ここは、僕の庭。
正確には僕だけの庭ではないけれど、僕は生まれてすぐにここに連れて来られて、それからずっとここで育った。
僕はここ以外の場所は知らない。
だって、僕は動くことができないんだもの。
ううん。動こうと思えば違う姿で動くことはできる。
でも、僕は僕の庭から出ることができない。
だって、僕はこの庭に生えている小さな木の精なんだもの。
僕は生まれてすぐにここに来てから、ここで色々な景色の移り変わりを見てきたよ。
春はあちこちから花の甘い香りがしてきたりするんだ。
夏は空の深い青に負けないくらい葉っぱも緑色を深めてね。
秋は数え切れないくらいの種類の色をさせた葉が地面を敷き詰めて。
冬はちょっと寒いけど雪を枝の上に乗せたりしてさ。
同じ季節の繰り返しでも、ちょっと違うところもあったりして、僕はそれをいつも楽しみながら見ていたんだ。
僕はまだ生まれて少ししか経っていないから背の高さも全然ないけれど、これからどんどん大きくなっていくんだ。
そして、これからもずっとここで色々な景色を見ていくんだ。
僕の庭は、木が1本だけなんだ。つまり、それが僕の木だね。
庭の広さはそんなになくて、僕だったら20本立ったらいっぱいになるくらいかな。
その、庭の中心からちょっとずれたところに僕の木は立っているの。
庭には、僕の木の他にこぢんまりとしたお花畑があって、あとはずっと草原が広がっているんだ。
僕は普段は木の中に住んでいるんだけど、移動する時は人間の姿に変わるんだよ。そうしたらちょうど大人の腰よりも少し高いくらいの身長になるんだ。
その草原をそうして姿を変えて歩いて行ったら行き止まりに着いて、進みたくてもどうしても先には行けないんだ。見えない壁に囲まれているみたい。
僕はずっとこの狭い庭の外のことを考えているんだ。外はどうなっているんだろうって。
外はどんな世界が広がっているのかな。見たことのないものばっかりなんだろうなって。
でも、僕はこの庭から出ることができないから、ただ想像するだけしかできないんだ。
ここにやってきた時の僕はあまりにも小さかったから、来る前のことは全く覚えていなくて。
自由に動き回れる人がうらやましいな。
僕は、ここに来た時は入ってくることができたけど、出ることはもうずっとできないんじゃないかなって思うんだ。
空気がしんとしてきて、そばの花畑からも花の姿がすっかり見えなくなったり、僕の木も色の濃い赤色になった葉を落として冷たい風に運ばれて飛んで行ったりする季節。
僕はどの季節も大好きだけれど、この季節はちょっともの悲しくなってしまうなぁ。
葉っぱがなくなって幹と枝しか外からは見えなくなるから、寂しくなっちゃうのかな。
空の高さもなんとなく夏と比べると低く感じてきたり。
ふとそうなってから「あ、秋なんだな」って思うけど、変わっている間はそのちょっとの違いになかなか気づかないんだよね。
いつも毎日どこか違うところはないかなって辺りを見て探しているけれど、いつも見逃してしまって大きく変化があって初めて気づくんだ。
今回は僕がしばらく木の中に入って眠っていたから、また気づかなかったの。
これはいつもの小さな変化とは全然違っていたのに。どうしてなのかなあ。
眠っていてぼやけた目を起きてから覚ましたら、いつのまにか僕の庭に1軒の家が建っていたんだ。
大きな音も立てずそっと建てられた家は平屋で、そんなに広くはなさそうなんだけど、天井が高いみたい。僕の背を簡単に越えちゃったもん。
でも、その家は僕のすぐそばに建ったから、窓から家の中を覗き込むくらいのことはできたんだ。
家の天井は高かったけど窓がかなり大きかったから、僕の身長でもちょうどよかったの。
誰が住んでいるんだろうなぁって思ってずっと見てたら、家の中に一人の女の人がいるのがわかったよ。
でもね、住んでいたっていうと、ちょっと首を傾げてしまうんだ。
だって、その女の人は、両手を鎖で縛られていたんだもん。怪我とかはしてないみたいだけど、鎖で繋がれているんだ。
髪の毛は金髪で、長さは肩に届かないくらいで短いなぁ。まっすぐに切り揃えられていて、窓から射し込む光できらきら光っていてきれい。
薄い桃色のワンピースを着ているんだけど、僕が人間になった時の姿よりもとっても痩せているように見えるし、顔色はあんまり良くないかなあって思う。
僕は太陽の光がごはんだから心配ないけど、女の人はきちんとごはん食べてるのかな。心配だな。
