赤い瞳がみつめるもの



 数日後の朝、おれは美琴よりも早く食事を取った後、制服に着替えるために自分の部屋へ戻っていた。
 机の上の棚には、おれの持っているシュガーの隣に美琴のルビーも一緒にいる。
 これはうさぎのルビーが旅立っていった日の夜に美琴から預かってと頼まれたものだった。『気持ちの整理をつけて落ち着くまではおれのところに連れて行って』と言われて。
 美琴は近いうちに絶対立ち直ると宣言し、実際その後からは少し芯が太くなったと感じるようにまでなっている。
 それでもおれはなんとも言えず複雑な思いを抱えていた。
 やっぱり美琴はなんでも一人で抱えてしまうのだ。こういう時おれはどうすることもできずにただ無力感に嘆くのみ。
 おれは制服に着替えてから机に向かい、ルビーの方を両手で軽く持ち上げ抱えた。
 このうさぎたちは2羽ともそっくりで、美琴に買ってきた親戚の叔母さんは対になっているなどと言っていた記憶がある。
「お前達は一緒にいられるようになって嬉しいのかもしれない。でも、おれにとってはなんだか寂しいよ」
 おれはルビーとシュガーを見てぽつりと声を漏らしていた。


 美琴は、朝学校へ行く時もいつもほど塞ぎ込んではいなかった。
 弱っているからこそそれを隠していようと思っているらしい。現に学校の玄関で上履きに履き替えてそれぞれの教室へ別れて行こうとした時も、美琴はただただ微笑んでいるのみだった。
「今日はいつもよりも敏感になっちゃってるから気をつけないとね!」
 美琴はその肌が紫外線をいとも簡単に通してしまうように、人の心の中の様子も簡単に感じてしまう。感受性が強すぎていつも周りから受ける影響を受け流しきれない。全て受け止めて疲れてしまったり、落ち込んだりする。
 だからこそ、クラスメイトたちのいじめにも弱いのかもしれない。周りからの偏見の目にさらされてその突き刺さる思いで肌も心も見えない部分はぼろぼろだ。
 それでも、おれは美琴を守ると決めたにもかかわらず、そんなおれの感情まで感じ取って気を遣ってもらうこともよくあった。
 気にしなきゃいいんだと思う。そうすればこんなに苦労することもないだろうし、実際そうするように美琴にいつも言っているけれど、そんなに簡単にはできないとも思っている。美琴はこういった性格だからこそ美琴なのだと思ったりもする。
 美琴がアルビノでなければどんな感じだったんだろうと思うこともあったけれど、それはすぐにやめた。
 アルビノであることは決して悪いことなんかじゃない。不便はあるけれども普通の人間。少し行動に制限があるだけだ。
 反対に、みんなと違う部分があるからこそ貴重なのではないかとさえ思える。
 こんなことであれこれ攻撃をされたりするなんておかしい。
 ひとまず、おれは美琴が受け流せない周りからの不の感情を目の前で受け止めるか違う場所に流すかに集中していくことにしていた。
 ただ、学校にいる間までずっと見続けることはできない。そして、その学校にいる時間が美琴にとって一番の恐怖だった。
 美琴にはクラスなどに特定の友達がいない。美琴がもともと引っ込み思案だということもあるけれど、美琴に攻撃を仕掛けている人物がクラスの中心人物もとい支配者になっているために自分も被害者になってまで美琴と仲良くしようと考えてくれる人がいないのだ。
 なんてクラスなんだと思う。中学3年生にもなってクラスぐるみでこんなに幼稚なことをしているなんて。
 そして更に、そのクラスの担任も曲者だった。この担任は美琴がアルビノだということを知った時にすぐに養護学校行きを勧めた人だった。こんな体質で普通学級なんておかしいと平然とした顔で言ってのけたその様子に、当時小学6年生だったおれと母さんもその場に同席していたけれど、あまりにも呆れて何も言うことができなかった。それでもとても悔しかった記憶だけはずっと残っている。
 小学校入学の時も特殊学級のことは確かに言われた。それでも6年間ほとんど皆勤賞に近い形で卒業できた。この辺りは認めてもらえると思っていたのに。
 結局普通学級に入学できたけれど、先生は3年経った今でも認めたくはないらしく、美琴に対してはどこか見下したような態度を取っていた。


