雪の中の公園で



 曇り空の下、雪が降り続いていた。
 白と灰色の空間の中でひらひらと落ちてくるつめたいもの。
 風はなく、ただまっすぐに降り積もる。
 そんな空間の中に一人の少女が座っていた。
 小さな公園の隅にある小さなベンチ。
 もちろんそこにも雪は積もっている。
 いつから降っていたのかはわからないけれど、それでも少女のショートブーツが雪に埋もれるくらいの深さになっているため、かなり前からなのだろう。
 少女は長い間黙ったまま手袋をした手を何度も擦り合わせたり、両手を顔のそばに近づけ息をかけたりしていたが、やがてふと立ち上がった。


 公園のベンチは少女の腰掛けていた部分だけ雪が積もらず窪んでいた。


 少女が自動販売機で暖かな飲み物を買ってからベンチへ戻ると、そこには少女と同じくらいの年齢の少年が先程よりも高く浅くなった窪みに合わせるように座っている。
 少年の姿を発見した少女は寒さを忘れるくらい嬉々としてベンチのそばまで駆け出した。
「遅いっ」
 少女はこの少年と待ち合わせをしていたらしく、遅れてきた少年に悪態をつく。
「帰っちゃおうかと思ったんだからね」
 それでも口調が軽いものだったため、少年は少女がそんなに怒っていないことを知り少し安心できたようだった。
「ごめん。でも紗耶はきっといるだろうと思ったから座って待ってた」
 少年は逆らう余地もないのか素直に謝った。用事をこなしてからこちらに向かう予定だったのだが、それが予想外に時間がかかってしまったのだ。
 謝る少年を見て紗耶と呼ばれた少女は笑顔を見せる。
「ううん。いいよ。だって会いたいって言ってくれたのは嬉しかったもん」
 少年は現在とても忙しい状況で、本来であればこうして会う時間すら持つことができないはずだった。少年が自分のためにとても無理をしてくれたということなのだ。それもあって多少のことであればたいしたことはなかった。
「待ち合わせ場所、室内にすればよかったかな」
 少年がベンチに座ったまま空を見上げて言う。
 灰色の雲はとても厚く空いっぱいに広がっており、そこから大粒の雪が降り続いていた。
「でも、この公園ってちょうどあたしと直人の家の中間にあるじゃん。それに、むしろあたしが直人の家に行った方がよかったって感じだよね」
 紗耶はホットココアを手にしたまま、積もっている雪にかまわず少年のすぐ隣に座り、同じく空を見上げた。自分を見つめている視線を感じ、横を向いて少年と目を合わせる。
「だから、こっちもごめんね」
 紗耶が顔をほころばせる。それを見て直人と呼ばれた少年も同じく微笑んだ。
「ありがとうな。あと、ごめん」


