様子が見えた。思わず走り出す背の高い男性を「待て!」と静止させようとしたが、小太りの男性を押さえ込んでいるため身動きが取りにくい。更にこのことで一瞬アルムの気が緩み、それに気づいた相手が大きく手に持っている棍棒を振りかざしてくる。アルムもすぐに気づいて避けたが少し遅く、左手に鈍痛が走る。しかしそれも構わず背の高い男性を追いかけた。
 剣の鞘は先程小太りの男性を追い詰める際に投げ捨てたため、アルムよりもかなり遠い位置にあり拾いに行く余裕などない。気が進まなかったが、致命傷を避ける場所、特に利き手を狙って少し切りつけ足止めしつつ、なんとか最も早くシスターの前に立つことができた。壁になるようにして三人の前に立ちはだかる。
「シスター。どうしてここまで来たんですか!」
 本当はもっと柔らかく言いたかったのだが、アルムはどうしても語気が強くなってしまう。それでもシスターは、息切れはしていたけれど穏やかな表情は変えていなかった。
「エルジュから話を聞いたセイが来たいって言ったの。おそらく知り合いでしょうからって。まだこの人は体力が完全に回復したわけではないし、私は許可しなかったんだけれど飛び出してしまって」
「ご迷惑をおかけしてすみません」
 シスターの横で青白い顔をしている青年。この人が目の前の三人が探しているセイなのだろう。
「セイ! よくも裏切ってくれたな! お前が握っているあの情報の秘密を絶対に明かしてもらうぞ!」
 右腕を押さえつつ髭の男性が叫ぶ。セイはかつてはこの男性達の仲間で、とある情報を手に入れる際に三人には教えず、裏切って逃げたということなのだろう。その秘密がどういったものなのかとても気になったが、今はそれどころではなかった。
「お前、どうするんだ? あいつらと一緒に行くのか?」
「それはいけません!」
 アルムはセイに尋ねたのだが、答えたのはシスター。やはり答えを聞くまでもなくは三人に素直に引き渡すつもりはないようだった。
「はい。僕もそのつもりはありません。それでもこういったことになってしまった以上、僕が出ないわけにはいかないと思いまして」
 何かセイには考えがあるのだろうか。なんだか吹っ切れたような、とても弱々しい身体からは想像もつかないほど声がしっかりしていた。アルムはどういうことだろうと考えを巡らせる。それでもそうそう思いつくわけではない。
「素直にこちらに来る気はないみたいだな。そうしたら再び行くぞ!」
 それぞれがまた武器を持ち、こちらを睨みつけてくる。アルムはシスターに遠くの木の陰に隠れるよう伝えようとしたが、その視線の更に奥に信じられない存在を見つけ、一瞬言葉をなくしてしまった。
 辺りで風がざわざわと音を立てた後、一筋強く吹く。その流れはアルムの視線の先にある小さなエルフの方へ。
「マルベリー!」
 ようやくはっとしたアルムが叫ぶ。その声を聞いてマルベリーはびくりとして立ち止まった。今まで必死に走ってきて気づかなかったが、ゆっくりと辺りの状況を見て顔を青ざめ、震えているようだ。
「どうして来たんだよ! 孤児院から出るなって言っただろ?」
 おそらくアルムがマルベリーに対して投げかけた初めての怒りの言葉だったかもしれない。
「ご、ごめんなさい。でも、セイさん、せっかく容態良くなってたのに、また悪くなっちゃって」
 セイの状態は、薬師としてとても見逃せないものだったのだろう。仕事熱心なのと優しいのはとても良いことなのだが、今の状況が状況だ。アルムは正直マルベリーにはここに来て欲しくはなかった。
 相手の三人はそれを見て咄嗟に、アルムを押さえ込むのであればあのエルフを人質に取ればいいのだと感じた。他の人達は後でいくらでもどうにかできると思うが、アルムに対しては適わないと本能的に悟っていたのだ。三人は自然とマルベリーの方へと駆け出す形になる。
「待て!」
 アルムは再び駆け出した三人を追いかける形になったが、それをさせまいとセイが駆け出し前に立ちはだかる。三人は途端に方向転換し、セイに飛びかかった。
「セイ!」
 シスターの悲鳴が聞こえてくる。それでもセイは冷静だった。
「仕方ないね。この子にはとてもお世話になったんだ。手を出すことは許さないよ。……さぁ、これがあんた達が欲しがっていた秘密の力だよ」
 そう言って両手を前に出す。手のひらを上にして何事かを呟くと、セイの手に大きな火の玉が三つでき、それが三人に向かってそれぞれ飛んでいった。
「ぎゃあああー!」