 昼休み。おれは提出しそびれていた宿題のノートを持って行くために職員室に向かっていた。職員室は2階にあるためについでに美琴の教室も覗いていこうと思ったけれど、2階へ降りてすぐに廊下の壁に寄りかかっている美琴を見つけた。
「そんなところでなにやってんだ?」
 そばに近づいて声をかける。美琴は目を閉じていたけれど、おれの声に気付きのろのろとあける。メガネはかけていなかった。
「とられちゃったの」
「は?」
 おれは美琴が何を言っているのかわからずに聞き返す。
「あのね、メガネを持って行かれちゃったの」
 美琴は目に埃が入り痛くなってしまったために水飲み場で洗い流そうとしたらしい。その時にメガネを外してそばに置いたら誰かに持って行かれてしまったそうなのだ。
「それで突っ立ってたってわけか」
 おれは完全に呆れてしまい、手を頭に当てて天井を見上げる。確か美琴は前にもメガネを盗まれてしまって探すのにとんでもない時間がかかったことがある。
「一応ね、メガネはかけてもかけなくても見えないのは同じだからいいんだけどね」
 美琴はそう言ってまた教室へ向かって歩き出そうとする。おれはその腕を掴んでもう一度壁に寄りかからせた。
「でも、眩しいだろ」
 こうしておれと話をしている時も美琴は瞬きを普段以上にしているし、細目になっていた。
「うん。眩しいけど、今日は曇りの日だし、メガネをかけている晴れの日だと思えばまだ大丈夫」
 美琴はそう言って笑おうとしているけれど、やっぱり眩しいのかすぐに目を閉じてしまう。
「はぁ……」
 美琴は目を洗っていたために誰がメガネを持って行ったのかわからないようだけれど、なんとかして取り戻さなければ。
「きっとね、みんなあたしが見えにくいところに置いてからかおうとしてるんだと思うの。壊されてたりしたらかなり困るけど……。とりあえず今探したら笑われると思うから、放課後みんなが帰った後に探してみるよ」
 午後の授業はルーペとオペラグラスがあるから大丈夫と美琴は言うけれど、おれはもう怒りを通り越してやけに冷静になっていた。
 普段から物を見るのに不便を感じない人はわからないんだ。
 アルビノである美琴からメガネを取ったらどれだけ大変なのかを。
 いつも以上に見えないために歩くのも怖いだろうし、紫外線もまっすぐ入ってきてしまうから眩しくて目を開けていられない。
 手探りで前へ進まなくてはいけない心細さを、おれも含めてみんなわからないんだ。
 ひとまず美琴を教室まで送り届けてからおれは再び職員室へ向かった。
 放課後おれも探すのを手伝うかなどと思いながら。
 それと同時に、おれはとあることを考えていた。