女の人はずっと目を閉じてるからもしかしたら違うのかもしれないけど、なんだか暗い顔をしている気がするよ。見ていると僕も悲しくなっちゃう顔だなあって思う。
どうしてこの女の人はこの新しく建った家に一人鎖に繋がれて閉じ込められているんだろう。
僕はちょっとした好奇心から少しの勇気が出て、女の人に話しかけようと思ったんだ。
ひとまず木から出て人間の姿になって、そして窓から中を覗き込める位置にある枝に座って。
人間になった時の僕は、癖のない茶色の髪に緑色の目をしているんだよ。
シャツとショートパンツを身に着けてるんだけど、この季節じゃちょっと寒いように感じるかな。
まぁいいか。僕は人間の姿をしているけど人間じゃないから感覚が違うし、どうせ耳の長さとかも僕の方がとっても長いから、僕が人間じゃないことはわかってしまうだろうし。
怖がられなければいいんだけどな。
女の人は相変わらず無言で、薄暗い部屋の中で沈んだ影を落としているよ。
目もずっと閉じられていて、まるで眠っているみたい。人形のように、ずっと動いてないんだ。
でも、寝てはいないんだろうなぁ。
「こ……こんにちは」
僕は最初ちょっとどもったけど、きちんと話しかけることができたよ。
女の人は、まさか誰かから、そして部屋の上にある窓から話しかけられるなんて思ってなかったみたいで、ちょっと驚いている感じ。ずっと閉じられていた目が開けられていたよ。
そうだよね。僕だって、突然思いがけないところから声がしたらびっくりするもん。
ごめんねって思ったけど、僕はその女の人をじっと見つめてみたんだ。
女の人もね、目は緑色だったよ。僕とおんなじ。なんだか嬉しいな。
目を閉じている時もそう思ってたんだけど、更にきれいな人って思った。思わず見とれちゃうけど、ただずっと見ているだけっていうのも失礼だよね。
僕はその女の人に、もっと話しかけてみようって思ったんだ。
「僕はアル。突然ごめんね。僕はここの木の精をしてるの。僕のお隣さんにご挨拶したくて。お姉さんの名前はなんていうの?」
女の人はまだ驚いていたけれど、僕のことをずっと目をそらさずに見つめてくれていたよ。
少なくとも、僕のことを怖がってはいないんだなってわかってとっても嬉しかった。
僕が微笑むと、少しぎこちなくではあるけれど、微笑んでくれたよ。
「私は……リオ」
女の人が、名前を言ってくれた。リオっていうんだぁ。いい名前だね。
「そっかぁ。リオっていうんだね。よろしくね!」
「ねぇ、どうしてリオはここにいるの?」
僕は率直に思ったことを聞いてみたの。だって、リオはとても落ち着いているけれど、鎖で繋がれてるんだよ。
普通は、鎖で繋がれているのは嫌じゃない? 僕だったら嫌だなぁ。できる限り自由でいたいと思うんだけどなぁ。
リオは、僕の質問を聞いても、全然顔色が変わることはなかったよ。ずっと穏やかな表情でいるの。それが僕には信じられないんだ。
「私は……自分で好きでこうしているのよ」
そう言ったリオの答えに驚いて、僕は一瞬木から転げ落ちそうになっちゃったよ。
「どうして?」
僕は続けて質問をしたよ。だってそうだよね。自分がそうしたくてしているなんて。
せっかく自由に動き回ることができるのに。
僕にはできないことがたくさんできるのに。
僕はここから離れられないんだよ。
秋も終わりになるといったん木々も体を休めようとするけれど、それでももちろんみんな力強く生きていて、冬の間に新たな命を生み出す準備をする。
僕がここからいなくなったら、春に鮮やかな花を咲かせたり、空の色に映える緑色の葉を広げられなくなっちゃう。ここにある木や草たちはみんな枯れてしまうの。
だから僕はここから離れられないんだ。
でも、リオはここから出ることができる。2本の足でしっかり立ってあちこち歩き回ることができるんだよ。
それは僕にとってはとてもうらやましいことだと思うんだけどなぁ。
こうして暗い建物の中でじっと座っているのは、たまにはいいのかもしれないけれど、ずっとは苦しいよ。
人間だって僕たちと同じで太陽の光を浴びると元気になるでしょう?
閉じ込められているわけでもないのに。
自分から、自ら進んでこんな狭い建物の中にいるなんて。
空気が濁ってしまうよ。元気がなくなってしまうよ。現に今もとてもとても白い顔をしているし。
それでも、ここでずっと生きようとしているのはどうして?
ここでじっと黙って待っているのはどうして?
何かが迎えに来てくれるの?