 二人はその後しばらく雪の降り続く公園のベンチに座り、辺りを眺めていた。
 このベンチは道沿いに置かれており、その道の向こうには小さな遊具場がある。
 二人も幼い頃にとてもお世話になったブランコや滑り台などが置かれていて、そこで数人の子供たちが雪遊びをしていた。
 雪合戦や、雪だるま作りや、その他色々。遊具場から少し離れた、普段は芝生が敷き詰められている広場では小さな雪山もできていて、スキーやそりで遊ぶ子供たちもいた。みんな寒さも気にせずひたすら走り回っており、その歓声が二人のいる場所にも大きく響いてきていた。
「ねぇ直人」
「なんだ?」
 不意に紗耶が呟いたため、直人は子供たちから目線を隣の少女へと移す。
「子供は風の子だよね」
「なんだそりゃ」
 急に何を言い出すのかと直人は少し驚いた顔をした。紗耶は微笑んで、前を指差した。
「ほら、あそこの子供たち。こんなに寒い中でもわーわー言いながら元気に遊んでるでしょ?」
「あぁ」
 再び前を眺める。子供たちからはどこにそれだけの力があるんだろうというくらいに力強い雰囲気があった。
「それがすごいなって思う」
「はい?」
 直人は紗耶の言いたいことがよくわからず、そのまま疑問の表情で返事を返した。
 紗耶はベンチに降り積もっている雪をホットココアの持っていない方の手で一掴みして、雪玉を作るようにぎゅっと握り締めた。
「私たちだって、子供の時には公園とか雪山とかで思いっきり遊んでたでしょう」
「そうだな」
 作られた雪玉が一つ軽く投げられる。それはベンチの前を通っている道のほぼ真ん中に落ちた。雪玉の大きさの分だけ小さくくぼみができる。
「そういう思いって、いつの間にか消えちゃったんだね。今は寒くて身体を縮めちゃうし」
 素手で雪を持ったため冷え込んでしまった手を温かい飲み物の缶で温める。もう缶はぬるくなってしまっていたが、冷たい手にはとても心地良い暖かさだった。
「待ってる間にそんなこと考えてたのか」
 直人は相変わらず子供たちを見ていた。自分も昔はあの場所で元気に遊んでいたことを思い出していたのかもしれない。
「誰かさんがものすごく待たせるから暇になったんだよ」
 紗耶は持っている缶のふたを開けて飲む。ココアは徐々に冷たくなってきていたけれど、とても甘くておいしい。
「それは悪かったって」
 直人は本当に申し訳なさそうに両手を胸の辺りで合わせた格好で謝った。
「うん。気にはしてないけど。でも、ここに座って待ってたらちょうど目に入ったんだ」


 そしてまた二人で子供たちを眺める。ほんの少しだけ無言の空間が流れたけれど、二人にとってはそれもとても心地良いものだった。
「上手く言えないかもしれないけど」
「うん。なに?」
 何かを考えるように軽く腕を組んでいた直人が呟く。その声を聞いて紗耶は直人を見た。
「子供たちって、なんにでも夢中になるだろ。遊んでいる時は『楽しい』ってことしか考えてないんだ。だから『寒い』っていう気持ちが入ってこないんじゃないかな」
「うん」
 紗耶は軽く相槌だけをして直人に続きを促す。
「ほら、よくあるだろ。楽しい時は時間があっという間に過ぎて、授業中とか、嫌なことをしている時とかはものすごく長い時間のように感じたりさ、それと同じようなもんだよ。楽しい時には楽しいことに夢中になってるから、時間が経っていることに気づかないんだ」
 紗耶は直人の言ったことを小さく反芻させながら少し考えていたが、やがてにこりと笑い頷いた。
「子供たちは今遊びに集中してるから、寒いって思う暇なんてないってことだよね」
「そう。無意識のうちにそうなってるってことだろうな」
 二人はまた子供たちのいる方向を眺めた。相変わらず歓声の声は響き続けている。
 ずっと動いてばかりで疲れているかもしれないが、それすら全く感じさせない。
 何かの邪魔が入らない限り、子供たちはずっと遊び続けているのではないかとすら思えた。
「無邪気だね」
「そうだな」
 直人はベンチから立ち、少しだけ前へ進む。
 雪が降り続いているため、浅くなった道のくぼみの方向へ。
 そこへ辿り着くと直人は膝を曲げ、先程紗耶が投げた雪玉を拾い上げた。改めて両手で握り直し、紗耶に向かって軽く投げる。
「極端に言えば、俺たちだって、あの時みたいに雪遊びが純粋に楽しいなぁって思うようになれたら、あの時の思いを思い出すことができたら、きっとその時は寒さを忘れるんじゃないか?」
 雪玉は紗耶の手元へ見事に収まった。持っていたココアの缶をベンチの隅に置き、雪玉を握り締める。
「そしたら、私たちも寒さを感じなくなるってことだよね」
「あぁ。いつの間にか、楽しくないってわけじゃないけど、夢中になれることって少なくなってきたな」
 紗耶も今度は直人に向けて雪玉を投げる。直人は飛んできた雪玉をしっかりと受け止めた。
「そうだね。また思い出せるといいね」
「そうだな」
 直人は紗耶を眺めたまま穏やかに微笑んだ。