「ほら、また違う」
 放課後美琴の教室の掃除用具ロッカーの上にメガネが乗せられているのを発見し、無事に回収できたおれたちは、家に帰ってきてから居間のこたつで卒業式の答辞原稿暗記にかかっていた。
 美琴が答辞を読み、おれが原稿を見ながら間違った台詞の指摘をするという形式で、美琴はほとんど覚えているけれども少し違っていたり、同じ部分で何度も間違えたりしていた。
「あ、ごめん。ここの部分、またやっちゃった」
 小さな声で何度もその部分の台詞を反復して言う。
 ちょっとしたことであれば本番で間違ったとしても卒業式の流れに影響はないだろう。それでも美琴は完全に、一文字も間違いなく覚えたいとのことで、おれの知らない時でも何度も何度も原稿を読み、少しずつ頭の中に入れるようにしていた。
「まぁ、ここまでできれば上出来だろ。卒業式まであと2週間あるし、あとは少し覚えればいいだけなんだから」
「でもね、壇上に立つと本当に何も見えないんだよ。だからきちんと覚えておかないとね。緊張すると頭が真っ白になっちゃうかもしれないし」
 卒業式が近づいてきていて、中学校でも授業時間を使って式の練習をするようになっていた。もちろん答辞は壇上に上がって礼をして初めと最後の文章を読むだけ。それでも美琴は実際に原稿が読めないことがわかり気を引き締めているようだった。
「ねぇまぁちゃん、もう1回やるからまたチェックして」
 ぱんぱんと両手で軽く頬を叩いて姿勢を正す。そして俺の方を見る美琴の目を、おれは眺めていた。
「なぁ美琴」
 おれの言葉に美琴は軽く首を傾げる。
「どうしたの?」
 にこやかに微笑む美琴。テーブルに乗せてあったティーカップに口をつける。
「あいつらを見返してやりたいとは思わないか?」
 一方のおれは自分でなるべく真剣に見える表情をして美琴にあることを提案しようとした。
「えー。仕返しはだめだっていつも言ってるじゃない。そうした時点で負けだって」
 おれはいつも美琴に対して攻撃を仕掛けてくる奴らを見返したいと言ったけれど、美琴にはそれを仕返しと聞こえたらしい。
「仕返しじゃなくて見返し。最後に一矢報いてやろうよ」
 美琴はそれを聞いてかなり驚いていたようだったけれど、おれの表情などを見て美琴も顔を正した。
「そんなこと、いったいどうやってやろうというの?」


 卒業式当日がやってきた。
 会場の体育館の壁を取り巻くように紅白の布がかけられている。館内は少し肌寒いけれど、学生たちとその家族の人数で熱気も出てきているようだった。
 先に1、2年生が入場、そして卒業生の家族が入ってきて、まもなく卒業生の入場となる。卒業式が始まるのだ。
 美琴が答辞を読むのは式のかなり後半。締めの部分といってもいいかもしれない。それまでの間は言葉に表せないくらい緊張していると思う。美琴ほどではないけれどおれも落ち着かなくなってしまっていた。
 答辞の台詞は昨日の練習の時点で完璧だった。一文字の狂いもなく読み上げることができるだろう。これはおれも確信を持って言える。
 美琴が笑顔で、まっすぐ前を向いて答辞が読めれば。少しは美琴にも自信がつくかもしれない。ルビーがいないということもまだ引きずっている部分もあると思うけれど、それを乗り越えようともしているし、中学卒業が美琴にとっての大きな転機になる。
 ざわついていた会場内が途端に静かになった。式特有の厳かな雰囲気。
 おれもまっすぐ前、卒業生が入ってくる体育館のドアを眺めた。
 吹奏楽部の音楽が流れ、体育館の戸が開き、卒業生が胸に花をつけてゆっくりと入場してきた。


 校歌斉唱も、校長先生の挨拶も、記念品贈呈も何事もなく過ぎていく。
 おれの周りの生徒たちは基本的にただ座っているだけのためにとても眠そうだ。それでもおれはいつもであれば確実に舟をこいでいるだろうけれど全く眠くはならなかった。反対に目が冴えて集中し、壇上を見ていた。
 式は卒業証書授与に移った。おれの通っている中学校は生徒会長が代表として証書を受け取ることになっているため、すぐに終わってしまう。これが終わるとついに在校生からの送辞と卒業生からの答辞がある。
 送辞はおれの隣のクラスの生徒がやることになっていた。やっぱり原稿を見ながら時々前を見てはきはきと読み上げる。その声はまっすぐ響いてきて聞いている側も気持ちがよかった。
 ただ原稿を読むというだけでも卒業式というこの場では緊張もするだろうけれど、そんなそぶりを微塵も感じさせない。
 美琴は練習は人一倍やってきているし、ハンデはあるけれどこの生徒のようにしっかりとやってくれるだろうと信じていた。