でも、君のその顔を見ているとね、そうとはなかなか思えない僕がいるんだ。
「ねぇ、一度でいいから外に出てみようよ。外は明るいよ。楽しいよ」
僕はリオになんとか気持ちを変えてもらおうって頑張った。
だって、リオを見ているとなんだか悲しくなってきちゃうんだもん。
「ううん。私はいいのよ」
やっぱり気が変わらないみたい。
どうしてそこまでできるんだろう。僕には無理だよ。
僕の場合は出たくても壁で遮られているからできないんだけどね。
僕は僕のテリトリーから出ることができないから。
でも、いくらリオがそう言っていても、なんだか見てられないよ。
「それじゃあさ、せめてその鎖だけでも取ろうよ。どこかに鍵があるんだよね? 僕、部屋の中に入って鍵を開けてあげるよ」
僕からの、もう何度目かわからないくらいの提案にも、やっぱりリオは首を横に振るの。
「どうして?」
そうやって聞くのも、もう何回目になったかな。数えるのも面倒になってきちゃった。
「この鎖を取る鍵もそうだけど、ここの家の扉の鍵も、ここにはないのよ。時が来たら、この鎖も取れるし、私はこの家から出られるようになるの。私はただその時を静かに待っているだけなのよ」
そう言ってリオは穏やかに笑うの。
いつになるかわからない、本当にくるのかもわからない、自由になる時をただじっと待っているだけだなんて。
僕がリオだったら、絶対ここで黙って待っていたりなんてしないと思う。
もったいないよ。僕はただただうらやましいよ。
僕はこの庭にいて、木や草や花たちが爽やかに風にそよぐ様子を見ているのはとても好きだけど、ここではない場所も、見てみたいよ。
でも、わかった。リオがそこまで言うんなら、僕はもう黙っていることにするよ。
僕が何を言ったとしても、考えは本当に変わらないんだなって思ったから。
心穏やかにその時を待ち続けるリオと一緒に、僕も待ち続けることにするよ。
僕はきっとリオよりもずっと長生きだから、いつかこの家を出られるようになって幸せになるまで、ずっと隣の木から見守っていくことにするよ。
それでも、今みたいに時々は僕ともお話しようね。
僕は、リオが早く幸せになれることを祈ってるよ。
そうなるってことは、僕とお別れってことだから、ちょっと悲しいけど。
でも、リオはとっても優しい人だと思うから、やっぱり幸せになってほしいよ。
暑い季節が過ぎ、朝と晩の空気から徐々に冷たくなってきた頃。
庭に生えている木々の葉の色がだんだんと変わり始めてきた頃。
一つため息をつきながら、一人の女性が窓際のテーブルに乗せられた小さな箱を眺めていた。
すぐそばには大きな植木鉢があり、ちょうどその箱の隣に並ぶように置かれている。中には小さいが木が植えられていた。
女性は部屋の中央に置かれたロッキングチェアに座ってずっと編み物をしていた。
女性はこの家に、一人で住んでいた。
ほんの少し前までは、一人ではなかったのだ。だが、秋の初めに一人でいることを余儀なくされた。
女性が見つめていた小さな箱は、一面だけが透明なフィルムになっていて、中が見えるようになっている。
箱の中には、一体の人形。肩よりも少し短い長さでまっすぐに切り揃えられている金髪で、緑色の瞳をした人形だった。桃色のワンピースがとても華やかに見える。
元々はディスプレイ用に買ったものではなかったけれど、この人形は一度も箱から出されたことなく、新品のまま飾られていた。
本来、この人形は女性の一人娘への誕生日プレゼントになるはずだった。
ところが、そのプレゼントをあげる相手は病気で帰らぬ人となったのである。
行き先のなくなってしまった人形は、ただ飾られるままになってしまったのだった。
はじめはこの人形を捨てようかと女性は考えた。
だけれど、これは大切な子のためにとても悩んで選んだ思い出のものだ。
実際役に立つことはなかったし、見ているととても悲しい思いが湧き出てくるけれど、捨てようと思うことはやめた。
この人形を見ていると、娘との楽しい思い出も蘇ってくるような気もしていた。
娘は一度も、触ったことはおろか見たこともないというのに、おかしなものである。
それでも、今の女性はその思い出にもすがっていたかったのだった。
こうして、ずっと長い間、人形は女性の家で飾られていた。
隣に置かれている大きな植木鉢とともに。
ある日、ずっと空き家だった隣の家に、住人が現れた。
しばらく引っ越し作業などで慌ただしくしている様子を、女性はやはりロッキングチェアに座って編み物をしながら眺めていた。
視界の端には、もちろん窓際のテーブルに並べられた人形と植木鉢もあった。
徐々に外の風は冷たくなってきているけれど、家の中は暖房が効いているのかぽかぽかと暖かくなっている。
