シアンスの神殿



 シアンス。
 奥へ辿り着いた者は、この世の全ての知識を身につけることができると伝えられている神殿の名前である。
 今までも数多くの人々がそこへ訪れ、奥を目指そうとしたが、辿り着いた人はごくわずかしかいないという。
 最後にその知識を身につけた者は、約100年前。名前は明かされていないが、今の人々が持っているシアンスの知識は、その者が書かれたとされている文献から得たものであった。
 人々の欲求は尽きないものである。どんなに多くのものを覚えたとしても、それに満足せずに更に上を目指していく。
 そのため、人々の関心は半端なものではなかった。
 そして、ここにもまた、シアンスに魅せられた人がいるのだった……。


 一人の少女が窓辺で本を読んでいた。温かな陽射しが肌に優しく触れている。
 少女は意識を本の中に飛ばし、しばし時間を忘れ読みふけっていた。
 しかしそれは次第に部屋に近づいてくる大きな足音で中断される。
「フィエルっ! 聞いて聞いて! すごいんだよっ」
 ばたんと大きくドアを開ける音がして、そこからもう一人。少女が姿を現した。
 勢いよく飛び出してきたため、艶やかな黒髪のポニーテールが肩の辺りでゆらゆら揺れているのがわかる。
 身体をすっぽりと覆う白いロングスカートのローブに身を包んでいる少女の手には1冊のノート。それをぶんぶんと降りまわし、興奮がいまだに覚めないのか少し赤い顔をしてずかずかと部屋の中に入って来た。
「どうしたの? 何かあったの?」
 フィエルと呼ばれた少女は持っていた本を傍らに置き、部屋に入ってきた少女に問いかける。
 フィエルは部屋に入ってきた少女、リエルの2つ年上の姉だった。年は17歳。
 栗毛の髪の毛はストレートで腰まで伸びている。着ている服装はリエルと同じく白いローブ。
 今までの穏やかな時間を急に止められて少々驚いている様子だった。
「そうそう、ねぇねぇ、これ見て!!」
 フィエルと同じこげ茶色の瞳がきらきらと輝く。
 部屋の奥のベッドへリエルも座り、ノートをぺらぺらと開く。
「実はね……。閲覧禁止図書館に入っちゃったんだっ」
 姉妹が住んでいる所は学問がさかんな宗教の街だ。神への信仰心が強く、街の至るところに教会や聖堂がある。
 そのため、知識をつけるために大きな図書館があるのだが、中には一般人には見せられない本もある。そのような本は閲覧禁止図書館という、通常とは別な場所に厳重に保管されているのだった。
「……えっ? 入って大丈夫だったの……?」
 貴重な本の他に、悪い影響を与える本も保管されているため、一般の人々は入ることすらできないはずの場所に、どうやって入ったのだろうか。
「えへへ。私にもちょっとしたつてがあるんだよね。……ちょっとどきどきしたけど」
 目的のページを開いて、フィエルへ見せる。
 そこには急いで書いたためか文字が崩れてはいるが、何が書かれているかはなんとか読み取れた。
「……シアンス……?」
「そうなのっ! シアンスに関するところだけ急いで写してきたんだよ。私は絶対に諦めないんだから!!」
 両手の握りこぶしを胸の辺りへ持っていき気合いを入れるリエルは、シアンスに対する執着心が異常に高い。
 いつか必ず奥まで辿り着いてやる! といつも情報収集をしているのである。
「これだけのことをするのに2年なんて、思ったより時間かかっちゃったけど、これをもとにして、なんとか方法をみつけるんだ! もちろんフィエルも行くよね?」
 フィエルはそれほど思い入れはないが、目的のためなら無茶をしかねない妹が心配で、シアンスに向かう時はいつも一緒だった。
 リエルとフィエルはこの僧侶だらけの街で生まれ育ち、資質も両親から受け継いでいるが、ある日やってきた魔法使いの力を見て一目で憧れてしまったのだ。