「……あ、そろそろ行かないといけない時間だ」
 しばらくキャッチボールのように雪玉を軽く投げ合っていたが、ふと思い出したかのように直人が腕時計を眺めた。
「え、もう?」
 いかにも不服そうな顔をする紗耶。こうして会っている時間はあっという間で、また次に会うまでには長い時を必要とする。時間が少なすぎると思っている様子がすぐに表情に出てしまったのだ。
「そう。……あははは」
「……どうしたの?」
 はじめは直人も残念そうに頷いていたのだが、少し経って急に笑い出した。紗耶は何が起こったのかわからずに首を傾げる。
「これは紗耶がさっき言ってたことだろ」
 直人に言われた言葉の意味を考えていた紗耶は、ふとひらめいた。
「夢中になってたってこと?」
「そう」
 紗耶は、先程一人で待っている間は長く感じていたけれど、直人が来てからはまだそんなに時間は経っていないと思っていた。それでも夕方になって、冬の薄暗い状態が更に増していると今更ながら気がつく。時計を見てみると待ち合わせ時間からもう2時間以上も経過していた。待っていた時間を除いたとしても、少なくとも1時間以上は直人と話をしていたことになる。
「そう言われてみれば、そうかも」
 紗耶は少し恥ずかしそうに微笑んだ。本当に今まで全く時間の感覚がなかったのだ。そう考えるとなんだかとてももったいないような気がしてくる。
「でも、時間が少ないことも確かだよね。一日中とか会えたらいいのにな」
「それは、ごめんな」
 申し訳なさそうに言う直人に向かって紗耶は首を左右に振る。
「ううん。いいの。今日会えたこともとっても嬉しかったし」
 直人はまた一歩一歩ゆっくりと歩き、紗耶に近づいた。すぐそばまでやってきて、頭を軽く撫でる。紗耶は少しだけ見上げてくすぐったそうに笑う。
「しばらくまた会えない日が続くけど」
 少しだけ真顔になる直人。今は自分の夢のために紗耶との時間を犠牲にしているけれど、紗耶はそれでも耐えられる自信があった。
「大丈夫だよ。あと少しじゃない。私は我慢できるよ。あたしは直人を応援してるからね」
「あぁ。ありがとう」
 直人は微笑む。こうして代償を払っているのだから確実に実現させてみせるといつも紗耶のことを考えては頑張ることができていた。
「そしたらあたし、家まで送ったげる。あたしはまだ時間あるからね」
 紗耶は直人の家に行ってから帰るといつもの二倍時間がかかるが、それをもってしても、まだ一緒にいたかった。直人もそれは同じようで思わず頬が緩む。
「今日は、お願いしようかな」
「うん」
 紗耶もベンチから立ち上がろうとしたが、急に吹いてきた強い風で身体が冷え、思わず大きなくしゃみをしてしまう。あまりにも勢いがよすぎたため、しまったと照れ笑いをする紗耶。
「大丈夫か? 待たせたから冷えたんだろ」
「平気だよ。でも、やっぱりまだ寒さには勝てないや」
 直人は少しかがんで手を前に出してくれていた。紗耶はそれにつかまるようにして立ち上がる。風邪をひくといけないため送るのはいらないよと言おうかと思ったが、その前に見事に相手から却下された。


 ベンチにあった深い一つと浅い一つのくぼみも、また降り続く雪に覆われていく。
 公園で響く子供たちのはしゃぐ声は子供たちの母親が迎えに来るまで止まることはなかった。
 歩き出した二人がつないだ手は、なぜかいつもより温かく感じられていた。
 そして、雪の降り積もる道に、寄り添う二人の新たな足跡がしっかりと残っていた。