植木鉢に入っていた植物には、小さいものではあるけれど、花が咲いていた。
「こんにちは」
隣の家から慌ただしさが消えた頃、女性の家のドアを叩く人がいた。
女性が扉を開けると、そこには隣に引っ越してきたと挨拶に来てくれた家族が揃って立っていた。
とても幸せそうな家族3人。両親と女の子。
その女の子が女性の娘と同じような年齢の子だったため、思わず女性は表情を暗くしてしまったが、慌てて元に戻した。
「よろしくおねがいしますっ」
利発そうでいて可愛らしい女の子が挨拶をしてくれる。女性もそれに答えた。そして、せっかくなので部屋に入って下さいと3人に勧める。
両親2人は他に用事があるとのことですぐに帰ることになったが、部屋を眺めて気に入った様子の女の子を見て、預かってもらうように女性に尋ねた。
女性は二つ返事で答える。なんだか娘が帰ってきてくれたような、そんな嬉しさが心の底から出てきていた。
あと、女性の部屋は主に娘の好みに合わせて調度品なども揃えられていたため、似たような年頃の女の子に好かれるのもなんとなくわかるような気がした。
「可愛らしいお家ね! おとぎの国に出てくる家みたい」
女の子はもの珍しそうに辺りを眺めながらどこか落ち着きがない様子だった。
女性はそんな女の子を見ていてとても微笑ましいと思う。
お茶でも煎れようかと台所へ向かった時、女の子の歓声が部屋中に響いてきた。
「わぁ! このお人形、可愛い!」
女性が部屋に戻ってみると、女の子が窓際のテーブルから人形の入った箱を取り出して中を覗き込んでいるところだった。
「このお人形、ずっと箱に入ったままなの? こんなに可愛いのに」
女性の元へ駆け寄り、箱を両手に持って見せてくれる。
「そうなの。このお人形さんをあげようって思っていた子がね、いなくなっちゃって、必要なくなってしまったの」
頭のいい子なのか、女性のその一言で何かを理解したらしく神妙な顔になる。
「そうなのね。なんだかかわいそうだね」
そう呟いた女の子を見て、そしてその子の胸に抱かれている人形を見て、女性はふいに自然と言葉が出てきた。
「そのお人形さん、もしよかったらもらってくれる?」
「え、いいの?」
女の子は一瞬きょとんとしたが、やがて心底嬉しそうにますますぎゅっと強く人形が入っている箱を抱いた。
「ありがとう! 大切にするね!」
女の子が飛び上がらんばかりに喜んでいるのを見て、女性は自分でそう決めて本当に良かったと思った。
「それじゃ、箱から出してあげようか」
女の子が目を輝かせて見つめている中、初めて人形が箱の中から取り出された。
はさみを取り出し、箱の中で人形を固定するために留められていた針金を切り取る。
「はい」
箱の外から中を覗き込んで見るより、自分の目から直に見る方が、なんだか人形もとても色鮮やかに見えるような気がした。
窓から射し込む太陽の光が、女性と女の子と、そして人形を照らしていた。
僕は時々木の中に戻ってぐっすり寝たり、人間の姿になってあちこちを歩き回ったり、そしてリオと少しお話をしたりしながら日々を過ごしていたよ。
リオは相変わらず具合が悪そうだったけど、瞳の輝きはずっとなくしていなかった。
そこまで一途に信じていられることがとってもうらやましかったし、応援していこうって思ってたんだ。
そして、その時がようやくやってきたんだよ。
ある日、僕の庭に見慣れない人が来たんだ。黒い服を着た男の人。
僕はちょっと怖かったけど、じっと見ていることにしたの。
だって、その男の人は、きれいな銀色をした鍵を持っていたんだもん。
急ぎ足で僕の隣に建っている家の前に来てね、その鍵を使って戸を開けたの。
僕は、やっとこれでリオが幸せになれるって思ったんだ。
だって、鍵を持った男の人を見たリオは、とっても幸せそうな表情をしていたんだもん。
やったぁって思ったよ。
リオが待ち続けていた人は、この人なんだってすぐわかった。
男性に手を引かれて歩きながら、ちょっとだけ、後ろを向いてくれたんだ。
たぶん、僕を見てくれていたんだと思う。
だから、僕も人間の姿になって、僕の木の枝に座って、リオを見ていたよ。
よかったね。これで幸せになれるんだね。
僕は少し寂しいけれど、でも、とっても嬉しいんだ。
それにね、今は秋だから、これからお休みする時期に入るけど、また春になったら、僕の庭のみんなが色々な花を咲かせたり、緑をいっぱいに広げたりしてくれるだろうから。
だから、寂しくないよ。
そして、僕は右手を軽く振ったんだ。
ばいばい。元気でね、ってね。
でも本当は、僕にも鍵を開けて庭から連れ出してくれる人がいたら……って、ちょっと思っちゃったことは秘密だよ。