……赤い。
私を取り巻く全てのものが赤く見える。
目の前の空間が炎から発せられる熱のため薄く霞んでぼやけてよく見えない。
しかし私は今ここで何が起こっているのかを理解していた。
火事。森、小さな村、人々。目の前にある全てのものが燃えている。
しかし私は炎に包まれてしまうことはない。なぜなら私はこの空間にいるべき人間ではないから。
私はここではない場所で生きている。
ただ、なぜここにいるのか、なぜこの情景を知ることができるのか。それは私にもわからない。
とにかく私はこうしてこの火だらけの空間の中に立っている。
苦しんでいる人々を助けることもできず、瞬きをすること以外は動くこともできずにただ立って前を眺めることができるのみ。
視覚と聴覚を感じること以外は私には許されていないのだ。
辺りは火の海。
周りの建物が音も立てず崩れていく。
家の柱の下敷きになっていた人々があっという間に炎に飲み込まれていく。
まだ意識はあったのだろう。小さな呻き声が聞こえてきた。
しかしそれも長くは持たない。すぐにその音はぷつりと止んだ。
惨状だ。私は前を見てそう思う。
すぐ目の前は中心に井戸のある小さな広場のようなものになっていて、井戸の桶の中には蒸発してしまってもうほとんど残っていないが、水が入っていた。
汲んでいる途中に襲われたのかもしれない。
この様子から見るとほんの少し前までは普通の生活を送っていた村だったのだ。それが一変してしまった。
広場にもあちこちに剣などの武器が散らばっている。村の人々も必死に応戦したのだろう。
すぐ側には、既に人ではなくなってしまった人達がいた。
うつ伏せで倒れていたり、首がなかったり。直視するのは堪えられない。
皮膚は黒ずみ、炎で焼かれて白い煙を上げている。
本来ならすぐ側にいる私にはその異臭が感じられるはずだが、不思議とそれはなかった。
おそらく必要のない情報なのだろう。
遠くから女性の声が聞こえる。
掠れてはいるが、だいたい何を言っているのかは聞き取れた。人を捜しているようだ。
声を頼りにどこから発せられたか調べてみる。
私のいる方向に向かって聞こえてきたように思ったため前を向くと、遠くから一人の女性が走って来るのが見えた。
見た目は二十代前半くらいか。
濃い茶色の肩まで伸びたセミロングの髪。空色の瞳。白い肌。
そして髪の毛から時折除く長い耳。
……私と同じ種類の人だ……!
すぐ側まで来ているのに私には全く気づいていない。この場所に私がいるわけではないから当然か。
「姉さん……!」
そう一言呟いてその女性は首を左右に巡らし辺りを眺めている。
だが、一向に見つかるような気配はない。もう生き残っている人すらいないように思える。
「どこにいるの? 絶対いるはずなのに……!」
女性は方々を走り回ったようで疲れている様子が色濃く見えた。体に力がなくなり土に膝をつく。
半分放心状態になり茫然と地面を見つめている。辺りの死体など全く気にも留めていないようだ。
一瞬、殺気が辺りを通り過ぎた。
その女性もすぐに反応し、井戸を背にしながら相手の殺気を辿る。
間髪なく女性めがけて矢が飛んでくる。女性は何かを呟くとすぐ前方へジャンプして矢をよけた。
どこから飛んできたのだろう。私には皆目見当がつかなかったが、その女性にはわかったようだ。
女性は右手を上に掲げて、もう一度何かを呟いた。それからその手を弧を描くようにしてすっと降ろした。
顔はずっと前を向いたまま。
「……ぐぅっ!」
呻き声が聞こえてきたのはそのすぐ後だった。
女性の右側にまだ燃えきっていない大木があった。その影から一人の男が現れ、前のめりになって倒れていくのが目に入る。
……こんな所に隠れていたのか……。
私は全く気がつかなかった。しかも、武器を使わずに一瞬にして人を殺してしまう能力を持っているとは。
その女性は人を殺めるということに全く罪悪感を持っていないようだ。
私は前方に広がる死体の数々を見て思った。
これだけ数多くの同胞を殺されてしまったのだから、仕方ないのかもしれない……。
女性は一息つくとすぐまたどこかへ走って行った。
きっと見つかるまで捜し続けるつもりなのだろう。
その女性をよく見ると、周りの炎から身を守るように体中が青くて薄い水の膜に覆われていた。
女性を襲おうとしている炎がそれに触れて蒸発していく。
女性が去っていった後、しばらくは何もなかった。
ただ森が燃えていただけだ。
その間に炎は家の跡を確認させることすら不可能にしてしまっていた。
一つの村の消失。
村だと言えるものはもう何もない。
ふと私の耳に先程の女性のものとは違う声が聞こえてきた。これは獣などの声ではない。
……まだ生き残りがいたの?