 三人はそのまま炎に包まれ、しばらくもがきながら辺りを走り回っていたが、やがてその動きがゆっくりになったかと思ったら倒れて動かなくなった。それでも炎の勢いは止まず、林の木や草に燃え移り広がる。
 しばらくその場にいた人達は信じられないものを見たという感じで立ち止まってしまっていたが、火の熱さで意識を取り戻し、まだ燃えていない方へ一斉に避難した。それでも大きく広がった火は並大抵のことでは消すことができず、やがては孤児院や街全体にも広がってしまうだろう。どうしたらいいのだろうと全員が考える中、マルベリーは目を閉じて一生懸命祈っていた。
「お願いっ! おねがいっ……!」
 そのマルベリーの願いが通じたのか、やがて空が暗雲で覆われて雨が降ってきた。火の勢いは雨に打たれ途端に弱まり、やがて鎮火される。辺りには焼け焦げた林と、黒ずんだ三つの物体が残った。
「……」
 それを見て安心したのか疲れたのか、セイの意識がぷっつりと途切れ、力が弱まり地面にどすんと音を立てて倒れ込む。
「セイさん、セイさんっ!」
 雨に濡れたままマルベリーが駆け寄り、セイの脈拍を測っていた。


 セイはその後一週間ほど眠り続け、目が覚めた時にはここ数日の記憶が飛んでしまっていた。正確に言えば修道院にやってくる数日前の記憶までしか残っていないらしい。かつての仲間だった三人の死を伝えた時は素直に泣き悲しんでいた様子を見ると、三人が言っていたいわゆる情報を手にして裏切りを働く前までの記憶ということなのだろう。今回の事件は非常に様々な謎を残したものになった。
 セイが使った力はいったい何なのか。それはどこから手にしたものだったのか。
 世界にはまだ明かされていない謎が多くあるが、セイの使った力がとても危険なものであることは確実で、できることなら封印をするべきだと考えた。今回の三人の他にも同じくその力を求めている人がいるかもしれない。そんな力は必要ないものだとそれぞれが考えていた。
 それでも孤児院と修道院に平和が訪れたことは確かで、その事件の後はとても穏やかに毎日が過ぎていた。
「うまい!」
 笑顔で食事を頬張るアルムは、まだ事件のショックが消えていないシスターやマルベリーにとってはとても心安らぐものだった。エルジュを始め、事件について全く知らない孤児院の子供達も相変わらず元気だ。
 アルムはしばらく事件についての会話を避けていたが、セイが意識を取り戻した日に、前から不思議に思っていたことを話してみようと思った。食堂からマルベリーとアルムにあてがわれている自室に戻った時にふと呟いてみる。
「そういえば、俺も不思議なことがあったんだよ」
 マルベリーはベッドに寝そべり「どんなことですか?」と尋ねる。
「あぁ。なんだか辺りから風が吹いてきて、敵のいる方向とか、いろんなことを教えてもらったような気がしたんだ。時々そういうふうに思える時があるんだよ。おかしなことだけどな」
 その風はマルベリーのパートナーであるシルフィードに他ならないのだが、精霊を見ることのできないアルムにはもちろん知る由もない。それでも、今まで得てきた数々の経験や感覚などにより、この風は何らかの意思を持っているものかもしれないとは思えた。
「おかしいことなんてないですよ。この世界に生きているものたちは、何も目に見えるものだけではありません。いつでも私たちを見守ってくれています。私にも、いつも風の精霊がそばにいてくれています」
 マルベリーが横を見て微笑む。アルムはどこを見ているんだろうとふと思ったが、すぐにわかった。その、そばにいれくれているという精霊を見ているのだ。
「精霊かぁ。そういえば聞いたことはあるかな。よくわからなかったけど」
 マルベリーは頷く。
「普通の人間には見ることができない子たちなんです。でも、必ずどこかにいます。海や川や井戸とかには水があって、水の精霊たちがいます。私たちを温めてくれる暖炉や料理を作るときに使うかまどの火には、火の精霊がいます。私たちが生きているのと一緒に生活しているんです。みんな意思を持って。だから、シルフィードが私のそばにいてくれているのはとても嬉しいことですし、とても大切なんです」
 アルムはなるほどといったような表情になる。
「もしかして、俺に色々教えてくれていたのは、マルベリーの友達のシルフィードだったのかい」
 そうだよと言わんばかりにシルフィードがマルベリーの肩から飛び立ちアルムの髪の毛を揺らす。「わっ」と小さく呟きながら髪を整えるアルムを見てマルベリーは口に手を添えて笑い出した。