 僧侶と魔法使いの能力はある意味相反するものであり、僧侶系の能力を持っているリエルには魔法は使えない。
 それでも魔法を使えるようになるための方法が知りたくて、知識を追い求めているのだった。
「うん、いいよ」
「やったぁ! それじゃ、早速研究に取り組まなくちゃ!」
 すぐに立ち上がり、ノートを大切そうに抱えてフィエルの方を向く。
「明日は何も予定入ってないよね? 早速行くからね!」
 返事を待たずに慌ただしく部屋を出て行く妹を見て、
「明日行くならお弁当作らないと……」
 姉は全く正反対なことを考えていた。


 次の日の朝。日が昇り始める少し前から姉妹は起きだし、出発する準備を進めていた。
 シアンスへは街から3刻ほどかかる。そのために早く出発しないとゆっくり探索できないままに夜を迎えてしまうのだ。
 冒険者の中には神殿へ泊まって粘り強く奥への道を探す人もいるが、さすがに年若い少女2人ではそのような無茶はできない。
 いつも「まだ帰りたくない」と悔しがる妹をなんとかなだめて連れて帰る。これもフィエルにとってとても大切な仕事だった。
「昨日のメモは持ったし、あとは食料と、杖と……」
 落ち着かない様子で一つ一つ荷物を確認するリエル。久し振りに向かうために嬉しいのだろう。
 前に姉妹がシアンスへ向かったのは2年前のことだった。
 昔は毎日のように行っていたのだが、頻繁に行ってもすぐに神殿の奥への道が見つかるとは思えないと気づき、時間の無駄を避けるために確実な手がかりが見つかるまで情報収集に努めていたのだ。
 今回こそは見つけたいといつも以上に気合いが入っている様子である。
「私の方も準備いいよ。それじゃ早めに行こうか」
 そして、姉妹のシアンス探索は再び始まったのだった。


 街を抜けるとすぐ森が広がっており、その森のほぼ中心部にシアンスはある。
 始めは薄暗く気味が悪く感じていた森も、太陽が昇ってくるにつれて穏やかに変わってきた。
 フィエルは晴れている日の森が大好きだ。
 野生動物達の息吹を感じることができるし、何より春の暖かな風に揺られて踊る植物の葉や花を見ていると心が落ち着いてくるからである。
 リエルとは違うが、フィエルもこの小さな旅をじっくり堪能していたのだった。
 今まで数多くの人々が訪れているために、整備されてはいないが踏み固められたしっかりとした道を2人は歩く。
 たわいもないおしゃべりをしながら進むうちに、森の木がなく開けている部分に着いた。
 小さな泉が涌き出ているそのすぐ側に、シアンスは建っていた。
 もう何百年も前に建てられたものなのに、少々の風化はあるもののしっかりと建っている、白い石造りの厳かな神殿。
「今日こそは、頑張るぞ」
 ショルダーバッグからメモを取り出し、リエルは気を引き締めているようだ。
 フィエルはリエルよりも先に神殿の中に入り、エントランスで上を見上げていた。
 今回はこの姉妹の外には来訪者はいないようだ。
「この天井画……。いつ見てもきれい」
 室内は天井が高く、平屋なのに2階建てのような感覚がある。そして、その天井に大きく、絵が描かれていた。
 古代の神話物語の一説と伝えられているその絵は、いつ見ても色褪せることなく訪れる人々の目を和ませる。
 他の人々はそうではないのかもしれないが、フィエルはこれを見に来るだけでも価値があると思っていた。
「絵が描かれているのはここだけっていうのは残念だな」
 天井画はなぜかエントランスのみで、他の部屋ではただ真っ白いままなのだ。
「フィエル、先に行っちゃうよ」
 妹の声で我に返り、奥へ向かって歩き出す。
 妹はいつの間にか神殿内に入っていて奥の扉へと向かっていた。


 こじんまりとした神殿は、外から見ても部屋の数が少ないのがわかる。実際、普通に見て回ると3つの部屋しかない。
「ここのどこに奥へと通じる道があるのかな……」
 フィエルが辺りを見まわしながら呟く。