私は心底驚いていた。辺りは目を覆いたくなるほどの火の海だというのに。
声は男性が発したものだ。二人いるようで、一人は若者、もう一人は老人。
慌てているのか、それとも恐れているのか。広場まで走ってきた二人はそこで立ち止まった。
息を切らした老人が井戸に寄りかかるようにして座り、辺りの様子を眺めて何事かを呟く。
もう一方の男性は比較的若いようで、辺りを注意深く探りながら座っている老人を見ていた。
二人とも先程の女性のように長く突き出ている耳が印象的だった。
「この様子ですともう生き残っている人はほとんどいないようですね……」
男性は少々早口で話をしている。薄い銀色の髪の毛は所々が炎で焼けてしまったのかちりちりになってしまっていた。
「うむ……惨いものじゃ……」
老人も辺りを見渡し胸の辺りにまで伸びている白いあご髭に触れる。
「このままでは我々も炎に飲み込まれるのは時間の問題ですね。そろそろ安全な場所へ避難しなければ」
口調は穏やかではあったが、青年は持っている長槍を強く強く握り締めていた。
「そうじゃな。これ以上捜してもきっと徒労に終わるじゃろう」
老人が息を一つついて立ち上がる。
それに手を貸していた青年は血があちこちに染みた広場の土を見ていた。じっと俯いたままで呟く。
「こんな時にあの子はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか?」
老人は首を軽く左右に振る。
「あいつはもう頼りにならん。姉を捜しに行ったのじゃろう。仲間を助けることよりも姉を助ける方が大事だと考えたのじゃな」
男性は俯いたまま一度頷いた。
「冷静に考えてくれればよかったのです。水の力を使えば皆が助かる確率が高まったはずですのに」
「あれほどの力を持つ者はそうそういない。だからこそこのような時に力を発揮してくれることを願ったのじゃが……」
老人はへし折れそうなくらいに身体が細く身長も小さいが、不思議なオーラが感じられた。
顔も疲労の色が濃いというのに声はしっかりとしている。なんとなくこの村をまとめる人物なのではないかと思えた。
「もう水の力を使いこなす人は残っていません。どちらにしろ力を集めても火事を食い止めることはできませんでした。それでも私はあの子の気持ちが痛いほどによくわかります。私もあのようになっていたかもしれません」
男性はまっすぐ前を向いた。ちょうど向かい合っている位置にいる私から表情がよく見える。
瞳の奥になんだか薄く靄がかかり黒くなっているが、それでも光は残っていた。
「わかっておるよ。このことは皆が理解している。誰も責めたりはしないじゃろう。お前もつらいところだろうが、もう少しだけ手伝ってくれ」
「……はい」
男性のその瞳を思わず私は見つめてしまう。
それは状況が状況なだけに明るくはないけれど、確かに輝いていた。
この人は自分を見失っていない。今は耐え、それから何らかの行動を起こすのだろう。
私はそんな様子に共感を覚えていた。
「ところで、最後の生き残りは今どうしている?」
老人が腕を組みしかめ面をした。少し上を見て何かを考えてもいるようだ。
「……え? 彼らは私達が助けた人々と共にいると思いますけれど?」
こういうことを聞かれるとは想像していなかったのか、少し驚いた口調で男性は答えた。
「あいつからはとても危険な匂いがする。しばらくは目を離さない方がいい」
男性は老人を見て、そして表情を更に固める。
「そうなのですか? わかりました。長老が言うのなら間違いはありませんね」
広場に立っている最後の木に炎が燃え移り、煙を上げながら崩れていった。
「うむ。頼むぞ。……そろそろ行かなければな」
「そうですね……」
男性はこの光景をしっかりと目に焼き付けているようだった。
「火の手がやんだら被害者を手厚く葬ろう」
そしてまた二人はどこかへ向かって歩いていく。
その姿が徐々に遠くなりやがて見えなくなると、辺りはもう炎が燃える音しかしなくなっていた。
先程の女性の気配も全くない。
一人になった私はふとまばたきをした。
すると、私の前に白い影が見えた。
炎の揺れのようにぼんやりと。
目を凝らしてよく見ると、それは影ではなく女の子だった。
明るい所で見れば金髪に見えそうな薄茶色の髪の毛は胸の辺りまで伸びている。
薄くて白い布でできている粗末な服を着て、足は裸足だ。
真っ白といってもおかしくはない顔。
目は閉じられている。
その横には長い耳が髪の毛から突き出ている。
背は低い。
その女の子は目を閉じたままただ立っていた。
いつの間に現れたのだろう。この落ち着いた様子から察するに、この女の子も私と同じくこの空間の人物ではないようだ。
女の子の目がゆっくりと開かれた。
大きくて鮮やかな翠緑色の瞳。
私は他の人には見えないはずなのに私をじっと見つめているような視線を感じる。
……私に気がついている?
そして私もあることに気がついた。
その女の子が、着ているものこそ違えど私と全く同じ姿形をしていることに。
……これは私? 私なの?
目の前に私が見える。
しかしこんなところに鏡などというものが存在するはずがない。
それに、着ている服が違うということが完全に私ではないことを物語っている。
その女の子はぴくりとも動かない。
ただ私を見つめているだけだ。
私も動くことができないため、自然とその女の子を見つめてしまう……というよりは、見つめずにはいられないのだ。
不思議な感じ……。
私と同じ顔だからというわけではない。
だが、目の前の私を見ていると心の奥底で何やら暖かいものを感じる。それは今まで生きてきた中で一度も感じたことのないものだ。
何か……遠い昔の、とても大切な記憶が思い出せそうな、そんな気がしてくる。
私にとってその記憶はどんな影響を及ぼすのだろう。
しかし、どんなに懸命に思い出そうとしても、記憶の海から引き上げることができない。
深い深い海溝に引っかかっているのだろうか。
それとも、私自身が無意識のうちに記憶を引き出すのを拒否しているのだろうか……。
私も、目の前の私も、お互いに自分と全く同じ姿をしている人を見つめている。
目の前にいる私はいったい誰なのだろう?
この空間を創り出したのはきっとこの女の子なのに違いない。
ここで起こっていることは何を意味しているのだろう。そしてこの女の子は私に何を見せようとしているのだろう。
わからないことが多すぎる。
だからこそ、知りたい。
しかし、わからない。
思考の堂々巡りだ。
その、閉じ込められている大事な何かを思い出すことができれば、この謎の全てが理解できるのだろう。
……何なの? いったい……。
私はどうすることもできずに、頭の中がぼんやりしてすっきりしないためもどかしく思いながらも目の前にいる私をただずっと見つめていた。
目の前にいる私も、何かを訴えるように大きな瞳で私を見つめている……。