 送辞が終わって、ついに美琴の答辞の番が来た。
 おれは前の壇上をまっすぐ見つめながら手ににじんできた汗を軽く拭う。
 名前を呼ばれ、静かにステージへ上る美琴。
 美琴が答辞を読むということで前に出た途端、会場内から少しのどよめきが生じたが、おそらく美琴を今まで見たことのなかった卒業生の家族からだろう。それもすぐに静かになる。
 一瞬美琴がおれの方を見た。もちろんオペラグラスのない美琴にはおれの姿は見えない。
 それでもおれは美琴をじっと見続けた。もちろん目線は合わないけれど、おれからの励ましが伝わればと思う。
 美琴は原稿を持ってはいるけれど、それには全く目を落とさず、ただまっすぐ前を向いていた。
 一瞬だけ息を吸って、そして吐く。
「冷たく吹いていた風も、徐々に温かさを取り戻してきました。街の並木道にも木の芽が出てきてそれが間もなく開こうとしています。太陽の光も私たちを祝福してくれているかのようです。この良き日に、私たちは新たな道への旅立ちを迎えます」
 壇上へ立った美琴は、メガネだけはかけているもののほとんどがぼやけてはっきりとは見えなくなっている。とても心細く感じているだろう。
 式に出席している人々は美琴を眺めているけれど、その目をどのようにして見ているのだろうか。
 美琴の目は白目の部分が全て赤いため、目だけがどうしても浮き出て見えてしまう。そのためにあからさまに目をそらすか、奇異の目で笑われるくらいしかない。だからこそ美琴は他人と目を合わせることを怖がっていた。
 今も数多くの人々から自分を見られて緊張の度合いがピークに達しているはず。それでも堂々と答辞の台詞を語り続ける。その言葉には一言も間違いはなかった。
「私たちを時には厳しく、時には優しくご指導下さった先生方、そして私たちをいつも見守って下さっている両親には面と向かっては言えませんでしたがとても感謝しています。有難うございます」