 今姉妹がいるのはこの神殿の中では一番大きな部屋、礼拝堂だった。
 リエルは一番前の席に座り、一心に祈っている。いつもシアンスを訪れるとここで必ず祈りを捧げていた。
 ここまで熱心に追い求めても得ることができない。
 そう簡単に手に入れられるものではないとわかっていても、リエルには納得できるまで挑戦して欲しいと姉は考える。
 ただ、フィエルはそれと同時にまた思っていることがあった。
 確かに難しい問題でも、それをただ求めるだけでいいのだろうか。
 それに向かって勉強などを積み重ねて少しずつ習得していくものではないのだろうかと。
 もちろん妹は懸命に努力をしているし勉強もしている。ただ、それの目的が少し違っているような気がしているのだ。
 実際、ここ数年は魔法を身につける方法などではなく、ただ単純にシアンスのことについて調べているだけだった。
 フィエルがそこまで執着しないのはこれが原因だった。
 知識欲は尽きず、図書館の書物を読めるものは全て読んでしまっても、まだまだ学ぶことはあり、それを楽しいと思える。
 突然全ての知識が身についたら、その楽しさがなくなってしまうかもしれないと感じているのだった。
 妹の隣に座り、祈りを捧げる。
 隣では祈りを終えたリエルが気合いを新たにメモを読んでいるところだった。
「一番怪しいのは、行き止まりの廊下なんだよね……」
 フィエルも祈りを終えて立ち上がる。その時にふと、視界の端にきらりと何かが光ったような気がして、その方向を眺めてみる。
 しかし、特に変わったこともなく、見たことのある光景があるのみだった。
「気のせいかなぁ」
「……フィエル、奥の部屋に行くよ」
 リエルは何かの結論に達したのか、礼拝堂の奥にある扉を開けてどんどん進んでいた。
「あ、今行くよ」
 首をかしげながらも再びその方向を眺め、やはり何もないのを確認すると、前に向かって歩き出した。


 この神殿の、行ける範囲での一番奥の部屋は、何もない空間となっていた。
 部屋の柱や窓など以外は家具も、絵なども全く置いておらず、他の部屋と比べるとかなり寂しい 雰囲気である。
 いかにも怪しく感じ、届く範囲の壁全てをぺたぺた触ったこともある。それでも何もスイッチになるようなものはないのだ。
「……光の射す方へ……。これってどういう意味なんだろうなぁ」
 リエルがメモを見ながら呟く。
 確かにこの部屋には窓はあるものの、北側なために直射日光は入ってこない。そしてにろうそくを灯す燭台などもない。
 光に関して何かの仕掛けがあるのかと、今回はランタンを持ってきたのだが、あちこち照らしても何も起こらない。
「やっぱり時間なのかなぁ。夜にしか入られなかったり……」
 リエルの呟きを聞き、フィエルは先程の礼拝堂の微かな光を思い出していた。何もないところだったが、確かに光っているのを感じていたのだ。
 フィエルはまた礼拝堂へ戻り、辺りを眺めてみた。
「……?」
 きらり。また何かが光るのを感じ、その方向へと歩き出す。
 礼拝堂の奥、この世界の創造神と称えられている人物の像が幾つか並んでおり、その辺りから光が発せられていたような気がしたのだ。
 近づいて、一体一体ゆっくりと確かめる。そのうちの一番左端の像に涙のようについている水滴を発見した。
 上を見上げるとその部分だけ少し天井が壊れ、青い空が覗いていた。
「雨粒がまだ乾いていないのかな?」
 フィエルは無意識にその像の涙をぬぐった。
「……フィエル!! ちょっと来て! なんだか急に奥へ通じる道が出てきたのっ!!」
 隣の部屋からリエルが血相を変えて礼拝堂へ入ってきた。
 その表情にはついにこの神殿の奥に行くことができるのかという期待と不安を覗かせている。
「……本当?」
 驚きを隠すことができないフィエル。もう一度先程の像を見てみる。だが、特にいつもと変わりない状態のままだった。