「なるほどな。こういうことなのか。俺には精霊を見ることはできないけど、感じることはできるんだな」
 アルムの何気ない言葉にマルベリーが反応し一瞬ぴたりと止まる。同じくシルフィードもアルムの周りを飛び回っていたが、それを止めた。急に態度の変わったエルフの少女を不思議そうに眺めるアルムの視線に気づき、マルベリーははっとして青年を見つめた。
「どうしたんだよ」
「あ、あの、えっと」
 思わず口ごもるマルベリー。余程驚いてしまったのだろう。それでもそれは決してアルムにとって悪い印象を持ったということではなく、むしろ全く逆だった。
「そういう風に言ってくれる人間の人に、始めて会いました。お父さんとお母さんだってシルフィードに気づいたことってないのに」
 マルベリーは今まで見せたことのない心からの笑顔を見せた。再びパートナーの肩に腰掛けたシルフィードと目を合わせ、にこりとする。
「そうなの。感じることができるの。私達が暑いとか寒いとか、暖かいとか冷たいとか、そういった感覚が持てるのは、精霊たちがいるからなんだよ。さっきも言ったけど、見えないけど、必ずいるの。目に見えるものだけが全てじゃない。私達はいつも目に見えないものたちに、とっても助けられてるの。自分の感覚だけじゃない。例えば風の吹く方向とか、日の当たるところとか、みんなから教えてもらう感覚とかも全部使って、私達は生きてるんだよ。でも、人間たちはそういったことを信用しないで、全部自分達でやってるんだって思ってるんだ。本当は違うのに。だから、感じることができるって言葉、とっても嬉しかった。もちろんシルフィードにとってもね」
 いつも言葉少ないマルベリーが、今日はやけに饒舌だった。しかも、アルムにとっては故郷の村にある自分の家にいる時にしか聞いたことのなかった丁寧言葉抜きの、マルベリーの心からの言葉だ。
 少しは心を許してくれただろうか。アルムはふと思う。いつでもマルベリーは後ろをついて来てくれているけれど、それは一人で旅ができないからという理由だ。見知らぬ人間よりは多く話してくれてはいるがずっと丁寧語だったし、アルムはマルベリーとの距離感について考えることも多くあった。
 アルムは自分がすごい人間だとは全く思っていないし、それこそマルベリーが恐れているような人間でもない。遠慮なく普段通りに接してもらえたらいいと前から思っていたが、それも全てはマルベリーの意思や考え方だ。それを要求することはできなかった。
 それでも、少し行動を起こしてみてもいいだろうか。ちょっと言ってみようかと思ってみる。言ってみて変わらなかったとしても、マルベリーとの関係も特に変わりないという思いもあった。
「やっと丁寧語抜きになったねぇ」
 アルムが呟いた言葉にマルベリーははっとする。自分でも全く気づいていなかったらしい。
「ごめんなさい」
 縮こまって謝るマルベリーにアルムはびっくりする。
「どうして謝るのさ。俺はむしろもっとはしゃいじゃってかまわないのに」
 アルムは剣の手入れをしながらマルベリーに対してにんまりと微笑んだ。
「俺って妹弟がたくさんいるから、頼られたり『兄ちゃん』って呼ばれたりするのに慣れてるし、嬉しいんだよね。『アルムさん』とかって呼ばれるのガラじゃないし照れくさいし。だからまぁ、自然にできるに越したことないけど、俺に対しては本当に遠慮とかいらないからな」
 マルベリーは一瞬どうしようかと視線を上に彷徨わせて考えていたが、やがて寝そべっていた状態からちょこんとベッドの上で正座をした。
「えっと、アルム……兄ちゃん?」
「そうそう! ……ってそんな正座して改まらなくても」
 アルムは耐え切れずに笑い出す。いい傾向だと思った。少なくとも先程呼んでくれた感じでは無理は感じられない。
 人間には色々な人がいるけれど、自分からなどの身近な人達から徐々に慣れていっている様子が少しずつ伝わってくる。それはここの孤児院の影響もあるだろうし、これから旅をしていくに当たってまた色々なことを学んでいくだろう。
 アルムは剣を鞘にしまって立ち上がり、マルベリーを軽く持ち上げ抱き上げる。驚く様子を見て感情も前より豊かになったなぁと思う。保護者としてマルベリーのこれからの様々な可能性を感じ、とても嬉しくなっていた。

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