 答辞も終わりへ差し掛かってきた。それでもおれはまだ緊張が解けない。いや、これからが真の勝負になる。おれは握っていた両手に更に力を入れた。
 あとは最後の挨拶を言うだけという段階に来た時。一瞬美琴の言葉が途切れた。
 おれは美琴と同様に深く息を吸う。右手は胸に当てていた。
「そして、私たちは自分自身に誇りを持っています」
 原稿にはない台詞。他の生徒たちは答辞の内容を知らないために特に反応はないけれど、先生たちの動揺を仰ぐのには充分だったようで、それぞれが顔を見合わせている様子がよくわかった。
「私は、アルビノです。そのために皆様には数多くのご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます」
 美琴の声が一瞬震えた。おれは心の中でただ励ますことしかできない。そばで背中を押すことはできない。ここでもまた何もできずにもどかしい思いだけを抱えることになるけれど、今はただ、美琴が自分自身の台詞を無事に言い終えることを祈るのみだった。
「ですが、アルビノであっても私は皆様と同じ人間であることに変わりはありません」
 さすがにここまで来ると体育館内にいる卒業生、在校生、来賓の人々も不審に思い始めたらしく少しだけれど辺りがざわついた。美琴の担任の先生は他の先生たちと共に美琴を止めようと立ち上がろうとする。
 しかし、それを制した人がいた。その人は、校長先生だった。
 立ち上がり、美琴の担任の肩を軽く叩く。そして首を左右に振った。席へ座るよう促す。さすがにそうされるとどうしようもできないらしく、おとなしく席に着く。
「不便は強いられますが、アルビノでなければ経験できなかったこともあります」
 美琴にはその校長先生の様子すら見えない。ただ前を向いて、万が一言葉を発するのを止められるまでずっと自分の思いを伝え続ける。
 卒業式の答辞というとても重要な場で勝手な台詞を言うその代償も考えなくはなかったけれど、最後に美琴を苦しめた奴らに美琴が普段どんなことを思っていたのか知らしめてやりたかった。
「皆様がどのように考えられているのかは私にはわかりません。それでも、私はアルビノということに誇りを持っています。普通と違うことが間違っているとは決して思いません。反対に普通であることにとらわれすぎて自分をなくしてしまうような人間にはなりたくなかったのです」
 始めは戸惑いつつ、声もかすれるところもあったけれど、自分の思いを伝えていくうちに徐々に声に張りが戻ってきた。そして、学校内では常に仮面を被った笑顔しかしたことのなかった美琴が本心で晴れ晴れとした表情で話している。
 いつも下を向いておとなしくしていたけれど、そして作り物の笑顔で人と接していたけれど、これが本当の美琴なんだ。中学校生活も最後になり、美琴はようやく学校内でも美琴でいられるようになったんだ。
「中学校生活の3年間は長い人生のうちのたった一瞬かもしれません。ですが、私にとってこの3年間はずっと苦しんで過ごしてきました。早く過ぎ去ってほしいと思ったこともあります。それでも、この3年の間で多くのことも学びました。その一瞬一瞬をとても大切に生きてきました。その時の思い出は一生忘れることのできないものです」
 いつの間にか、辺りを包んでいたどよめきが全くなくなっていた。中には美琴の思いが伝わらない人もいるかもしれない。それでも、ほとんどの人が今の美琴の言葉に耳を傾けてくれていた。おれはそれだけでもとても価値のあるものだと思えた。嬉しかった。
「私たちはこれからも強く、そして前を向いて進んでいきたいと思います。明日は誰にも見えません。同時に道は一つではないのです。私たちはまだ自分の道を探している途中ですが、ゆっくりと焦らずにそれぞれの旅路を歩んでいきたいと思っています」
 美琴の台詞が本来のものに戻った。おれは途端に大きく長く息を吐いた。
 美琴もほっとしたのか笑顔を湛えて話し続けている。そして、その瞳にはきらりと光るものが見えた。
「本日は私たちのためにこのような盛大な卒業式を挙行して頂き、有難うございました。卒業生一同厚くお礼申し上げます。私たちはこの学校に通うことができてとてもよかったと思えます。校長先生を始め先生方、ご来賓の皆様、そして在校生の皆様のご健勝と中学校の限りない発展をお祈りして答辞と致します」
 終わった。終われた。おれは心底ほっとした。美琴も自分の名前を言い終わり、壇上で深く礼をしていた。
 おれは美琴に自分から提案をしたものの、本当は怖くて仕方がなかった。いつ答辞を述べている美琴が止められるのかということを考えるだけで震えが来た。それでもこれは賭けだった。今その賭けはおれたちの快勝で終わる。
 壇上から降りてきた美琴には、卒業式には似つかわしくないかもしれないけれど、拍手が起こっていた。校長先生自ら席を立って感無量で泣き出している美琴の肩を抱いていた。
 よくやったとでもいうように。
 卒業式はその後本来の動きを取り戻し、つつがなく終了した。