 そのことについて考える暇もなく、リエルに腕を引っ張られて、その奥への部屋へと向かっていったのだった。


 隣の何もない空虚な部屋の奥に、なぜか2本も道ができていた。
 目の前に長く伸びている道。
 どう考えてもこぢんまりとした神殿の外見から見てありえないことである。もしかしたら異空間へと繋がっているのかもしれない。
 どちらかが正しくて、どちらかが違う道なのか、または両方とも違う道なのか。2人には皆目見当もつかなかった。
「急に2つも出てきても、困っちゃうよね」
 リエルの言うこともフィエルはもっともだと思った。この神殿はいったいどうなっているのだろうか。
「進むだけ進んでみたいんだけど……。どうしたらいいと思う?」
 意見を求められても、どうすればいいのか全くわからない。
 2人は突然現れた分かれ道にただ困惑するのみだ。
「とにかく、どっちでもいいから進んでみるよ」
 リエルはそう言い、右側の道へ一歩踏み出してみる。
「さっきまで壁だったところを歩くのって、なんか変な感じ」
「リエル、大丈夫? 何か変なところとかない?」
 メモを見続け、姉の方を見ずに呟く。
「本にね……書いてあったの。『知識を身に着けるためには決断が必要』だって。だから、とにかく進んでみるよ。……特に何も起こらないみたいだし」
 少しずつ前に歩いている妹の後ろにフィエルも続こうかと思ったが、ふと気になって左側の道に近づき中を眺めてみる。
 すると、礼拝堂で見た時と同じような微かな光が輝いているのが見えた。
「……ねぇ、さっきから不思議なの」
 そう言って妹を呼びとめようかと右の道を覗き込む。
 しかしつい先程まで確かにいたはずのリエルが忽然と消えていた。
「リエル……?」
 いくら目を凝らして眺めてみても、何度も名前を呼んでみても、妹からの反応はない。
 どこか異空間の部屋にでも辿り着いたのだろうか。
 フィエルは突然消えた妹が心配で仕方なかったが、ここでただ立っているだけでは何も解決しないと思い立つと同時に道の先で光っていた様子も気になったため、意を決して左側の道を進み始めた……。


 もっと長く歩き続けるのかと思っていたのだが、意外とすぐに大きな白い扉があるのが見えてきた。
 先程感じた光は、この扉から発せられていたようだ。金色のドアノブがきらきらと宝石のように輝いている。
 その煌きに吸い込まれるようにしてドアを開け、中へ入ってみた。
 部屋は思ったよりも広かった。だいたい運動場くらいの広さだろうか。
 その空間の中に所狭しと本棚が立ち並び、ぎっしりと本が入っているのが見える。
 その量は街の図書館の蔵書量を遥かに超える量だ。
 本好きなフィエルは、本棚からおもむろに1冊取り出して読み始める。今まで数多くの本を読んできたが、ここに置かれている本はほとんど読んだことのないものだと感じた。
「待っていたよ」
 突然話しかけられて本を持ったままびくりとする。
 顔だけをゆっくりと動かし声のした方を眺めてみると、そこには一人の少年がいた。
 オリーブの髪の毛と澄んだ青い瞳が特徴的な少年。神父が着るような白の法衣を身に着けている。
 見た目はフィエルと同じくらいの年齢に見えるが、なぜかとても落ち着いていて貫禄があるように感じられた。
「……こ、こんにちは……」
 今日はフィエルにとって驚くことが多すぎて、いまいち展開についていくことができない。とりあえず挨拶だけ口に出すことができた。
「シアンスの神殿、目的地へようこそ、フィエル」
 そう言って近づいてくる少年。
 表情はとても晴れやかで、フィエルの心の中も不思議とすがすがしくなってくるような気がしていた。
「どうして……私の名前……」
「そりゃ知ってるさ。俺はここの神殿の守人だからね。みんなが言っている『知識を持つ者』だよ」
 あまりにもあっさりと言い放つため、その言葉の意味を理解するのにかなり時間がかかってしまった。
「……そうすると、あなたが……リエルが探し求めていた方……あっ!!」
 自分の呟きで思い出したのか、目の前の少年に気がかりなことを問いかけてみる。
「あの……。今日、私と一緒に妹もこちらへお邪魔していたのですが、途中ではぐれてしまいまして……。どこにいるかわかりますか?」
 フィエルからの質問に少年は「あぁ」と答える。
「あの子は神殿の入り口へ戻ってもらっているよ。……見てみるかい?」
 そう言って、軽くフィエルに向かって手を伸ばす。
 手のひらの上にほのかな光が生じ、そこに見覚えのある景色が写っている。
 神殿のエントランスで、床に膝を抱えてぼんやりと座っている妹の姿が見えた。
 チャンスを逃してしまい、意気消沈した虚ろな瞳。
「リエル……」
 手を元に戻し、フィエルを見つめる少年に
「あの、リエルとは会って頂くことはできないのでしょうか? ……どちらかといえばあの子の方があなたに会いたがっていたんです」
 妹を気遣い説得を試みる。
 その顔があまりにも真摯で少年は心が揺らいだ。
「残念ながら、俺は妹さんとは会うことはできないんだ。俺が会うのは生涯ずっと一人だけ。しかも、俺が選んだ人でないと会わないから」
「そうだとしたら、どうして私は今こうしているんですか?」
 たった一人だけにしか会わないと言っているのに、どうして自分には会ってくれたのか。少年の言葉の意味がよくわからなかった。
「わからないのかい? フィエルこそが、俺が唯一会いたいと思った人だからだよ」
「……え?」
 少年の率直な答えに思わず動揺してしまう。
 目の前の少年は、フィエルだけを待っていたというのだ。それを聞いて平常心でいられる人はいないだろう。
 そもそも、少年は知っていたのかもしれないが、フィエルから見てみれば初対面だ。
「ひとまず、落ち着いた方がいいな。こっちにおいで。立っていると疲れるし」
 くるりと踵を返してすたすたと歩いていく少年の後ろを、パニック寸前のフィエルは本を元に戻してついていくのがやっとだった。


 椅子に座り、少年の出されたお茶を飲んでいるうちにようやく今の状況が理解できてきたフィエルは、今更ながら一つの質問を投げかけていた。
「そういえば……。あなたのお名前……教えて頂けますか?」
 ハーブを使用しているのか心地良い香りがする。口当たりもとってもよく、フィエルはお茶をゆっくりと味わっていた。
「ようやく聞いてくれたな。……俺はサリュ。見た目年齢は18歳だけど、ここでだいたい100年以上生きてる」
「100年?」
 人間の寿命は多くても80年くらいだ。それなのにサリュは年をとることもなく長い年月生きているという。
 通常では全く信じられないようなことだが、フィエルは初めて見た時に感じた貫禄はそのためにあったのかと思うことができた。
「そう。俺が知識を受け継いでここに住むようになったのがちょうど18歳の時だったんだ。俺はその時の姿のまま長い間生きてきた」
「長いですね……」
 生まれてからまだ17年しか生きていないフィエルにとっては、その年月がどれほどのものなのか全く想像がつかない。
 とにかくその、気が遠くなるような時を、ここで一人で過ごしてきていたのだ。
「こうして俺が声を出して話をするのも、久し振りだ……。話し相手がいないから話す必要もなくてね」
 フィエルの方を見つつ、お茶を口へ運ぶ。
 その仕草の優雅さと表情の暖かさに思わずどぎまぎしてしまう。
 こうして向かい合って見ていても照れてしまうくらいサリュは整った顔立ちをしていると思った。
「……さて、そろそろ始めようかな。色々と知っておいてもらいたいことがあるんだ。これからのことでね」
 お茶を飲み終わってカップをテーブルの端に置いたサリュは表情を真顔に戻す。