「よくやったよ。美琴」
 卒業証書の入っている筒と記念品を持った美琴がおれのところへ駆け寄ってくる。おれは同じく式に出席していた母さんと一緒に校門で美琴が来るのを待っていた。
「うん。あたし、頑張ったよ。すっごく怖かったけど、まぁちゃんもお母さんも見ててくれたし」
 そう言ってえへへと笑う。肩の荷が下りたのか辺りを歩く足取りも軽やかで、放っておいたら辺りを延々と駆け回っていそうな勢いだった。
 今日は美琴の表情を表しているかのように快晴。おれは美琴におとなしくするように言い、日傘を開いて差し出す。
 しばらく太陽の光に当たっていたため肌が痛くなったのか日傘に素直に入ってきた美琴は、日傘の下から空を覗き込み、小さく呟いていた。
「ルビー、見ててくれた? あたしすごいでしょ。もう大丈夫だからね。あたし、きちんとやっていけるよ。一人でも頑張れるよ」
 そして一瞬おれの方を見た。
「まぁちゃんもいてくれるし。これからは言いたいことははっきり言うようにするんだ。きちんと伝えることがこんなにすっきりするとは思わなかったよ」
 蓄積された我慢は暗い影しか落とさない。そんなものだったらどんどん捨ててしまえばいい。なんでもいいから発散してしまえばいいんだ。
「そうそう。おれだってアルビノでなくてもちっとも背が伸びなくてちびとか言われたりする。何も言われない人なんていないんだ。心無い人たちから言われた言葉をどう受け取るかによって辺りがどのように見えるかが変わってくるんだよな」
 美琴がおれから日傘を受け取って取っ手の部分をくるくると回す。
「そうだね。今あたしが歩いてるこの通学路も、いつもよりとっても明るく見えるよ」
 そう言って家までの道を駆け出す。すぐ息が切れるのはわかっているためにおれも母さんもゆっくりと美琴の後を歩き出した。
 こんなに嬉しい日はもうしばらく来ないんじゃないかと思うくらい、おれは清々しさでいっぱいだった。


 少し思うところがあって、美琴と母さんには先に家まで帰ってもらい、おれはちょっと寄り道をしながら帰っていた。
 美琴が答辞で言っていたように、街の街路樹にも木の芽があちこちに息づいていた。
 街並みの上に張られていた薄いフィルターはもうほとんどなくなっていた。辺りを流れる風はまだ少し冷たいけれど、それももう間もなくそよ風に変わるだろう。
 おれが待ち望んでいた春が、もうすぐやってこようとしている。辺りの街並みも、太陽の光に輝いてこれからの季節を喜んでいるかのようだ。
 空の青さも徐々に増しているような気がした。


「美琴」
 家に帰ったおれは居間でテレビを見ていた美琴に小さな箱を手渡す。その箱は美琴の好きなケーキが売られている洋菓子屋のロゴマークがプリントされていた。
「あ、わぁ! まぁちゃんえらい!」
 いったい何が偉いのかはよくわからないけれど、美琴を喜ばすのには充分だったようだった。
「あたしの大好きなキャロットケーキだぁ。早速食べよっと」
 そう言って立ち上がる美琴を見ながら、おれは着替えるために部屋へ向かった。そして着替えた後に机の棚からルビーを連れ出し居間へ行く。
 食堂でお皿にケーキを載せ、ティーカップに紅茶を入れていた美琴のそばにルビーを置いた。
「ルビーは返すよ。もう平気だろうから。それにしても、もうすぐ昼飯なんだから食べ過ぎるなよ」
 苦笑しながらそう伝えると、美琴は軽く頬を膨らませた。
「だって、ごはん前だけど食べたいんだもん。ごはん前に1つ、ごはん後にもう1つ食べるんだもん」
 はいはいと呟きつつおれはまた部屋へ戻ろうとした。
「ねぇまぁちゃん」
 ルビーを抱いた美琴がおれを呼び止める。
「なに?」
 立ち止まったおれは美琴の顔を見る。その表情は本当に喜びいっぱいで見ているおれも心が踊るものがあった。
「また夕方にはうさぎ小屋に行こうね」
 今日小学校は通常通りに授業があるために卒業式には出席してもらえなかったけれど、仲原先生にも今日のことを笑顔で伝えたいと思っていた。美琴もおそらく同じ気持ちなのだろう。
 ルビーはいなくなってしまったけれど、美琴にとってうさぎは家族とほとんど変わらない。これからもこの日常は変わらず続いていくはずだ。
 美琴が隣町の高校へ通うようになったら毎日とはいかないかもしれないけれど、それでも時間を見つけてやっぱり通い続けるんだと思う。
 うさぎたちがにんじんから栄養をたっぷりと取るように、美琴はそんなうさぎたちの様子を見ることによって心の栄養にしているんだろう。もちろん美琴自身もにんじんは大好きだけれど。
「あぁ」
 おれは一言そう答えて2階へ向かう階段を登っていった。

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