 その様子を見てフィエルはとっさに声を出していた。
「あのっ! ……私は別に、知識が欲しくてここまで来たわけじゃないですからっ!」
「……もちろん、知ってるよ」
 やけにあっさりとしたサリュの答えに拍子抜けしてしまう。
「妹であるリエルの願いを応援していることとか、いつも神殿のエントランスで天井画を見上げていて先に進むことはどうでもいいと思っていることとか……」
 椅子から立ち上がり、ポットからもう一度カップへお茶を注ぐ。フィエルのカップにも同じく入れてから、もう一度ゆったりと腰掛けた。
「それなのに、どうして……?」
 フィエルにはサリュの言っていることがよくわからなかった。
「たとえ全ての知識を手に入れなくても、俺の話はかなり興味深いと思うけどな。新しい本のページを開くように今まで知らなかったことを知ることができるのは、フィエルの喜びじゃないのかい?」
 はっとしたフィエルがサリュを見つめる。
 見つめられた方は自分の言ったことで目の前の少女が反応したことで思わず顔に笑みが浮かんでしまう。
「それに、俺自身がフィエルと話がしたいんだ。……そんなに帰りたいと思わないで欲しいな」
「でも……」
 口ごもるフィエル。
 確かにサリュの言うことももっともだし、話を聞いてみたいと思いつつある。だが、それができない理由が一つあった。
「……リエルが心配なのかい?」
「……!!」
 サリュを見つめたままフィエルは息をのむ。
 ……目の前の少年はどうしてこうも考えていることを的確に言い当てるのだろうか。
「あの子は私を待っています。一人で長い時間待たせるわけにはいきません」
 先程サリュに見せてもらった通り、神殿のエントランスに座ってずっと、リエルは姉を待っているのだろう。
 一人であの場所にいるのは心細いだろうし、何より目的地に着けず落ち込んでいるはずだ。このまま放っておいて自分ばかりいい思いをするわけにはいかない。
「そう言うと思ったんだ。……それじゃ、ここの部屋以外の時を止めようかね」
 サリュはカップを置いて立ち上がり、少し離れたところで両手を前にかざした。
 フィエルには理解不能な言葉を紡ぎ、両手を合わせる。瞳を閉じたサリュは何かの魔法をかけているようだった。
「……これで、この部屋以外の時はみんな止まっているはず」
 目を開けて再度椅子に座るサリュは、どこか疲れているようだった。お茶をゆっくりと口につける。
 そして飲み終わった後「はぁ〜」というため息を一つついた。
「何を……したんですか?」
 フィエルには何がなんだかわからない。
 サリュは時を止めたといっているが、ここでは特に何事も起こらずに正常に時が過ぎている。
「ここ以外の時間を止めたんだ。だからいくら長く話をしていても、リエルにとってみれば一瞬の時間になるわけだ」
 またしてもものすごいことをあっさりと答える。
 時間を止めるというのはどれほどのことなのだろうか。
「そんなことをしてしまって、大丈夫なんですか?」
 サリュがフィエルを見つめる。
「そりゃ、俺だって時を操るのは面倒だから滅多にやらない。……ただ、今日だけはどんな手段を使っても話がしたかったんだよ」
 どうしてこんなにフィエルにこだわるのだろうか。
 それが不思議で仕方なかったが、懸念の一つが消えたことでゆっくり話を聞いてみようと思える気になった。
「お話を……お願いします」
 途端にサリュの顔がぱぁっと輝く。一瞬見せた子供のような素顔に、フィエルは目を見開いた。
「それじゃ、始めるよ」
 テーブルに両手をついて真面目な話をする体勢を作ったサリュだが、
「……あ、その前に一つ。フィエル、俺と話す時は丁寧語じゃなくていいから」
 そう一言付け加えていた。

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